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アンコール・クラウ村とは?

クラウ村基礎情報 (2007年版)

世帯数: 524世帯
人口: 2944人
小学校の生徒数: 698人(女子344人)
1年生: 201人(女子96人)
6年生: 60人(女子27人)
教員数: 17人
主な生業: 農業
小さな商店
主な副業: 遺跡の保存修復作業員
遺跡の清掃活動
酒造り,たいまつ作り など
12世紀末から13世紀にかけて建造された,アンコール王朝の中心都市「アンコール・トム」の北門から約1kmのところにあり,古代の都の環濠に沿って東西に延びている村です。「アンコール・クラウ」とは「アンコール(都)の外」という意味。
アンコール・トムが王都だった時代には,都の内側,王宮のすぐ近くに村を作り,生活していたそうです。しかし,ある時村出身の女官が王の寵愛を失って(王宮の女官を襲った者が村出身だったとも言われていますが)村全体が都の外側に移住しなければならなくなってしまった,というおもしろい伝承が残っています。

アンコール地域の中でも遺跡との距離が最も近い村であり,多くの村人が遺跡の保存修復や清掃活動に従事しています。JSAでも現場の作業員を指揮する棟梁・副棟梁をはじめ,およそ8割の作業員がこの村の出身です。また,遺跡周辺でお土産を販売している人々の中にもクラウ村の方が多いようです。都市に近いためか,一家族当たりの農地面積が小さく,副業が家計の貴重な支えとなっている家庭が多いという現状もあります。そんな中で,遺跡に関係する事業は,村にとっても重要な副業のひとつであると言えます。
JSA(日本国政府アンコール遺跡救済チーム)では,将来この村から遺跡の保存修復や保全に関わる人材を輩出する仕組みを作りたいと考えています。さらに,遺跡の保存修復を基盤とした村づくりを実現することで,地域をあげて遺跡を護り,それが地域に様々な利益をもたらす仕組みづくりへの挑戦を,村人とJSTが一体となって行っています。

スピアン・タ・ノル全景
スピアン・タ・ノル全景村の重要な交通路に。
村の重要な交通路に。

■スピアン・タ・ノル(ノルさんの橋)
 <クラウ村初めての橋>1997年7月着工、1998年9月完成

1997年当時、クラウ村には橋がなく、村を流れる川では、雨期になると村人が行き来できなくなることもありました。ある時、大雨の直後、増水した川を泳いで渡ろうとする村人を見て、JSAの日本人駐在員が立ち上がりました。
「ここにみんなで橋をつくろう!」と。
JSA通訳渉外のチア・ノルは日本の里親に頼んで資金を調達,建築家で、当時JSA設計管理だった小牧氏は橋の設計を行いました。大手ゼネコンから派遣されていたJSA工事主任の川瀬氏とJSA所長の成田氏、チア・ノルは現場指導を行うことになりました。
そして、土日を利用したJSA作業員総出の作業で、幅3m、長さ27mの橋をつくりました。

水面に黒く2つ浮いているのは、子供の頭。元気な村の子供たちは、毎日、
橋の上から川に飛び込んだり、泳いだりして遊んでいます。

参加者:
JSA設計管理 小牧氏(当時)  JSA所長 成田氏(当時)
JSA工事主任 川瀬氏 アンコール・クラウ村住人

■橋建設エピソード

建設前:古い木造橋
建設前:古い木造橋

橋建設中:コンクリート打ちする村人
橋建設中:コンクリート打ちする村人
橋建設エピソード
完成したスピアン・オートンレスグー
完成したスピアン・オートンレスグー

■スピアン・オートンレスグー(乾いた小川の橋)
 <クラウ村入口付近の橋>1999年

アンコール・トム北門からすぐ、クラウ村へと続く道が始まります。そこは、アンコール時代、焼き物用の粘土がとれた場所。アンコール・トム北門の通称もそれにちなんで、「トゥヴィア・デイチュナム(鍋土の門)」と言われています。 クラウ村へ続くその道を横切る小さな川に土管を並べ、コンクリートで固め、土を盛って、いつでもバイクや自転車が通れるようにしました。 本来は土管7本分を接続して埋めなければならないところを、素人チア・ノルが土管3本分をつなげるだけでつくってしまったため、車が通るには、ちょっと道幅が狭いのが難。 けれども、バイクが主な交通手段となっている村人にとっては、とってもありがたい存在であることには変わりません。

参加者:チア・ノルとクラウ村住民
全て手作業で進められている工事
全て手作業で進められている工事
お手伝い中の子供達お手伝い中の子供達

■スピアン・オーチュラオ・クティッヒ
 (長い時間をかけて削られた小川の橋)
 <クラウ村中心部の橋>2000年5月完成

1998年、クラウ村に道路ができ、バイクの通行もスムーズになりましたが、村の中心地には一箇所川を越えなければならないところが。橋の代わりに細長い木の板がかけてあるだけで、バイクで渡るにはなんとも危険。
川幅はそれほど大きくないのですが、雨期には水が溜まっていつも大きな池のようになっているため、JSA工事主任の梶山氏の意見により、カルバート工法で橋をつくってみよう、ということになりました。
カルバート工法の橋とは、両側2か所に口を開けた四角い筒状のコンクリート橋です。村の大人たちが行う作業を、最初は興味津々で見守っていた村の子供たち。そのうちに、子供たちも一輪車で砂を運んだり、砂利を運んだりと、積極的に“お手伝い”が始まりました。村の橋もこれで3つ目。もう、村人の作業も手慣れたもの。和気あいあいと作業をするうちに、きれいなコンクリートの四角い橋が出来上がりました。

参加者:
JSA工事主任 梶山氏(設計と現場指導)
チア・ノル(現場指導)
クラウ村住民と子どもたち

道 <クラウ村を通る道>

 1998年工事4km、2002年工事2km 1998年以前は、クラウ村内には、バイクや自転車がやっと通れるような道しかありませんでした。そこで、村内にもっとしっかりした道をつくろうと、チア・ノルとJSA現場作業員で、村の重鎮である棟梁サオ・サム氏、副棟梁のチン・ダオイ氏が立ち上がり、村民に呼びかけました。
村民は、ブッシュ切り担当と土運び担当に分かれ、村道予定地のブッシュを切り払い、土を掘って運び、底面幅約6m、上面幅約5mの道をつくっていきました。斜めになった道の側面は、簡単に崩れないよう、草を植えていきます。初日は20人しか村民が集まらず、これではいつ完成するかわからないと、さらに呼びかけ、翌日は150人、多い時で250人の村民が、毎日作業を行い、1ヶ月半かけて約4kmの道を完成させました。JSA棟梁サオ・サム氏、副棟梁のチン・ダオイ氏は、JSA遺跡修復作業が終わると現場に駆けつけ、1人1人の村民の毎日の作業量をチェックし、仕事量に応じて謝礼を支払いました。

参加者:チア・ノルとクラウ村住民
村の中に少しずつ道ができあがっていく..
村の中に少しずつ道ができあがっていく..
路肩に草を植える作業
路肩に草を植える作業
現在の姿
現在の姿

■完成した道

道ができたことにより、急病人が出てもすぐに町まで出ることができるなど、村の生活が目覚ましく向上しました。また、車が通れるようになったので、カンボジアで活動するNGOがアンコール・クラウ村に拠点を置くようになったり、町に住むカンボジア人家族が移住してきたり、在住外国人の週末の家ができるなど、村落内は活性化してきました。 道路わきに植えた樹木も順調に成長しています。
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