カテゴリー


月別アーカイブ

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年



最新コメント


BLOG

例年、新年最初の始業日には安全祈願式を行います(ちなみに、通常カンボジアの正月は西暦の4月ごろなのですが、本プロジェクトが国際的なプロジェクトである性質上、プロジェクト当初から西暦の1月をプロジェクトの年始と考え、その最初の始業日に安全祈願式を行っています)。今回は現在修復活動を行っているバイヨン外回廊東門前にて行いました。式では、土地の神様や精霊、ヒンドゥー、仏教あらゆる宗派の神様に対し、豚の頭、ニワトリ、お酒等の供物を前にお祈りをします。JASAの式典では通常、現場の棟梁であり、仏門に入られているサオ・サム氏が祈祷を行います。途中、サオ・サム氏がスタッフに向って聖水をまき(通常、こういった式典の際には、供物の近くに水が置かれているのですが、この水はお経を聞かせた結果、普通の水から聖水に代わるというふうに考えられているようです)、最後には成仏できていない方々に対して振舞うために、少し離れた場所に各種供物を混ぜたものを安置し、儀式は終了します。

式の最後には、新年最初のミーティングも行いました。

 

カンボジア人はこういった式典を重視しているようで、どんなに普段冷静沈着なスタッフでも、年始や修復工事、さらには発掘調査の始まるタイミングで日本人側が安全祈願式の準備を忘れていると、「昨日悪い夢を見たので、絶対に式典をやってほしい」と言ってきます。この感覚はもしかしたら、古代のクメール人と通じる何かがあるのかもしれません。

 

カンボジアは近年の内戦に限らず何度も断絶の時代があるので、アンコール時代前後に建造された寺院については正確な参拝・利用方法が継承できていません。また、それらの寺院の当初の計画を知ることができる図面・書物も残っていないので、修復や研究の際にはほぼ一から検討していく必要があります。他方で、日本においては幸いにもそういった部分では継続した継承の歴史が多く残存していますが、その一方で、カンボジア人が有しているセレモニーをしないと悪夢を見てしまうような、ある種、古代的な感覚の継承はいつからか日本人の中では断絶してしまっているのではないかと思います。もしかしたらそれがいわゆる近代化の影響かもしれませんが、その感覚の喪失は、過去から引き継がれてきたものをどこかで形骸化させ、文化・伝統の継承の本当の意味を少しずつ薄めてしまっている部分もあるのかもしれません。

 

これまでカンボジアにおいてはクメール正月や中国正月、水祭りといったものはカンボジア人を中心に楽しまれてきた行事でしたが、他方でクリスマス、ハロウィン、西暦における年越しのカウントダウンといった欧米由来のイベントに関してはカンボジア国外の人達によるイベントというイメージが強くありました。ただ、ここ数年でその様相は大きく変容し、シェムリアップの夜、最も外国人が集まるパブストリートに、欧米由来のイベントの時期になると、外国人だけではなくカンボジア人も多くあふれかえるようになり、ある種世界的なイベントが年々カンボジアの文化の中に取り込まれていっている様子がうかがえます。日本においても明治頃には同じような大きな変革があったのかと思いますが、現在、プノンペンはもちろんですが、シェムリアップにおいてもそういった流れが加速度的に進み、その影響が近い将来カンボジアの目に見える部分、さらには目に見えない部分にも表れてくるのではないかと思います。

 

日本にいた時にはそこまで感じていなかったですが、カンボジアにいますと、非常に根本的なことではあるのですが、歴史は継承されていくものであると同時に創られ、常に変容していくものであるということ、そして、その一端を端的に示しているのが、各地に残存している有名・無名を問わない重要な遺産・遺物の修復、文化的な儀礼・祭事・技術の継承の作業なのか、と最近改めて強く感じています。

 

これからカンボジアでは経済的、文化的、さらには精神的な面において大きな変化が表れてくると思います。我々、日本国政府アンコール遺跡救済チームとしても本年で第4フェーズを終了し、さらに第5フェーズを継続していく予定ですが、その中で現在カンボジアに残存しているもの、さらには修復・調査の過程で発見された新たな知見の中で、カンボジアで過去から引き継ぐべきものが何かを十分に考え、さらによい未来を創造するにはどうしたらいいのか、代表の中川、多くの関係者の皆様はもちろんですが、何より現地カンボジア人スタッフと一緒に今後も考えていきたいと思っています。


20160201S-01.jpg

 

20160201S-02.jpg

石塚

 

 

 

 

 

現在、日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JSA/JASA)は、バイヨン東門において修復工事を行っています。

その一環で東門と東参道の接続部周辺の整備を実施しようとしたところ、床面下より多くの前身遺構の痕跡が見つかったため、調査を行いました。その結果、東門正面よりこれまでに2つの階段を有する基壇の痕跡が発見されました。

参道が増築される前には、おそらくこれらの基壇がバイヨン東正面の造形を形作っていたのだと思います。しかも、初期、そしてその後に増築したと思われるこの2つの正面の階段の痕跡の間隔は5m程度ですので、バイヨンの正面の造形を決定するのに隅々まで苦慮しながら建造していた様子がうかがわれます。

またその後に増築されたと思われる参道に関しても現在の状態にたどり着くまでに少なくとも1度その形態を変化させたと思われる痕跡が見られます。

さらに床面上には多くの柱穴痕も残されています。現在はこれらの調査成果を基に、どういった建造過程が考えられるか検討しています。


バイヨン寺院は幾度もの増改築の過程を経て、現在の状態になったと考えられています。これまでにパルマンティエやデュマルセ、オリビエ・クニン等によってバイヨンの増改築について研究がおこなわれてきましたが、詳細はいまだに謎に包まれています。今回の発見はそういった状況の中で、バイヨン正面の建造過程に新たな見地を与えるもので、バイヨン研究史の中でも非常に重要な意味を持つものになるかと思います。

今後はさらに東参道全体の調査を行い、バイヨン正面の計画の変遷を追っていこうとJASAとしては考えています。


各段階の痕跡を見ますと、最終的な仕上げの装飾が完成しないまま次々と増築が行われていたようですので、作っては増築し、また作っては増築していくように指示された現場で働いていた方々の気持ちを察すると、個人的には非常に複雑なものがあります。

しかし、バイヨンの魅力的な造形はジャヤヴァルマン7世を始めとした歴代の王、そしてそれを支えた国民等の方々の苦心により生まれたものだと肌で実感できる調査でした。


151107k_01.jpgのサムネール画像

バイヨン寺院東参堂テラス解体前の状態



151107k_02.jpgのサムネール画像

初期のものと思われる階段痕跡



151107k_03.jpgのサムネール画像

初期及びその後に増築したと思われる2つの階段を有する基壇の痕跡(黄が現状では初期のものと思われる痕跡、赤がその後増築したと思われる痕跡)


 

By コウ・ベット、石塚








シェムリアップにて毎年2回開催されているアンコール遺跡群の保存開発のための国際調整委員会(ICC)が6月6,7日に開催されました。ICCに先立ち,ユネスコの専門家,アドホックメンバーが各修復サイトを視察にまわりますが,今回は6月4日にバイヨン視察となりました。

JASAは第四次フェーズが開始され,バイヨン寺院でも様々な新たな事業が開始されています。今回のサイトビジットではこうした事業を包括的に紹介することとなりました。

120604_1.JPG

新設したばかりのバイヨンハットにて事業の広報活動を説明することに始まり,外回廊隅塔の修復工事,外回廊浮き彫り壁面の散乱石材同定調査,参道脇の沐浴池の考古学的研究,内回廊の浮き彫り保存研究,中央塔の基壇安定化の研究,中央塔上部石積み構造への補強設置案の検討,そして参道と回廊の石彫の修復事業の計画についてそれぞれ順にまわりました。最後にはプラサート・スープラの近くにおいて進めている本尊仏の修復・模刻事業の製作現場へと足を運びました。

120604_2.JPG

120604_3.JPG120604_5.JPG

ユネスコからは4名の専門家が視察に来られましたが,各所にて様々な質問と協議があり,今後の方針を検討する上でたいへん有益な場となりました。

特に,今回の視察で重要な課題であったのは中央塔の基壇安定化に関する研究で,これまでの各種調査に対して専門家から高い興味が示されました。過去の発掘孔の補強工とテラス上面の遮水処置については十分な必要性が認められ,今後より具体的な工法を検討する段階に入りました。

120604_4.JPG

ICCは今回からアプサラ機構の事務所ホールにて開催されることになりました。2日間にわたり,実に様々な修復・研究・開発事業についての報告があり,遺跡の保全に対する多様なアプローチがあることを改めて感じる場でした。

120604_6.JPG

また,ICCの翌日にはJASAオフィスにてアンコール遺跡群の構造と水利を議論するワークショップを開催しました。ICCでは広い分野にわたる多数の発表が続きますが,それぞれの報告に対する技術的な議論をする時間が極めて限られています。こうした中,現場で修復計画を立案している主要メンバーが顔を突き合わせ,具体的な議論を交わす場は公式にはあまりありません。今回のワークショップでは特にアンコールの水環境において基壇構造の安定化について深く意見を交換する貴重な機会になりました。(一)
120604_7.JPG

昨年,2011年はバンコクの洪水が広く日本でも報道されましたが,カンボジア,アンコール遺跡もまた例年にない異常な冠水範囲を記録しました。

浸水に伴う地盤の軟弱化により遺跡の倒壊や変状が認められた遺跡もありました。アンコール遺跡群は古代水利都市とも呼ばれるほどに,バライを始めとする大規模な水管理の施設が多数造営された都でした。ここアンコールでは乾季に備えて雨季の間に貯水することが重大事の一つであったことは確かですが,それ以上にいかに効率よく排水し都市の生活環境を維持するかということに高い関心があったように思われます。

120606_1.JPG

通常ではとてもフルには活用しきれない水路や環濠,溜池が不定期におとずれる異常気象時には,きわめて重要な排水施設であったことが実感されます。

昨年の記録的な雨量は11ヶ月間で2000ミリ以上を記録しており,通常の年間降雨量1400ミリ程度を大きく上回りました。

バイヨン寺院も昨年の雨季には周囲が冠水し,あたかも湖に浮く小島のような様相を呈していました。また,アンコール・トム内は広く森が広がっているのであまり被害が目立つことはありませんでしたが,多くの地区が長期にわたり冠水しました。

こ うした状況の中,遺跡の保存開発を担うアプサラ機構は排水のために既存の道路を切断し,また新たに排水溝を設ける処置を施しました。アンコール・トムの北 門橋は部分的に崩壊したため,現在では鉄筋コンクリート造の架橋を構築し,また死者の門にも新たな橋を設置している最中です。

 

120606_2.JPG 120606_3.JPG 120606_4.JPG
120606_5.JPG

アンコール・トム内の排水溝は現地表面を大胆に掘り下げるもので,地中からは多数の遺物が掘り返されているのが確認される箇所も少なくありません。また,道路を切断する工事では20世紀初頭にこの道路を敷設した際に用いた遺跡の散乱石材が多数掘り返され,そのまま放置されています。

120606_6.JPG

120606_7.JPG

こうした排水のための対処が必要であることは確かですが,現状の対応はあまりにも場当たり的なもので,遺跡の構造的なオーセンティシティーの損失,考古学サイトの攪乱,既往修復への不用意な混乱を招いているように感じられます。

当時の都市構造と上下水の管理の在り方を検討し,将来的な研究の妨げとならない方法を慎重にデザインすることが必要です。

アンコール遺跡群では,今年4月に国際的な研究チームが共同で,世界でも考古学研究を目的とした事業としては最大級の航空測量を行いました。現在データの処理が進められているところですが,古代の水利構造の解明,そして現在の水環境の改善にあたり極めて重要なデータになることは間違いありません。

JASAでは日本からの研究者と共同で,これらのデータを利用した水利工学の研究を進めていくことを予定しています。(一)


バイヨン本尊仏の模刻の制作経過を報告します。
3月末に日本から指導に来られた矢野先生が戻られて以降,順調に仏像全面の加工が進みつつあり,顔や腕の外形が少しずつ露わになってきました。
120521_1.JPG
120521_2.JPGグラインダーで溝状に切り込みを入れて,石材表面を少しずつ落としていますが,今回使用している砂岩が一般的なものよりもかなり堅いために,グラインダーのブレードはほぼ毎日新しいものに交換しなくてはならないほどです。

さらなる細部加工に入るにあたり,水平方向の型枠を制作しています。
三次元計測データより断面を原寸でおこしたものをベニヤ板にカーボンコピーで写します。それをジグゾーで切断して型枠にするのです。
120521_3.JPG
120521_4.JPG実際にこうして作成した型枠が正確なものであるかどうかは,オリジナルの仏像で一枚ずつ確かめていきます。
120521_5.JPG
型枠は最終的な形状から少し大きめのものも作り,荒削りから段階的に細部彫刻へと進んでいきます。(一)

昨年末よりJASA第四次フェーズが開始し、外回廊の修復工事を開始しました。工事は南西隅塔より着手しています。

この塔は、一般的な観光順路の一部であったため、これまでは毎日大勢の観光客がこの塔の中を歩いていましたが、上部の石積みが変形し、かなり危険な状況にありました。そのため、今年1月よりこの塔を通行止めとして修復工事を開始しました。

120506_1.JPG修復工事は現状記録から開始されます。この建物は平面が複雑であるため、今回の修復前記録では立面、断面、平面、屋根付図など計20面以上の図面を作成しています。3名が一組になり現場での実測が進められます。今回は細部装飾まで含んだかなり詳細な図面を作成しています。

 

120506_2.JPG 120506_3.jpg建物の回りには多数の石材が散乱しており、その多くが既に壊れている塔の上部のものと推測されます。土砂が堆積しているために、それらの除去を行った後、これらの石材の原位置の記録を行います。

120506_4.JPG 120506_5.JPG 120506_6.jpg記録の終わった石材から移動し、それらの部材の組み合わせる調査に入ります。かなりの部材において隣り合う部材の組み合わせが確認され、原位置も特定されつつあります。

 

120506_7.JPG今後さらに散乱石材の記録・同定調査を進め、基壇の一部解体調査、劣化部材の修復作業などを順次開始していく予定です。(一)

バイヨン寺院の本尊仏の模刻制作がいよいよ本格的に始まりました。

 

2月上旬より石材の粗加工を開始していましたが、本格的な制作開始にあたり、東京芸術大学より仏師の矢野健一郎先生、アシスタントの川島恵さん、そしてコーディネートに千葉真由子さんにお越しいただきました。

現場では5名の技能員が作業にあたっていますが、彼らに対して基本的な彫像の見方、そして作業の工程についての指導が進められています。

まず最初に彫像の表層をなす形状の内部に、人体の骨格や筋肉がどのように表現されているのか、解剖学的に本尊仏を観察する方法について解説されました。続いて、現存する本尊仏が既に修復されており、一部には誤った復元的表現がされていることについて説明され、今回の模刻においての基本的な復元考察の指導が加えられました。

120322_1.JPGバイヨン本尊仏の類例となる彫像として、昨年、タ・プロム寺院のダンシングホールの脇から大型の仏像が出土しているため、この彫像の見学に向かいました。この仏像は頭部はないものの、身体は残存状態がよいため、本尊仏では欠損している箇所の参考となりました。

120322_2.JPG制作の工程は、矢野先生が日本国内で準備された木造のミニチュア像を利用して説明されています。制作過程において一貫して基準となる点、線、面の取り方を明示され、その基準を水平・鉛直方向にとって加工するために、石材の位置が再調整されました。

さらに、レーザーレンジセンサーによって得られている仏像の三次元形状データから、彫像を縦横に切断した断面型枠をベニヤ板より準備しています。この型枠によって立体的に仏像の形状へと彫り進んでいくことになります。

120322_3.JPG

本事業は、「朝日新聞文化財団(日本の仏像修理の技術移転事業)」と「早稲田大学仏教協会支援グループ」からの支援を受けて進められています。(一)

バイヨン本尊仏の模刻制作のために、大型の砂岩新材が現場に到着した様子を先日お伝えしました。

続報です。

 

到着の後、いよいよ彫刻を開始したい・・・と思っていましたが、いざこれだけ大きな石材を前にして、どこから削ったらよいか分からない。。。

という現実があり、彫像の正確な形状をまずは石材に引き写す作業から開始しました。

本物の彫像は過去に三次元計測で形状の記録をしていましたので、そのデータをもとに、実寸大で出力し、そのプリントから全体の輪郭を正確に測ります。

120219_1.JPGそうして測った輪郭を、基準線を墨打ちをした石材の上に丁寧に記し、削り落とすべき不要な部分を確認しました。

この作業をしてみると、かなり大きいと思われていた石材でしたが、幾つかの部分では必要なサイズぎりぎり一杯であることが判明し、一材内にうまく収めるためには基準線等を調整する工夫が求められることとなりました。

120219_2.JPGこうした作業により確実に石材内に彫像がおさまることが確認され、いよいよ荒削りの作業を開始しました。

120219_3.JPGド迫力の石材の前に鑿を握る手にも力が入ります。(一)

JASA第四次フェーズでは外回廊の修復工事が一つの重大な挑戦になります。

 

外回廊は一周約600mで、クメールとチャンパの歴史的戦争の一大絵巻物としての浮き彫りが彫刻されています。戦闘場面の最中には当時の生活風景を伝える心和むシーンもあり、バイヨン寺院の見所として欠かすことができない存在です。

 

現在、外回廊東辺の回廊上に放置されていた崩落部材について調査を進めています。東辺北側の調査が終了しましたが、ジグゾーパズルの結果、150材ほどの部材が見事に組み上がることが判明しました。

120218_1.JPG実は、以前にも写真や三次元測量のデータを元に、パソコン上でジグゾーパズルを行ったことがありましたが、その時には30程の部材が組み上がることが確認されただけでした。

 

熟練の作業員が実際の石材をクレーンによって移動しながらパズルをしていくと、浮き彫りの連続性と部材の微妙な形状より次々と的確な組み合わせが発見され、舌を巻くばかりでした。

120218_2.JPG中には、多くの兵士よりも二回りも大きな戦闘で指揮をとる人物が描かれていたりと、重要な歴史場面がここから明らかになることも期待されます。

120218_3.JPG外回廊の壁体の上面にこれらの石材を復位するために、今後壁体側の調査を進めていく予定です。

また、東辺南側でも散乱部材において同様の調査を進めています。(一)

2011年11月より日本国政府アンコール遺跡救済チームは第四次フェーズを開始しました。

 

2006年に第三フェーズが開始された際に,事業の英語名称はJSA (Japanese Government Team for Safeguarding Angkor)からJASA(Japan APSARA Safeguarding Angkor)に変更され、日本-カンボジアの共同事業であることが協調されることとなりましたが,第四次フェーズではこれまでにもましてカンボジア側の事業への参画を促し,将来的にカンボジアによる自立的な事業の体制へとより軸足を移していくことを目的として,カンボジア政府から一定額の年間事業費を拠出する方向で,日本国政府,カンボジア政府,ユネスコ間での調整が進められていました。

この度,カンボジア政府からの合意が得られ,正式に第四次フェーズ開始の調印式がプノンペンで執り行われました。2016年10月までの5年間の事業では、引き続きアンコール・トム、バイヨン寺院の修復工事に取り組まれます。(一)

120213.JPG

昨年、本ブログにて連載でお伝えしましたバイヨン本尊仏の修復再安置事業ですが、本日、模刻製作のための石材が現場に到着しました。

 

石材はプレア・ヴィヘア州の採石場より切り出されてはるばる運ばれてきました。コンポン・スヴァイのプレア・カーン遺跡のさらに北東に位置する採石場は、現在カンボジアで最も大きな石材を切り出すことができますが、そこから大型トラックにて1日がかりでシェムリアップに到着しました。

 

到着の翌日となった本日の早朝、実際の製作現場となるアンコール・トムの王宮前広場へと移動しました。

朝6時、まだ観光客が遺跡へと足を運ぶ前に、静かに事務所を出発したトラックは製作現場へと向かいました。

石材を積んだ大型トラックの幅は、アンコール・トムの南大門よりもわずか10数センチ狭いばかりで、少しでも運転を誤れば門の中で立ち往生する危険がありましたが、なんとか通過。

 

120127_1.JPGその後、バイヨン寺院の前を通過して、王宮前広場のコンクリートスラブの上に運ばれました。

120127_2.JPG採石場よりやってきた屈強な10名によって、約20トンの巨石は三ツ股によって徐々に引き上げられました。

120127_3.JPG沈んでいたトラックのタイヤが少しずつ伸び上がり、そしてついに巨大な石塊がトラックの甲板の上よりかすかに中に浮くと、そのままトラックが抜けて、その場に無事に下ろされました。

120127_4.JPG今後、彫刻作業が開始され、この巨大な石塊に魂が吹き込まれます。(一)

2011年の仕事納めとなった12月30日に、南経蔵にて出土した鎮壇具レプリカの安置式を執り行いました。

 

20111230_1.JPG南経蔵の室内には修復工事前には盗掘孔がありましたが、解体工事においてこの盗掘孔にて発掘調査をしたところ、建立当初の鎮壇具数点が発見されました。

バイヨン寺院はもとより、アンコール遺跡においてこうした鎮壇具の類が発見されることは極めて稀で、大変貴重な遺物の出土例となりました。これらの遺物は日本に持ち帰られた後、詳細な分析を行い、現在保存処置にかけられており、将来的にはカンボジアの施設にて展示される予定です。

 

この度、レプリカを制作したのは、銅板製であった亀型鎮壇具です(レプリカは砂岩で製作しています)。この鎮壇具はCTスキャンの結果、亀の甲羅が開封できる仕組みとなっており、内部に布に包まれた水晶が発見されました。

基壇の内部に亀型の鎮壇具が安置されていた例としてはアンコール・トム王宮の象のテラスが知られています。1990年代、やはり修復工事の際に複数の亀型鎮壇具が確認されたものでした。それらの遺物には甲羅の上部に小さな穴が穿たれているのが確認されていましたが、内部の開封調査は行われていませんでした。

 

今回、安置式を行ったのは、修復工事に従事したメンバーにより、この修復工事が5年にわたり安全に進められたことへの感謝の気持ちを込めたもので、また、来年からのさらなる安全祈願でもありました。

 

20111230_2.JPG南経蔵の修復工事はこうして無事に完了したかに思われましたが、実は未だ完成には至っていないという状況が発覚しています。。。

というのも、新たに修復工事に着手した外回廊において、散乱石材の原位置同定調査をしていたところ、予期していなかった石積みの中から、南経蔵の石材7点が発見されたのです。

 

20111230_3.JPGいずれも大型の梁材で、再構築後の現状での建物の上層に載せられる部材です。ただし、そのうち3点は2トン近い大型部材であり現状のクレーン配置では再設置ができず、また2点は部材の半分が遺失した状態で発見されており、新材の接合が必要です。このため、再び大規模な現場作業が必要となっています。

 

これらのさらなる発見部材は、再安置された鎮壇具に対する神様からの贈り物であったと思いたいです。(一)

 

*なお、亀型鎮壇国関する詳細を知りたい方は、次のサイトの6.6章をご覧下さい。

http://archives.bayon-project.org/rwsl/report.html

 

 

12月12日朝9時より、バイヨン寺院にて日本国政府アンコール遺跡救済チーム第三フェーズ完了式典が執り行われました。式典はアンコール遺跡の保存と開発のための国際調整会議(ICC)の第一日目の行事として実施され、カンボジア ソク・アン副首相、在カンボジア日本国大使を始めとする各国大使、ユネスコ関係者、アプサラ機構・文化芸術省関係者、国際的な修復・調査隊メンバー等、約300名が出席されました。

 

12月に入り、カンボジアも急速に涼しくなっていますが、当日はスーツ姿が心地よい、やや肌寒いほどの天候で、清々しい透き通った空気の中で厳かに式典が進められました。

 

111212_1.JPG第三フェーズは2006年より開始され、5年半にわたり進められましたが、事業の中心的な仕事として取り組まれた南経蔵修復工事の前に舞台が設けられ、式典は国歌斉唱より開始されました。ユネスコプノンペン代表、JASA共同代表中川武、カンボジア副首相ソク・アンからのスピーチと続き、その後にメダルの授与、そして完成した南経蔵のテープカットが行われました。

 

111212_2.JPG 111212_5.JPG第三フェーズはそれ以前とは事業体制が異なり、日本-カンボジアの共同体制という性格がより強められました。日本では、早稲田大学が事業の運営を担当し、国内の大学、研究所、企業より建築学・考古学・保存科学・地盤工学・岩石学・生物学等の専門家をはじめとして大勢の研究者に修復工事と遺跡保存の研究のために参加いただきました。実に多くの方々の御協力と御指導をいただきました。

南経蔵の部分解体再構築工事の他には、中央塔の構造補強に関する研究、内回廊浮き彫りの保存方法に関する研究、人の増改築や建造方法の解明を目的とした考古学的研究等に取り組みました。また、アンコール遺跡群の国際的な活動や遺跡の歴史を紹介するバイヨン・インフォメーション・センターの開設も大きな試みでした。観光客への事業紹介の他、カンボジア国内の児童・青年にむけた遺跡教育活動に大きく寄与することができたと思っています。

修復工事はこれまでに保存修復の技術移転を進めてきたカンボジア人専門家6名と現場技術・技能員計70名が現場の先頭に立ちました。1994年からの事業発足当初は日本から派遣された多くの施工管理者と石工が現場作業の指導を担当していましたが、今期はほぼ全ての工事がカンボジア人の手で行われるに至っています。

 

人材育成の取り組みが着実に芽を結び、カンボジアの精神的な柱ともいうべきアンコール遺跡の保存をより自立的な体制で推進していくために大きく前進したと思っています。

 

111212_6.JPGまた、式典は2011年より2016年にかけて実施されることが予定されている第四次フェーズの開始式も兼ねて行われました。中央塔・回廊浮き彫りではこれまでの研究成果にもとづき、実施設計・工事に取り組む予定です。また、外回廊の東門、隅塔等の倒壊危険箇所の工事、バイヨン寺院内外の考古学的研究は11月より着手しました。

 

今後とも多くの方々に支えていただきながら、様々な人と人、そして学問間での自由な連携を目指し、また個々人がより高い技術レベルで修復工事や各種専門の研究や仕事に取り組めるよう努力していきたいと思っています。

今回は竣工式典のご報告ができ、団員一同心より喜ばしく思っております。ありがとうございました。

 

 

*第三フェーズの事業報告書は以下のサイト内のRestoration Reportにてご覧いただくことができます。
http://archives.bayon-project.org/rwsl/index.html

工事図面など一部サイトの工事中となっておりますが、近日中には全ての製作が終わる予定です。

日本国政府アンコール遺跡救済チームの第四次フェーズが2011年11月より開始されました。第三フェーズが完了してから二ヶ月間ほど現場作業は休止となりましたが,再び現場での作業が開始となりました。

第四次フェーズでは,これまでに基礎研究を続けてきたバイヨン寺院中央塔,内回廊浮き彫り,そして外回廊を中心とした危険箇所の修復工事に2016年までの5年間にて取り組む予定です。

 

11月の事業開始直後は,前フェーズで修復工事を行った南経蔵における新砂岩材の最終仕上げを行い,11月2週目に全ての作業が完了しました。完了とともに,工事の竣工写真の撮影を行いました。午前・午後と光の調子の違う時間帯にクレーンに吊られてバイヨン寺院の上空をゆっくりと移動しながらの撮影では,ようやく修復工事が終了したという実感が深くこみ上げてくるものでした。

空中を立体的に動きながら視点が漂っていく中で,バイヨン寺院の塔を形作る無数の顔が,現れ・消えていく様子を眺めていると、とらえどころのない無形の世界の中をうつろいでいるような不思議な感覚にとらわれます。

111118_01.JPG 111118_02.JPG今回撮影した記録写真は事業報告書に掲載するためにすぐさま編集データへと組み込み、12月半ばに予定されている竣工式典には写真記録とともに、報告書の配布がされる予定です。(一)

2011年7月末日をもってバイヨン南経蔵の修復工事がほぼ完了しました。

 

110805_0.JPGほぼ、と加えたのは、工事完了後の図面作成、写真撮影、三次元形状計測、報告書作成、中央孔の埋め戻し、一部の新材の装飾仕上げの調整、経年変化観測のための基準点設置、といった作業が残されているためです。

こうした残りの作業は9月より開始し、今年12月に予定されている竣工式典までには完璧な状況で工事と報告が完了する見込みです。

 

2006年5月より修復設計や工事現場の設営が開始され、2007年1月2日に南経蔵の最初の石材が解体されてから、これまで約5年の歳月をかけて南経蔵の部分解体再構築工事が進められました。

バイヨン南経蔵は、1994年から1999年にかけて修復工事が実施された北経蔵とほぼ同規模・同形式の建物です。石積みの変位や石材の劣化状況も類似しており、基本的な修復の方針や方法は過去に実施された北経蔵の工事に準じたものでした。とはいえ、基壇内部の版築土の構成や、基壇内部に発見された入れ子状のラテライト構造体等は、南北の両経蔵で異なるものであり、また上部石積みに遺失部材が多いといった特徴もありました。

さらに、北経蔵の修復工事が10年を経た段階で、石目地の充填材等における弱点も認められ、新たな材料開発への取り組みもありました。

版築土の配合の改良や、充填材の開発、また基壇の内部構造の解明にあたっての考古学的研究においては、日本人専門家による研究、試験や解析が重要な役割を果たしました。

 

しかしながら、南経蔵におけるもっとも大きな挑戦は、一連の工程を現地スタッフによって取り組み完成させたことに他ならず、この点において大きな成功を達成したと考えています。また、現場での技能員を統括するカンボジア人専門家が協調体制を築いて工事にあたり、全ての作業をまっとうしたことも大きな成果といえるでしょう。

 

110805_1.JPGこの5年の間には、南経蔵の修復工事の他に、中央塔の構造安定化のための研究、浮き彫りの石材保存のための研究、バイヨン内外の考古学的発掘調査が科学研究費等の事業との連携のもとに実施された他、コー・ケー遺跡群やベン・メアレア遺跡群の建築学的研究やサンボー・プレイ・クック遺跡群の保全活動も連携的に進められました。

 

こうした遺跡の保存修復や研究に加えて、こうした活動の広報事業への取り組みは大きな展開となりました。バイヨン・インフォメーション・センターの開館はその一つの契機となりましたが、それ以上に、観光で訪れた沢山の方々が遺跡の修復現場を見学され、修復工事そのものについて知っていただき、修復という事業を通じて歴史的な価値を見直すばかりでなく、今に生きる人々がどのように遺跡と関わっているのか、様々な側面にふれれくださったことは、この事業に新たな意義をもたらしました。

JSTのメンバーに加えて、こうした活動に新たに多くの方々が関わり、協力いただいていることは、遺跡修復に関連して、地域生活や教育の改善という社会的側面に大きな可能性があることを良く示していると思います。

 

バイヨン南経蔵の修復工事は、多くの方々のご協力のもとに完了にこぎつけることができました。心より感謝いたします。そして、第四期目の事業においても、挑戦のターゲットを新たに掲げて前進していきたいと思っています。「慈愛の寺院-バイヨン」がこれからも多くの方と共にありますよう。

 

ーーーーーーーーーーー

8月2日にオフィスのホールにて、工事(ほぼ)竣工の祝典を設けました。常設の展示を取り外し、現地スタッフにて工事完了のお祝いです。下の写真は始まりの場面。最終的には、漆黒の闇が濃くなる中いつものようにグルグルと踊って・・・中盤以降の写真は掲載しません。ご想像にお任せします。(一)

110805_2.JPG

第三フェーズの事業も完了を間近にひかえ、バイヨン南経蔵の修復工事は残り一週間で全ての工程を終える予定です。

今日は最上層の石材の設置と、その後にクレーンに吊られて上空からの写真撮影、再構築後の部材劣化の確認と、劣化部分への強化剤の注入作業、そして足場の修正、新材の最終仕上げ、などの他、修復現場に設置していた各種機材の解体と倉庫への移動、そして倉庫の清掃と移動機材のリスト化などを行いました。

また、日本からは中・高校生のスタディーツアーがやってきて、ちょうど最後の大型部材の再構築の現場に立ち会うことになりました。

このところ、アンコールは雨が続き、空もどんよりとする日が続いていましたが、今日は久しぶりに抜けるような青空に沸き立つ入道雲。バイヨンの複雑に入り組んだ塔群の輪郭が強烈な日差しに照らし出されて、強く雄々しい石積みの表情を見せていました。

 

約70名のスタッフと共に5年間にわたり第三フェーズを進めてきましたが、9月から予定されている第四フェーズの開始の前に彼らの多くは一度解雇し、再び次フェーズの始まりと共に再雇用ということになります。事業そのものは予算規模縮小の方向で現在調整が進んでおり、それに見合った修復計画を立案しているところです。

そのため、現在仕事を共に進めているメンバー全員が再び顔を揃えて仕事ができるのかどうかは現時点では定かではありません。事業の移行期においては、現場のだれしもが、今後の計画に注目し、再び仕事に就くことができるのかどうか、そして就いた場合には、雇用条件がどうなるのかと皆ナーバスになっています。

できるだけ現状の仕事に支障をきたすことのないように、こうした話題にはふれずに、目の前の仕事にだけ集中してもらえるようにと、これまでは配慮してきましたが、今後の具体的なスケジュールや次の事業期間におけるメンバーの見通しなどについて、いよいよ今日伝えなくてはならなくなりました。

 

現場近くに最近完成した展示小屋には、みな心配して、緊張した面持ちで待ちかまえており、そこで話をすることになりました。

まだ今後の具体的な予定については定まっておらず、正確な事を伝えることは出来ない状況ではありましたが、そうした調整段階であることも含めて、また、全体としてはメンバーを縮小する可能性が高いという状況を伝えるのは、彼らの前に立つと大変難しいことを実感せずにはいられませんでした。

 

これまで、修復現場で仕事をしていると、中には隠れてさぼっていたり、どうにも手を抜いていることが明らかだったりというような作業員もおり、全体の指揮を考えてもこうしたメンバーには外れてもらった方が良いだろうと、頭に来ることもありましたが、いざ、全員を前にして、メンバーを減らして次の事業に臨むと言うことを伝える段になると、なかなかそれを口にすることはできないものでした。

 

彼らの生活環境や給与額を考えても、またこのきつい日差しの下で仕事を続けていることを思っても、真面目に毎日長時間の現場仕事を続けるのは酷であることに違いありません。

そもそも、この事業は遺跡の修復をすることを目標としていることに加えて、修復を実施するための専門家や技能員を育成することが最重要の課題としてあります。この5年間で、一通りの修復工事を彼らが実現したことによって、その目標はほぼ達成されたといっても良いでしょう。

修復工事にあたっては、様々な専門技能を要する職人が協働して作業にあたることになりますが、そうした一通りの専門工が育成されるに至っています。

 

しかしながら、彼らを受け入れるカンボジア側の体制はほとんど整備されていないといのが実状です。遺跡の観光客受け入れに要する施設や人員は整ってきましたが、遺跡を保護するための専門家や技術者を適切な条件で受け入れる体制、そのための予算、現場の人員への定期的な給与支払いや福利厚生、必要な資機材を迅速に調達する仕組み、修復のための基礎的な研究を承認する組織体制など、至る面で不十分な段階に留まっているというのが現実です。

技術移転によって育成された人材が活躍することのできる体制をいかに整えるのか、ということに、もっと真剣に取り組んでいく必要があります。

しかしこの現状に正面から向き合っている組織はありません。こうした具体的な問題が起こって、これを投げかけても、これを打開するための動きに反応する組織がないのです。第四次フェーズでは、カンボジア人による組織を自立化させることができる体制造りを現在目指して、検討を進めていますが、乗り越えなくてはならない壁は少なくありません。

 

今回修復工事が完成するバイヨン南経蔵は規模こそ小さいものですが、極めて質の高い修復工事であると誇ることが出来ると思います。と同時に、バイヨンを修復した現チームのスタッフはいずれも十分な技量を有しており、彼らこそが事業の成果そのものです。

 

この貴重な人材が、今後も適切な仕事を担うことができることを願わずにはいられません。

バイヨン寺院の南側に新しく「バイヨンハット」なる施設の建設を進めています。

 

遺跡訪問客に対して、バイヨン寺院の修復工事や歴史について分かりやすく紹介することを目的とした施設で、事業事務所内に開設している「バイヨンインフォメーションセンター」の姉妹施設となります。

下の写真は今年2月に着工してからこれまでの経過です。現在瓦葺きまで完成しました。

P1100881.JPG P1110545.JPG P1110891.JPG P1130062.JPG建設工事と同時に、内部の展示計画の準備を進めています。

暑さの中でもあまり疲れず、しかし誰もが足と留めたくなるような興味深い展示にしたいと思っています。こうした展示をぜひ!という御意見があればぜひ連絡下さい。

オープンは今年8月ごろを予定しています。(一)

バイヨン南経蔵の修復工事はいよいよ大詰めに入ってきました。今年7月末の工事完了期日まで残すところあと3ヶ月。

一年で最も気温が高くなる酷暑の中、現在は基壇上部に載る壁体の再構築工事を進めています。

 

P1110550.JPG P1110914.JPGまた、新材の最終仕上げにも着手し、最終的な竣工イメージが少しずつできつつあります。(一)

P1110911.JPGP1130050.JPG

バイヨン寺院の南北外縁にて2月から4月にかけて日本国政府アンコール遺跡救済チームでは考古学的発掘調査を実施しました。

P1110138.JPGこれは昨年末から今年初めにかけて実施した外回廊南地区における発掘調査の継続研究にあたるもので、前調査で出土したトンネル遺構の端部検出と、1999年にJSAにて実施した寺院北のロングトレンチの土層断面の再確認を目的にした調査です。

P1100867.JPG排水を目的にしたラテライト造のトンネル遺構は、周回道路の内側に先端があることが確認されました。端部のレヴェルが現地表面よりかなり深くにあるため、この施設が生きていた時代の周囲の地盤造成状況にさらなる課題が残される結果となりました。

北側のトレンチでは外周壁遺構の下層の掘り込み地業についての確認が主な目的となりました。加えて、外回廊南側で確認されたトンネル遺構が、北側の対称地区にも存在するかどうか確認するための調査も実施しました。

P1110162.JPG

現在、これらの発掘トレンチの埋め戻し作業を進め、報告書の作成に向かっています(一)。

平成19年より22年にかけて科学研究費補助金 基盤研究(A)にて進められてきたアンコール遺跡における考古学的研究の成果報告書が刊行されました。

内容は以下の通りです。

 

「アンコール遺跡における出土貿易陶磁の様相解明」(研究代表者:山本信夫 早稲田大学理工学研究所准教授)

 

1. 調査の目的・体制・既往調査・各自調査の内容 (山本信夫)

2. 南経蔵と周辺部の調査 (山本信夫 他)

 2.1 南経蔵における発掘調査

 2.2 通廊Cとその下層遺構の発掘調査

3. 考古学と建築学における課題 (下田一太)

 3.1 中央孔より出土した鎮壇具の概要

 3.2 バイヨン寺院の内外回廊の建造過程をめぐる再考察

4. 中央塔の調査 (下田一太 山本信夫 他)

5. 寺院外郭南東部の調査 (コウ・ベット 山本信夫 他)

6. 発掘調査整理基準 - 遺構編 (山本信夫)

7. 鎮壇具の保存処理 (佐藤亜星)

8. 金属製品の文化財科学的な調査 (山口将史 平尾良光 他)

9. 石材と土壌に関する分析方法 (ロバート・マッカーシー)

 

なお、バイヨン寺院における考古学的研究は、引き続き本年度から4年間の研究補助金を得て継続することとなりました。今後はJASA第四フェーズとの密接な関係の中で、特にバイヨン寺院の東側正面における考古学的発掘調査を主眼として進めていきたいと考えています。(一)

2006年より2010年にかけて進められてきたバイヨン寺院浮き彫りの保存方法の研究の報告書が4月にまとめられました。

報告の内容は以下の通りです。

 

『アンコール遺跡・バイヨン寺院浮き彫りの保存方法の研究』

科学研究費基盤研究(A)(研究代表者:沢田正昭、国士舘大学21世紀アジア学部教授)

 

「はじめに」 沢田正昭

「アンコール遺跡の建築と美術 -バイヨンのバス・レリーフから考える」 中川武

「石材劣化機構の研究 バイヨン内回廊における含水率測定および表面吸水量測定-レリーフの保存に向けて」 内田悦生 他

「着生微生物に関する研究」 片山葉子

「三次元計測・スペクトル情報の研究」 池内克史

「バイヨン寺院浮き彫りの保存修復に関する実験的研究」 松井敏也 他

「保存修復材料のケースヒストリー」 井上才八

「古写真資料に見るアンコール遺跡群の保存履歴」 下田一太

「古写真から見たバイヨン寺院における修復の実態」 朴トンヒ 他

「バイヨン寺院内回廊屋根の保存における課題」 千葉麻由子

「おわりに」 沢田正昭

 

報告書をご希望の方は部数が限られていますが、ご連絡頂ければ送料を負担いただいた上でお送り致します。(一)

JASA第三次フェーズの最重要事業であるバイヨン南経蔵修復工事も残すところ半年になりました。

2010年12月末の時点で上部基壇の再構築までが完了し、残すところ、床面・壁体・柱・屋根の再構築となりました。工事の中でも最も慎重な仕事が求められた中部基壇と上部基壇間での石積みの調整作業が無事に完了し、後は構造的な補強と室内の排水に留意しながら、上部構造を再構築していきます。

101231-1.JPGまた、2011年8月からの第四次フェーズの継続が決定し、現在は事業内容や体制について日本政府-ユネスコ-アプサラ間での検討が進められています。

 

2010年の大晦日、事業事務所であるシェムリアップUNESCO/JASAオフィスでは全団員計70名にて恒例の忘年会を開きました。通常は展示施設であるホールの展示パネルなどを全て外し、八角形のホールは踊りながらグルグルと回るスタッフの渦が永遠と回るようでした。

101231-2.JPG2010年も多くの方からの支援をいただき、様々な活動を行うことができました。

来年もまたどうぞよろしくお願い申し上げます。(一)

バイヨン南経蔵の修復工事では、上部基壇と壁体の現場での仮組み作業が完了しました。

DSC03849.JPG壁体や屋根の仮組み作業は、昨年にもコンクリートスラブの上で行っていましたが、基壇上で改めて実施することで、多少の調整が求められる結果となりました。

特に中部基壇上面では石材が内側に回転するような変位が連続的に認められたため、これを調整するための方法について検討が求められました。また、基壇隅でのラテライトと砂岩材の突き合わせの調整にも幾つか難しい点が生じました。

DSC03828.JPG数度にわたる仮組み作業の結果、納得のいく結果が得られ、この位置関係を慎重に記録しながら、再び解体、そして10月初めより、上部基壇の再構築を開始する予定です。(一)

国士舘大学大学院 文化遺産マネージメント分野 朴東煕

 

何か大きく感動を受けた人はその感動を他の人にも伝えたいものだ。

 

2年前、アンコール遺跡で大きく感動を受けたことがある。アンコール・ワット(Angkor Wat)から北東に約15km ぐらい離れたプノム・ボック(Phnom Bok)という小さな寺院でのことであった。そのとき受けた感動は自分がまるで美しい絵の中に入っているような錯覚まで起こすほどであった。そしてこの気持ちを他の人、もっと多くの人に伝えたい欲望、いや義務感を感じた。自分に何ができるかは分からないが、頑張ってみることに決心した。

 

 

P01.jpg 

P02.jpg

アンコール遺跡群 プノム・ボック寺院

 

  今の私は「遺跡保存」という分野でその方法を探している。2年間勉強したが、「これが遺跡の保存である。」という解答はまだ見えてきてない。ただ、感じるのは遺跡保存には多様な要素が複雑に絡まっているということ。学術分野だけでも歴史学・考古学・建築学・美術史学・保存科学・民俗学・岩石学・生物学などが複合的に連係しているし、学術分野以外に観光・政治・宗教・哲学・地域社会などが尖鋭に対立している。遺跡を保存するためにはどれ一つ見逃してはいけない。

 

 

 ただし、遺跡の保存にあってもっとも基本になるのは人々の関心ではないかと思う。

 

 遺跡に関する関心。果たして一般人々はどの程度興味を持っているだろうか。どのぐらいの頻度で遺跡を訪れているだろうか。このような疑問に関する調査がタイで行われた事例がある( 高田真希、「タイにおける文化財の社会的役割に関する研究」、修士論文、筑波大学大学院芸術研究科、2005) 調査結果、バンコクの場合78%で、5人のうち4人は遺跡に興味は持っていた。これは相当に高い数値である。しかし、実質的な遺跡訪問頻度は平均1で年に1回にも至っていなかった。

 

 

 カンボジアの人は遺跡にどのぐらいの関心を持っているか。この疑問に対してアンケート調査を実施した。その結果は相当に意外であった。100人のアンケート調査の結果97%関心がある」を選択したのである。このような結果は遺跡への関心だけに止まらず、実際の訪問回数でも現れた。アンコール遺跡が位置している Siem-Reapの場合は50%以上の人が1年に10回以上遺跡に訪れているし、カンボジアの首都であるPhnompenh50%の人が1年に2回以上訪れたという結果が得られた。この数値はタイと比べて相当に高く、他の国と比較しても例を見ないほどの高い数値であろう。このように人々が遺跡に高く関心を持っていればきっと遺跡の保存の未来も明るいはずである。

 

 

 それ以外にも遺跡の価値に関する認識調査、文化に関する認識調査を行った。その結果カンボジア人は遺跡の意味を歴史・観光・誇り・教育など多様な範囲にわたって認識していた。(アンケート調査に関する詳しい内容は「朴東煕、()アンコール遺跡の保存と活用、国士舘大学大学院修士論文、 2011; 発表予定」を期待して下さい)

 

 

  今回の調査結果は個人的には予想し得なかった結果であったが、私にとって満足できる結果であった。このような遺跡への高い関心と理解があればアンコール遺跡の保存も近い将来にカンボジア人の手で行われることだろう。(P)

 

 

(P) 筆者紹介 : 朴東煕, 1984年生まれ、韓国・プサン出身、韓国伝統文化学校で保存科学を専攻し、 2009年から国士舘大学・文化遺産マネージメント分野修士課程に在学中、2008 7月から7ヶ月間JASAのインターンを切欠にカンボジアとの縁が始まった。

 

バイヨン寺院の浮き彫りの劣化が進行していることが確認されていますが,その一つの原因は石材の表面に着生している微生物の影響であると考えられます。これまでにも様々な研究が進められてきていますが,今年度もいくつかの微生物学からのアプローチによる石材劣化に関する研究が実施されました。

調査には東京農工大学の片山葉子先生,久住朝子さん,佐賀大学の染谷孝先生,そして香港大学のGu先生が参加されました。

 

 

DSC03891.JPGいくつかの調査課題について並行して取り組まれましたが,今回は寺院内の空気中に漂う微生物の採取,石材表面の色調にともなう微生物群の差異に関する調査,藻類を駆除する可能性がある微生物の生育実験,石材表面に固定された窒素濃度の分析等が主に行われました。

 

DSC03854.JPG 

石材劣化のメカニズムは岩石や生物の複雑に入り組んだ諸相が影響して進行するものであると推測されています。着生している生物群相を解明することに始まり,それらが劣化のメカニズムのどのような過程に寄与し,それがどの程度の影響力を有しているのか,さらにはその影響を低減するための方策を導き出すこと等々,様々な困難な課題が残されています。(一)

「自立のための道具の会」より、石彫・木工道具多数を寄贈いただきました。自立のための道具の会は日本国内で使われなくなったノコギリやカンナなどの道具を整備してスリランカなどのアジア各国に贈り、それらの使い方を指導している団体です。

今回寄贈いただいた道具はバイヨン遺跡の修復工事とアンコール・クラウ村での石工アトリエなどで利用する予定です。

 

届いた道具はさっそくバイヨンの修復現場に運び、現地の作業員と開封し、数々の道具を確認しました。ノコギリやカンナの他に、ハンマー、ノミ、水平器、金尺、メジャー、金ヤスリ等々。

いつも使用している道具と比較しながら手に持って吟味していましたが、色鮮やかでグリップがしっかりしたハンマーは特に魅力的であるようです。

興味深かったのはカンナを手に取った時で、日本の引き鉋が世界でも珍しいのですけれども、それらを押して使おうとする様子が見られました。カンナとノコギリを引いて使うことを説明し、少し実演して見てもらいましたが、それぞれやや難儀しているようでした。

100615_2.JPG

引き鉋に苦労する修復現場の棟梁と横で心配そうに見守る副棟梁

それと、特に重宝だと言われたのが、細い金ヤスリで、ノコギリの目立てをするのに使いたいという申し出が数名から出ました。

石ノミは現在使用しているものと形状が異なるものも多く、いろいろと試してみたいということですぐに現場作業で使われ始めました。

100615_1.JPG また、これらの道具が村でも使用されるようになりましたら、続報をお伝えしたいと思います。

「自立のための道具の会」

http://www.pref.aichi.jp/kokusai/13database/13up/TFSR.htm

バイヨン南経蔵の修復工事は下部基壇、中部基壇の再構築を完了し、上部基壇と壁体以上の上部構造体の仮組み工事に入りました。

 

これまでの約一年半の現場作業の中心は基壇の再構築工事で、外装(構造体でもありますが)の砂岩とその背面の構造体であるラテライトの再構築、そして基壇内部の版築土の突き堅め作業が進められてきました。特に、版築土の作業は、材料の準備、配合、現場締め固めと大人数で行う重労働が続く大変な作業でしたが、これでようやく一段落となります。

 

100428_2.JPG上部構造の仮組み工事は、既に別サイトで行っていますが、今回は最終的に再構築することになる基壇上、原位置での作業となります。この仮組み工事が終わると、ついに最終段階の上部構造の再構築工事に入りますが、仮組みで各部材の位置関係がしっかりと確認することが最終工程に進む上でとても重要です。

100428_1.JPG

本修復工事は基壇の部分解体としているために、解体した基壇四隅とオリジナルのままに残した基壇中央部の間で、多少の変形が残されることになります。この変形をいかにして吸収し、安定した上部構造の再構築を図るための検討が、この仮組み工事で進められます。今後の約半年間は、数ミリ単位で慎重に大型の石材の位置合わせを行う工程になります。(一)

1月半ばに開始されたバイヨン寺院での発掘調査ですが,早二ヶ月が経ちました。これまでにバイヨン寺院外回廊の南側3カ所で発掘調査を進めています。

 

最も大きなトレンチは外回廊から寺院周回路までを横断するかなり長いものです。寺院建立とその後の増改築の過程や年代を推定するために有用な様々な痕跡や遺物が収集されています。

 

このトレンチの西側,外回廊の基壇側壁の排水口から外側に広がる地点での発掘調査では,外回廊からさらに周囲へと延びる暗渠が発見されました。この発見はカンボジアの英字新聞Cambodian Dailyにも紹介されました。この暗渠の精査はこれから行っていく予定です。

 

3番目,東側のトレンチでは,バイヨンを囲繞するラテライトの周壁を確認することを目的としています。この調査により,ラテライト周壁は人為的に取り壊され,歩廊とされた可能性が得られています。また,この周壁の増築時期については既往の認識年代とはやや異なる可能性が高まってきています。

 

発掘調査は4月以降にも部分的に継続する予定ですが,5月からは雨季が始まりますので,雨水や地下水との困難な勝負になることでしょう。(一)

 

 

本調査は日本政府文部科学省科学研究「アンコール遺跡における出土貿易陶磁器の様相解明(研究代表:山本信夫)」によって行われています。

2月3日から3月3日までの一ヶ月間,韓国ソウルのSoongsil大学の建築学科学部生4名が,バイヨン寺院の研究を課題としてJASAプロジェクトにて研修を行いました。海外の学生に対するインターンシップとしては始めての試みでしたが,参加した学生が熱心であったこともあり,実際の修復工事に対しても有用な一定の成果があげられました。参加した学生にとっても,とても有意義な体験であったと思います。

 

参加学生は学部3年生のKim Min,Lee Sojin,Park Yurie,Kim Minwooの4名です。最初の一週間はアンコール遺跡群内の様々な寺院の見学にまわった他,バイヨン寺院内での修復工事や既往の研究について学びました。

その後は,バイヨン寺院外回廊東門を対象として,散乱石材の原位置同定のための調査を行いました。

 

 

korea2.JPG 

この建物は,過去にEFEOによって修復されたことがありますが,クメール・ルージュによる内乱の時代に再び倒壊し,現在では石材が散乱したままに放置されています。参道より入った観光客が真っ先に目にする建物でとても重要な位置を占めていますが,残念ながら境内でも最も状態の悪い建物の一つです。

 

この建物を構成する石材が室内外に散乱したままとなっていますが,これらの石材の現在の位置を記録し,それぞれの石材の特徴から原位置を特定し,建物の復元考察を行おうとするのが今回の研修の課題でした。記録にあたっては,三次元計測のデータを利用するとともに,現場での簡易的な採寸なども行いました。また,計300以上の石材を個別に記録し,目録化しました。原位置の特定は必ずしも十分には行うことができませんでしたが,大型の部材についてはある程度の見当を付けることができました。

 

建物の図面化や部材の記録は,対象とした建築を理解するための最も近道ともなる作業で,外から漫然と眺めているときには気付かない様々な建築的な特徴を理解することができます。一ヶ月間という短い期間でしたが,アンコール建築についてある一定の理解が得られたことと思います。

 

korea.JPG 

大学や組織などに縛られることなく自由な意志によって参加した学生にとって,こうした日常からかけ離れた環境における異文化への接触は(といっては大袈裟ですが),その後の人生の幅を広げる体験となることでしょう。参加者からのメッセージを今後紹介したいと思います。(一)

日本国政府アンコール遺跡救済チームは、1月12日よりバイヨン寺院外回廊の南側で発掘調査を開始しました。

 

バイヨン寺院では1999年に内回廊の北側に、外回廊を解体し、これを横断する発掘調査を行っています。また、2007年にはバイヨン南経蔵の周囲でも発掘調査を行いました。今回の調査はそれらの継続研究にあたります。

バイヨン寺院の建設工事における掘り込み地業や回廊周囲の土中に埋設されている遺構について、寺院北側との比較を通じて検討することが一つの目的です。

調査の開始にあたり、南経蔵と同一の基準線を外回廊の外側に引き出すための測量、基準点の設置、調査前記録、発掘予定地区の草刈りなどを行いました。

 

100112.JPG明日から、本格的な発掘調査を開始する予定です。(一)

 

1月6日より12日にかけて,インドネシアより3名の遺跡保存の専門家がJASAを訪れ,カンボジア・アンコール遺跡における遺跡保存の現状を視察し,意見交換を図る研究交流が行われました。

 

中部ジャワ考古遺跡管理事務所よりIndra Ismail氏,ジョグジャカルタ特別州考古遺跡管理事務所,プランバナン課よりHariana Surtaningsih女史,ボロブドゥール遺跡保存研究所よりAri Swastikawat女史,そして通訳のFajar Nusajati氏と,本事業を実施している筑波大学より松井敏也先生他,研究員の方々が来られました。

バイヨン寺院をはじめとして,アンコール・ワットやバプーオン,タ・プロム,チャウ・サイ・デヴァタなどアンコール遺跡群における様々な国際的な修復活動の現場を訪問し,保存修復の技術面や管理面での比較,そして遺跡の劣化状況に関する視察を行いました。

事務所ではカンボジアとインドネシア双方での活動の状況をそれぞれが報告すると共に,様々な意見交換が行われました。

 

100111_1.JPG本事業は文化庁から文化遺産保護国際貢献事業として筑波大学に委託された「インドネシア・ボロブドゥール遺跡保存のための拠点交流事業」の一環として行われたものですが,もともと2006年5月にインドネシアでおきた地震によるプランバナン寺院などの遺跡倒壊が契機となって開始されました。

ボロブドゥールは1970年代にインドネシア政府とユネスコが協力して大々的な修復工事を行っていますが,その工事後にも未だ保存にあたって様々な問題が生じており,現在でも小規模な保存処置が継続されています。

東南アジアの二大仏教遺跡である「ボロブドゥール」と「バイヨン」とで,様々な共通する問題を議論し,相互に有益な交流の機会となりました。ぜひ,今後もこうした研究交流の場が設けられることを願っています。(一)

12月15日に,アンコール遺跡の保全と開発のための国際調整会議(International Co-ordinating Committee for the Safeguarding and Development of the Historic Site of Angkor)がシェムリアップにて開催されました。

 

091216_2.JPG 

会議は年に二回行われていますが,12月はPleriminaly sessionで,技術的な協議よりも,より政治的な問題,そして観光都市として発展を続けるシェムリアップの開発が議題となります。日本からはシェムリアップ市の水供給事業に関するJICAからの報告と,JASAのバイヨン修復事業に関して外務省文化交流室から報告がありました。修復事業については,1994年に開始され今日に至るまでの支援の経過について報告された後,今後もアンコール遺跡の保全のための貢献を継続する方針が発表されました。

 

会議の途中で、タニ窯痕に新設された博物館の開館式が開かれました。

 

091216_4.JPGこの窯痕では奈良文化財研究所と上智大学が発掘調査を行いましたが、そこで出土した陶器などの遺物を展示しています。シェムリアップの東側、チャウ・スレイ・ビボール遺跡の近くに位置し、市内からは40分ほどで 訪れることができます。

 

091216_3.JPG 

会議の前日に行われたサイトビジットでは,アプサラ機構によって進められている北バライの再活用事業の様子を現地視察すべく,北バライからプレア・カーンそしてニャック・ポアンと見学しました。アンコールトムから真北に延びているかつての土手を利用することで,北東から南西へと緩やかに勾配のあるアンコール遺跡群を流水する河川や自然流を堰き止め,これを新設した水門から北バライに引き込むという事業です。また北バライの決壊していた数カ所の土手が再構築されました。その結果,今年は記録的な大雨が降った時期があったことにもよるかもしれませんが,北バライの貯水に成功し,これを農業用水などに利用する方向性が見えてきました。

 

091216_1.JPGしかしながら,一方で,北バライの中央に位置するニャック・ポアンでは,溜池の水嵩があがり,景観としては美しくなりましたが,基壇の崩落が発生するなどの問題も出てきています。

今後の対策に関心が集まるところです。(一)

12月6日にシドニー大学が進めているThe Greater Angkor Project, the Living with Heritage Projectが主催のシンポジウムがシェムリアップにて行われました。この事業は今年で10年目を迎えるもので、アンコール遺跡群の古代都市・寺院の諸相を明らかにすることを目的として、リモートセンシングや地下探査、発掘調査により様々な研究が行われています。数年前にはシェムリアップに研究センターを構え、活動はより活発なものとなりました。

このシンポジウムでは、研究事業を支えている約20名の研究員から、これまでの調査の結果と現在の進捗状況について報告がありました。

091214_1.JPG

翌週12日、13日には、シドニー大学とEFEOの共同主催による国際会議「New Approaches to Old Texts: Cambodian Inscriptions in the Digital Age」がシェムリアップにて開催されました。

東南アジアを研究対象としている碑文研究者と、情報学系の研究者、そしてカンボジア内の遺跡で調査事業を進めている研究者により、現在の金石学研究の様相と、それらの記録・目録化の現状、そして将来的に碑文以外の様々な考古学的データの統合方法について、それぞれの立場からの報告を行い協議しました。

 

DEC12_version9.pdf

(一)

11月21日、国士舘大学アジア・日本研究センター、早稲田大学・日本政府アンコール遺跡救済チーム(JASA)、朝日新聞社、朝日新聞文化財団主催のシンポジウム「アンコール遺跡・バイヨン寺院を護る」が国士舘大学、世田谷キャンパスにて開催されました。

 

091122-1.JPGhttp://www.a-jrc.jp/2009/10/20091121.html

現在、バイヨン寺院では南経蔵の修復工事が進められているのと並行して、バイヨン寺院内回廊の浮き彫りを保存するための方法について研究が行われています。この研究の経過報告を行うのがこのシンポジウムの一つの大きな目的でした。

 

 

 

 

報告は、アンコール遺跡チームの代表である中川武教授(早稲田大学)に始まりました。アンコール遺跡群の特質からこれまでに行ってきた修復活動の報告、そして将来的な活動の方向性について示されました。

続いて、内田悦生教授(早稲田大学)より、アンコール遺跡群の石材を対象とした一連の研究成果、そして、浮き彫りの劣化の状況などについて報告がありました。

さらに、片山葉子教授(東京農工大)からは、石材に着生している微生物の同定や、石材に対する影響について研究結果の報告がありました。

 

091122-2.JPG休憩をはさんで、本シンポジウムの主催者である沢田正昭教授(国士舘大学)より、浮き彫りの保存方法に関するこれまでの試験経過と方針が示されました。

最後に、池内克史教授(東京大学)より、バイヨン寺院のデジタル記録についての取り組みについて、奈良からスカイプを使っての報告がありました。

こうした研究報告の後に、朝日新聞、天野幸弘氏を司会として、講演者5名に松井敏也(筑波大学)、下田一太(早稲田大学)を加えての総合討議を行いました。

091122-3.jpg 

 

バイヨン寺院を訪れた方は、クメール軍とチャンパ軍の戦闘の場面を中心として、その最中に垣間見られる当時の日常的な生活風景などが描かれた外回廊の長大な浮き彫りに目を奪われます。その一方、当時の伝説や神話を題材として描かれた内回廊の浮き彫りは一般的な観光コースからは外れることが多く、あまり目立った存在ではありません。

実際、外回廊のように内容が明瞭ではなく、浮き彫りの表面が藻類や地衣類といった着生物に隠されてしまっているところが多いため、彫刻されている場面が分かりにくく興味をひきにくいという実状もあります。

しかしながら、様々な物語が各部屋毎に水平に流れるように展開している内回廊の浮き彫りは、ストーリーを思い描きながら眺めてみると、とても奥深いもので、見る人の心の有り様によっていろいろな解釈が可能です。過去の芸術作品を眺めながらも、自分自身の深層世界が浮かび上がるようです。

 

浮き彫りの修復保存は、技術的に様々な困難な問題を抱えており、長期的な視野に立ち、最前の手法を選択することは容易なことではありません。

研究の課題となるのは、

「浮き彫りはどうして劣化しているのか?」

「浮き彫りをどうやって記録したらよいのか?」

「浮き彫りをどうやって洗浄したらよいのか?」

「浮き彫りをどうやって強化・保存したらよいのか?」

「浮き彫りのある環境をどうやって改善したらよいのか?」

というような内容になります。アンコール・ワットでは過去に浮き彫りの保存処置が施された経緯がありますが、結果的にそうした処置が副作用をもたらし、さらなる修復を必要としているという実状があります。

 

こうした中、アンコール遺跡では、石材の保存処置は極めてデリケートな問題として扱われており、なんらかの処置を実施するためには、慎重な研究の積み重ねにもとづき、その保存方法が今日的にベストな解であることを実証しなくてはなりません。

さらに,今日的にベストな解が,将来に対してどこまで有効であるのかという,現実的にはこたえられないような問題をも突きつけられます。

 

このような困難な課題ですが、今回の各報告は、アンコール遺跡における各研究分野のまさに最前線を更新した内容であったといえるでしょう。

 

(一)

10月末から11月始めにかけて,1週間ほどカンボジアは連休です。

シハモニ国王の誕生日,そしてとっておきの祝日,水祭りがあるのです。

 

この連休の直前,バイヨン南経蔵の修復現場では,工事の安全を祈願するちょっとした儀式を行いました。

修復工事の着工,発掘調査の開始など,何事においても,土地の神様に対する祈願の式が行われますが,調査や工事がうまくいかないときにも,神頼みは欠かせません。

今回の修復工事でもすでに何度か神様にすがって,ここまでなんとかやってきましたが,今回も工事の安全を祈願して,という表向きの目的とともに,現在進めている南経蔵の基壇の仮組みがうまくいくようにとの祈りを込めたものでした。

これまで,南経蔵の北東・南東隅の仮組みを何度か行っていますが,解体をしなかった部分のゆがみが影響して,なかなかうまく組み上げることができずにいます。次の仮組みではなんとか成功しますように!というのがスタッフ一同の願いでした。

今年の前半,壁体の仮組みをしていたときも同じ状況で,その時は8回におよぶ仮組みを繰り返しましたが,もうダメかも・・・という時に,神頼みをし,その次の仮組みでは見事完成!!!

まさに〈神業的〉な出来事でした。

 

そんなことで,困ったときには豚の頭と尻尾をお供えし,神様の御慈悲にすがります。

 

091029.JPG 091029-2.JPGのサムネール画像

 

 

 

 

スタッフの半分は(自分もそうですが),その後にお供え物を食することの方が,重大事でもありますが。

 

(一)

中央塔の地下から発見された本尊仏は,果たしてどんな運命を辿り,今に至ったのであろうか?

 

まず,もう少し正確に本尊仏が発見された時のことを当時の作業記録をもとに確認しよう。

トルーヴェは1933年8月に発掘調査を開始した。そして,床面からの深さ1~5mにおいて,彫像の大半をなす石片を発見している。また,発見された際には,石片の一部に金箔が貼り付いていたようで,彼はこの彫像が当初は金箔で覆われていたのではないかと推測している。

 

さらに掘り下げ作業は継続され,最終的に深さ14mで発掘調査を終える。この深さにいたって地下水が湧き出し,掘り下げを断念せざるを得なかったのである。さらに,この発掘調査の底からさらに1mの深さでボーリング調査を行ったが,軟らかい土層しか確認されなかったことを彼は記している。

 

この掘り下げ作業の途中,深さ12.5mでは,本尊仏の基台の部材を2点と,本尊仏の手の一部となる石片2点を発見している。また,同12.5mの深さで,北側を除く3方向に水平のトンネルが掘られ,およそ主室の壁体と同形であることが予想される位置に,なんらかの石積みを確認している。

 

実際にこの作業を指揮していた彼の報告の中で,特に興味深いのは,以下の記述である。

 

「プラサート・アク・ヨムとバイヨンの東西断面について考察すると,プラサート・アク・ヨムの地下室は,ピラミッドの基壇のレベルよりかなり下方に位置している。もし,バイヨンに同様の法則を適応するのなら,この寺院の基壇の下にも地下室が存在しえる。ところで,この原始的な堀り方の竪穴は,理由なく作られたわけではない。従って,地面の下には現在は盗まれてしまっているが,貴重な宝庫が存在したはずである。宝庫は,砂岩ブロックの間,または私が想定するように地下の部屋の中にあるに違いない。従って,はっきりと確認するためには,私が掘り始めた縦穴をさらに掘り下げる必要がある。しかし,現在の地下水レベルがその最低位まで下がるには乾季を待たなければならない。地下水が最低位まで下がれば,作業は容易で危険は免れ得るであろう。」

 

さて,地下室の有無についての問いかけについては,わきにおいておき,まずはこの発掘調査の結果から生じる問題について考えたい。

 

一つ目は,主室の地下に当初は煙突状の円柱あるいは四角柱の石積みの構造があったのかどうか?

また,建立当時,この構造の中は空洞であったのか,あるいは土か何かで埋められていたのかどうか?

という問いである。

 

トルーヴェは地下12.5mの横穴の先で,なんらかの石積みの壁にぶち当たっている。それは,ちょうど壁体に囲まれた室内と同じ大きさの筒状の構造が,そのまま地下に連続しているような位置にあった。

つまり,そこから推測されるのは,巨大な荷重を受けている壁体は,床面の下でもそのまま石積みが連続して地下の支持構造体となっている可能性である。

 

しかしながら,この可能性については,2008年から今年にかけて実施した中央室内の発掘調査によって否定された。壁体の下にはラテライトが一層か,場所によっては二層確認されたものの,その下は版築土であり,地下に続く石積みは認められなかったのである。(ただし,説明は混乱するが,現在修復工事を進めている南経蔵で発見された基壇内部のラテライト造構造体は,床面直下の50cm~1mで一度版築土が挟み込まれて,その下から再びラテライト積みが連続しており,同様の構造が中央塔にも適用されているとすれば,我々が実施した主室壁体下のラテライト層直下で実施した横穴探査では,ちょうどこのラテライトによってサンドイッチのように挟み込まれた版築土層を突いてしまった可能性が残される。)

 

もう一つ,地下が空洞になっていた可能性については,かなり低いものと考えられる。というのも,筒状の石積みがもし壁体下に続いていたとしても,この内側全体が空洞であったとしたら,室内に当初安置されていた大きな仏陀像を,床面のスラブだけで支えることはできなかったであろうし,また,地下の筒状の石積みが,壁体よりも直径の小さなものであり,二重の構造となっていたとしても,その内側の筒を形作る石材は相当な数を要するもので,過去の発掘の際に少なからず発見されていても良いと思われるからである。

 

つまり,当初から室内直下に縦穴のような空洞は存在せず,そこは土によって密実に版築されていたものと考えて良さそうである。

 

さて次の問は,ちょっと唐突だが,この盗掘団は何者だったのだろうか?という疑問である。

 

主室内直下に縦穴がなかったと考えられることから,本尊仏の一部が深さ12.5mから発見されたということは,過去にこの深さまでは盗掘されて掘り下げられていたことを示している。順当に考えれば,本尊仏が破壊されたときに,併せて盗掘されたものと推測される。

 

室内に安置されていた仏陀像を破壊し,側室かどこかにそれらの石片を移動する。さらに床面を取り外し,締め固められた版築土を掘り下げてゆく。どこまで掘り下げたのか,そして何か地下室のようなものがあったのかどうかは定かではないが,トルーヴェが確認した15mの深さまでは少なくとも彼らは掘り下げに成功したことであろう。そして,我々が今年2月に行ったボーリング調査の結果に基づけば,床面から深さ19mまでは同質の砂層が連続していたことから,その深さまで盗掘団は掘り下げを行ったことも推測される。

 

この時の盗掘穴の大きさは定かではないが,少なくとも地下15m以上の深さまで穴を掘り下げ,さらに掘り出した土を引き上げるためには,直径2mほどの穴は少なくとも必要であったことだろう。つまり,高さ15m,直径2mの円柱形の空洞ができるわけで,その際に掘り上げられた土量は相当なものであったことが推測される。当然,中央塔群の室内だけでは土の置き場には不十分で,中央基壇上に盛り上げられていた様子が想像される。

 

盗掘団が最下部まで掘り下げて体よく宝物を発見したか,しなかったか・・・,は定かではないものの,彼らの作業はここで終えた・・・と考えて良いだろう・・・か?

 

さて,ここまで「盗掘団」と呼んできた彼ら,もう一度質問に戻るが,果たして何者だろうか?

よく知られているように,バイヨン寺院は,当初,仏教寺院として建立された後に,ヒンドゥー教寺院に改宗された。その際,寺院内の仏教モチーフはことごとく破壊され,代わりにその多くが,リンガのモチーフに削り「直された」のである。

そう,この集団,なにも一方的な破壊集団であったわけではなくて,まがいなりにもヒンドゥー信者であったわけである。

 

盗掘団もまた,おそらくはこのヒンドゥー信者であったことだろう。つまり,彼らは,憎き仏教寺院の鎮壇具を「盗掘」したというよりも,「取り替えた」のかもしれない。

 

再び,現在修復中の南経蔵の様子をお伝えしよう。ここでは,基壇の解体中,室内中央の小さな縦穴から鎮壇具が発見された。鎮壇具は幾層かの土層に分かれて複数見つかったが,この土層を精査したところ,建設当初の鎮壇具と,後世に再びこの穴を掘り下げて安置し直した二つの異なる時代のものが確認されたのである。

それぞれの時代については定かではないが,一方はヒンドゥー教寺院としてバイヨンが改修されたときの鎮壇具であると推測される。

 

つまり,そうなってくると,中央塔の地下の鎮壇具もヒンドゥー教寺院に改宗されたときに,「再」安置したと考えても良いわけである。その場合,当初の鎮壇具は遺失しているかもしれないが,少なくとも改宗時に治められた鎮壇具は,残存していることになる。

 

「盗掘団」という名を修正して,「ヒンドゥー教信者」は鎮壇具を安置した後,再び掘り上げた土を縦穴に戻してゆく。その際,いくつかの石材は深さ12.5mまで土を戻したところで穴に落ち,そして大型の石材は埋め戻し修了間近の深さ数mのところで穴に投げ込まれた。そして,再び床面を造り,そこにはおそらくハリハラ神が安置されたものと考えられている。

 

この一連のストーリーであれば,発見された仏陀像の石片が二つの深さから発見されたことも説明ができる。

もし,「ヒンドゥー教信者」ではなくて,単なる「盗掘団」だったとしたら・・・。

それなら,おそらくバイヨンでの成功の味をしめた後,次なる標的としてアンコール・ワットを狙ったはずではなかっただろうか?

 

しかし,アンコール・ワットは1934~35年の発掘調査によって,盗掘の被害は受けていないことが確認された。実際には,この発掘調査そのものが盗掘のようなもので,調査結果を記す図面はあるものの,確かな記録がなく,発見された遺物も残されていないのだが。

 

いずれにせよ,推測に推測を重ねた中でのこの話,どこまで的確に真実を追えているのかは全く確証がないものの,やはり中央塔の地下には,何かが残されていると考えずにはいられない。

(一)

前回紹介したバイヨン寺院,本尊仏発見の物語が,細部においてまったくのフィクションであることは断り書きをするまでもなく,ご了解頂いていることと思うが,もう少し,この時代のバイヨン研究の背景を紹介しておこう。

 

バイヨン寺院はアンコール遺跡の各寺院の建立編年を考察する上では厄介な存在であった。20世紀初頭の段階では,この寺院は9世紀に建立された寺院であると考えられていた。今となっては,プノン・バケンが9世紀の第一次ヤショダラプラの中心寺院であるものと知られているが,当時はプノン・バケンの山の上など調査されたことさえなかったのである。

 

バイヨン9世紀説は,一人の美術史家によって覆される。アンコールを一度も訪れることなく,バイヨン寺院の編年に修正を迫ったことでよく知られているステルンによるものある。11世紀,アンコール・ワットの建立直前にバイヨン寺院が建立された,というのが彼の新説であった。未整備な土地に熱帯雨林という過酷な環境に身をおかずして1927年に提出された彼のこの論説は,アンコール遺跡を現地で調査している研究者にとっては,辛酸を舐める思いで受けいれられた。

 

同年1927年には,建築考古学者パルマンティエによってバイヨン寺院が複数回の増改築を経て今見る姿に至ったことが示された。また,それまで仏教モチーフはほとんど確認されていなかったバイヨン寺院において,増築によって隠されていた破風飾りに観音菩薩像が彫刻されていることが明かとなり,寺院の主尊についても物議が醸し出される。

 

ステルンの年代改訂から2年後,今度は1929年,クメール研究の大家,セデスによってバイヨン寺院は13世紀に建立されたという説が提出される。アンコール・トムの周壁の隅に位置するプラサート・チュルンの碑文の記述に基づく説であった。結局,この説が今に至る定説となるわけである。

 

また,バイヨン寺院に代わる第一次ヤショダラプラの中心寺院には,ようやく1932年にゴルベウによる航空調査で見事発見されたプノン・バケンが落ち着くことになった。

 

バイヨン寺院ではプノン・バケンが発見されたこの年に,中央塔の一部が崩れ落ちるという惨事が発生している。それを受けて,その翌年の1933年には,中央塔の上部の補強工事が行われ,そしてついに,前回登場のトルーヴェによる本尊仏発見の発掘調査へと至るのである。

 

この時期に刊行された書物や論文を眺めると,アンコール遺跡の研究はめまぐるしく更新され,本流を突き進む研究が並んでいる。今見ると,羨ましいほどに大きな発見の可能性に満ちた世界である。(一)

 

時は今から70年ほど前,1933年のこと,バイヨン寺院の本殿となる中央塔の室内では,縦穴掘りが進められていた。遙か上方の塔頂部の崩落箇所から一筋の白い光が差し込む他は薄暗く,そして風もほとんど通らない陰湿な部屋の中でのこと。

 

まだ30代前半の若き修復保存官,ジョルジュ・トルーヴェが指揮をとる考古学調査隊は,バイヨンという建築の建立の目的を解明するための鍵が,寺院内で最重要の主室の地下に潜んでいることを確信し,大粒の汗をたらしながら黙々と作業に専念していた。彼らの熱く激しい野心と好奇心が,暗い室内に光明を灯しているようであった。

 

その時,彼らは確かに核心に迫っていた。

縦穴を掘り始めて数日,まだ背丈からやや掘り下がった程度の深さのこと,大きな石片の発見に掘る手が止まった。

連日のように遺跡群内から倉庫へと重要な彫像を移動していた彼らにとっても,この石彫は見慣れないほどに巨大で,その全体像を即座に把握することはできなかった。滑車で彫像を室内の床面まで引き上げ,主室脇の狭い側房内に運び込み,ようやくのこと枕木の上にこの彫像を据えた。未だ彫刻の全体は定かではなく,それだけでも十分に大きな彫刻であるにも関わらず,どうやらそれは全体の一部に過ぎないようで,破断面の他には,蛇の鱗を模した線刻が一面に施され緩いカーブを描いている面が確認された。石材の下面は土が堅く張り付きこの状況では確認することができない。欄干の端に屹立するナーガであろうというのがその場に居合わせたものの第一観であったが,それは間もなく覆される。

 

引き上げた彫像のさらに下方には,再び石片が頭をのぞかせているのが薄明かりのもとに照らされた。先の石材を引き上げるのにほぼ半日,さらにこの石材の引き上げ作業にいくら時間を要することか。先の石片に勝るとも劣らない大きさであることが周囲の土を除けていく中で明かとなりつつある。ようやく,石材の底面が見え,5tは吊り上げることができるスリングを石材に巻き付ける。滑車で石材を引き上げ,今度は先ほどとは別の側房に下ろした。この石材にも先のものと同様の鱗の線刻があるが,どうやら欄干のナーガでなないようである。石材は螺旋状に切り込みが入っている。そうである,鱗の石面がとぐろを巻いているのだ。

 

トルーヴェははたと気が付いた。サイズだけ見れば常軌を逸しているが,これは多頭の蛇に護られた仏,つまりムチリンダ竜王に庇護された仏陀の像ではないだろうか。そう思うと居ても立ってもいられなくなり,すぐさま側房の石片を中央テラスの明かりの下へ運び出す指示を出す。狭く段差のある室内の移動は,ままならないもので,日頃から倒壊著しい寺院の中で大きな石材を移動している彼らにとっても大仕事であった。一方のチームは遺跡の周囲から丸太を切り出し,中央塔の基壇からテラスの段差を下ろすための仮設的な斜路が造られる。ようやく石材が外に運び出されたときには夕刻の赤い日差しが西の空からほぼ水平に射している頃であった。

 

運び出したのは最初に縦穴から引き上げた石材。移動の間も鱗の線刻面を上にしてきたが,ようやくテラス上でこれを返すことができる。この時にはすでに大勢の胸の内にはナーガに護られた仏陀の像である想像が膨らんでいたが,しかし,一材でこれだけの大きさの仏陀像は目にしたことがない。彫像の天地を反転し,水を流して,そこに張り付いていた土を丁寧に取り除いてゆく。

 

皆の視線がある一点にそそがれる。その土の盛り上がりの下には,仏陀の顔があるべき所。夕暮れの光のもと,虫の声があたりをつんざき,それが邪念を打ち消して無音の世界に没入させる。一面がオレンジ色に輝く中で,水に濡れた石の面が露わになった。

 

そこには穏やかに瞑想する,優しく,しかし確固たる意志が込められた,仏陀の顔があった。

 

090930-3.jpg

アンコールに寺院多しと言えども,その御本尊となる神像が特定されている寺院はほとんどありません。ある意味,寺院は神様を祀るための入れ物〈ハコ〉にすぎず,御本尊こそが寺院の核心であるわけですが,その核心はことごとく散逸してしまっています。

 

そんな中で,バイヨンは建立当初の御本尊が特定されているごく限られた寺院の一つです。バイヨン寺院の御本尊は,日本でいうところの東大寺の大仏に相当するような重要な彫像です。護国寺バイヨンの中央には,国家そのものの精神的・象徴的中核となるべく仏陀像が,当時の大王ジャヤヴァルマン七世と重ね合わされるように安置されていました。

 

この重要な仏陀像は,現在,アンコール・トムの王宮前広場の片隅のある小さなテラス上に安置されています。ほとんど観光客も訪れることのないプラサート・スープラの裏に,ひっそりと静かに佇んで余生を送っているのです。

090930-1.JPG私たちは,クメール帝国の核心に鎮座する国家の象徴たるこの仏陀像,あるいは等身大のレプリカを,バイヨン寺院の本殿に再安置したいと考えています。

 

 

090930-2.JPG 

註:このような文で注意書きが入るのもおかしいのですが,アンコールでは,一部の限られた人だけがおそらく目にすることができたであろう神像と同等,あるいはそれ以上に建築そのものが重要であった可能性も十分に考えられるでしょう。寺院は治世者にとって人心を握るための重要な装置であったわけで,だれでもが目にすることができる建築にこそ,意味と意匠とが傾注された・・・と想像するこtもできるでしょう。

1994年に日本国政府アンコール遺跡救済チームの事業が始まり、最初に取り組んだ修復工事が「バイヨン寺院 北経蔵」でした。5年の工期を経て、日本政府によるアンコール遺跡での初めての工事は無事に完了。1999年に竣工式を迎えました。

それから10年、修復工事後の経過を観測するための点検を、当時の修復工事に参加していた日本人専門家と現在の修復スタッフが共同で9月12日に実施しました。

 

090913-1.JPG主に、次のような点検事項がチェックされました。 

1.建物全体の見え

2.砂岩新材への着生物

3.建物の変状

4.修復済み部材(組積材)

5.修復済み部材(横架材)

6.目地処理モルタル

7.目地充填改良土

8.基壇部の石目地の開きや水道

9.植物の侵食

 

点検の結果、修復完了から10年を経て、重大な問題は検出されず、良好な状況を保持していることが確認されました。一部の目地処理モルタルや充填用改良土では、充填量が小さい場合に、局所的にそうした充填材の剥落などの現状も認められました。また、処置を施していない石材そのものの多層剥離や、接着箇所の浮きが認められた箇所もありました。しかしながら、修復による副作用や修復材そのものの変状は認められず、石材自体の自然な劣化が進行したものでした。

 

090913-2.JPG遺跡の保存修復の正否は、短期的にはなかなか判断が難しいものです。アンコール遺跡群では20世紀前半より修復工事や整備事業が進められてきましたが、中には、修復工事によって遺跡の崩壊原因が新たに追加されたり、保存材料が石材に悪影響を与えて、かえって遺跡の劣化を進めてしまったこともあります。

今日、アンコール遺跡では、様々な国や機関が修復工事を進めていますが、そうした修復方法の共有化と標準仕様化が図られている一方で、いぜん、修復隊によって異なる工法が併用されています。アンコール遺跡の保全のための国際調整会議が年二回開催され、そうした保存の技術的な面についても協議がされていますが、実際にはどのような方法がベストか?というのは極めて難しい問題です。

アンコール遺跡で使用されている材料、熱帯雨林という環境、カンボジアという国において適切な修復工法、修復工事のライフサイクル、世界的な文化財に対する保存の考え方、などの様々な面を考慮すると、ベストな解答は一つではないかもしれません。

いずれにしても、重要なことは、完了した修復遺構を十分に観測し、適切な評価を与えていくことを各修復隊が積み重ねていくことにあるでしょう。ぜひ15年、20年点検と続けていきたいと考えています。

 

090913-3.JPG(一)

現在修復工事が進められている「バイヨン寺院南経蔵」。

この建物の修復の際に基壇を解体したところ,内部よりラテライト造の構造体が出土しました。通常,アンコール遺跡の基壇は,外側より「砂岩>ラテライト>版築土」の三層構造となっていることが知られていましたが,今回の修復工事では,この最内核部の版築土の内側からさらに構造体が検出されたのです。

 

090909.JPGこの構造体は,上下面のないボックス状の遺構で,東西に長い基壇の内部に,二つ呑み込まれるようにして配置されていました。この遺構がどのような目的で内部に設置されたのかはこれまでのところ定かではありませんが,①前身遺構,②構造的補強のための構造体,の二つの可能性が大きくは推測されます。

こうした内部構造体が検出された事例はアンコール遺跡において他に類例がなく,慎重な検討を要するところです。

現在,基壇上部の土層を削り取るようにして調査を行い,この構造体の形状や組積の特徴,周囲の土質の違いや強度などの試験を進めています。

(一)

例年8~9月は日本からたくさんの調査隊がやってきます。今年もまた様々な修復や調査チームが来ていますが,今回はその中でもバイヨン寺院の回廊に彫刻された「浮き彫りの保存研究グループ」の活動について紹介します。

 

この研究グループは沢田正昭先生(日本修復科学会会長・国士舘大学教授)率いる,保存科学を専門としたチームで,3年前より文部科学省科学研究費の採択を受け研究を開始しました。

 

バイヨン寺院の浮き彫りは,神話や伝説,そして当時の日常生活や戦闘の場面が,内外二重の計900mにおよぶ回廊の壁面に描かれたもので,当時の宗教観や精神世界を知るために極めて貴重な痕跡です。

この回廊のうち,特に内回廊の石材に彫り込まれた浮き彫りの劣化が深刻です。

 

石材の劣化は様々な原因によって進行するものと考えられていますが,この問題に取り組むために,保存科学の他,岩石学や生物学などの研究があわせて進められています。また,劣化のメカニズムの解明とあわせて,劣化の進行を抑え,保存するための方法について研究が行われています。

 

石材表面の様々な着生物の除去,劣化した石材の強化,破損した石材の修復方法の開発に取り組まれていますが,一年を通して高温多湿,という熱帯雨林の環境下において,石材を解体することなく現場でこれらの処置を完了することが技術的に大きな課題となっています。

 

この度9月3日に,これまでの研究成果と保存科学の基本的な調査の方法などをカンボジア人の修復専門家に指導するワークショップが行われました。実体顕微鏡や偏光顕微鏡で劣化した石材や表面の生物を観察したり,石材表面の温度を観測するための赤外線カメラの使用方法について紹介したり,石材強化剤の使用方法やメカニズムの講習をしたりと,いろいろな機材や材料に触れる機会となりました。

 

090903-1.JPG 

様々なモノや機器を〈覗いたり・触ったり・嗅いだり・叩いたり〉する五感をフルに活用して保存のための調査や技術が開発される場にちょっと立ち会うことができたように思えました。

 

また,筑波大学の松井敏也先生からは,出土した考古学遺物を迅速に保存処置するために最近開発された「遺物保存救急箱」の実演をいただきました。発掘調査で出土した木材,金属,土器など様々な遺物の予備的な保存処置を可能とする便利箱です。

 

 

090903-2.JPG(一)

8月6日,シアヌークビルから陸送されてきた30tクレーンがシェムリアップ,JASAオフィスに到着しました。

090810-1.JPG 

日本国政府アンコール遺跡救済チームでは,これまで2台の25tクレーンを修復工事で利用してきましたが,いずれも老朽化が目立ち始め,特に安全性が重要視される遺跡の修復のために,新たなクレーンの導入が望まれていました。昨年度,この希望がかなえられ,ユネスコ日本信託基金により,新たに30tクレーンの購入が決定し,このたび,クレーン到着に到りました。

 

ユネスコの規定に基づき,クレーンメーカー数社による入札の結果,日本のタダノ製の30tクレーンの購入となりました。株式会社タダノは昨年には,12tクラスラフテレーンクレーンと高所作業車,カーゴトラックをアンコールで活動している日本の修復隊に寄贈されています。

 

クレーンの到着の翌日から修復隊に所属する4名のオペレーターと2名のエキスパートが,タダノの技術指導員より3日間にわたる講習を受けました。これまで使用していたクレーンからは大幅に電子化されたコックピットでしたが,ほとんど戸惑うことなく4名のオペレーターは,走行に始まり,クレーン操作,ジブの取り付け,メンテナンス方法,など一通りのトレーニングを完了しました。

 

 

090810-2.JPG

 

 

オペレーターは最新鋭の真新しいクレーンに誇らしげで,今後の修復工事にもますます情熱を高めているようです。

090810-3.JPG 

 

 来週にはアンコール・トムの南大門にて,門を保護している木枠を一時解体し,この新型クレーンをバイヨン寺院修復のために現場導入する予定です。(一)

アンコール遺跡を訪れる外国人観光客で,最近というより今年から突然のように目立って多いのは,ベトナム人である。数年前に韓国人観光客が多くなった時も隔世の感を抱いた出来事であったが,まさに世界はめまぐるしく変わっていることを,アンコールでも実感することができる。

世界は否応なく刻々と変わる。だからこそ変わらないものが必要だ,と改めて想う。アンコール遺跡の観光客の中で,日本はメジャー国の一つではあるが,人数にすれば全体の1/6〜1/8くらいのものであろう。但し5月の連休が過ぎると,バイヨンやアンコール・ワットも落ちつきを見せる。バイヨンの南経蔵の現修復現場に行った後,1999年に修復工事を終えたバイヨン北経蔵を具に見て回った。同じく以前に修復工事を終えたプラサート・スープラやアンコール・ワットの北経蔵も時々巡回する。修復後の傾斜や不等沈下の発生に関するケアはスタッフによる定期的な測量を行っているが,その他に修復に使った改良土に含まれる消石灰の施工不良などで,白華現象による汚れが表面に染み出していたり,あるいは全く予期せぬ不具合が発生していたりしないかチェックするためである。

急階段を昇ってバイヨン北経蔵の室内に入ったところ,全身白装束の3人が何やら一心不乱に祈りを捧げていた。床の敷石に残る丸い穴(オリジナル加工痕)に太いろうそくを立て,母親と若夫婦であろうか,祭壇や神像に向かってではなく,まさにこの場所そのものに向き合っているようでもあり,それにしてはどこかとても深刻な問題を抱えているような祈りの様子であった。

090521-1.JPG
思わずその場所から離れ外を眺めると,バイヨン東正面の広大なテラスの北半分を占める祭壇に,これも白装束の人たちが大勢礼拝していて,読経の声明,鳴りもの,線香の煙,にぎやかな祭壇や周囲の(特に四隅)の飾り付け,お供え物の珍しさに引きつけられて,そちらを見に行くことにした。

090521-2.JPG1997年にカンボジアに内戦が勃発した時,当時のシアヌーク国王がこのバイヨン正面テラス上南寄りに祭壇を設営し,バイヨン全域を結界し,厳かに平和祈願式を奉祭されていたことが思い出された。それは,クメールの祖先神やカンボジア国内の土地神などが集合しているバイヨンへの,王室としての祈願の様子が拝察されたが,この時の連休明けのやや静かなバイヨンで,近隣の人々だけとは思えない男女多くの僧籍にある人々や拝礼の人々は,何故この場所に集い,何を祈っていたのだろうか。何人かの身近なカンボジアの人に聞いたけれど,特に何かの日なのか分からなかった。現在のカンボジアの人々はほとんどが仏教徒であるから,かつても今も本尊は仏陀像であり,バイヨンにお参りするのは当たり前かもしれない。しかしビシュヌ神を本尊とするアンコール・ワットでも,これほど盛大なものは見ていないが,時々中央塔周辺などで小さな集団にお坊さんがお説教をしていたりするのに出会った。何よりも,ワットの正面玄関楼に鎮座する巨大なビシュヌ神立像は,今でもカンボジア人の一番の尊崇の対象である,という文化人類学の調査もある。これらのことをツラツラと考えていくと,文化遺産としてのバイヨンの保存の目的は,勿論活用するためであって,教育,観光,歴史を知るためだけでなく,地域民族,国家の象徴としての文化遺産それ自体を大切に保存することも活用だと思う。しかし文化遺産は,そのような分かりやすい目的のためだけに活用されるのであろうか,という疑問にもぶつかる。

現在は,カンボジアでも,都市は勿論のこと,田舎でも,かつてのようには人々や地域の中にその土地の神々や祖先神が降臨しにくくなり,共棲しにくくなりつつあるのではないだろうか。バイヨン北経蔵の静かな室内や,バイヨンテラスのような聖なる空間,それがアンコールの時代よりももっと以前から人々が共にあった神々と出会う場所,神々が安心して降臨する場所であることを暗示しているのではないだろうか。

テラスの中の大勢の礼拝者の中から,突然おばあさんが一人立ち上がり,踊り始めた。周囲の人々には全く違和感がない。北経蔵での一心不乱の家族のように,彼等は神々と共にある。ここには恐ろしいほどの長く,不変な人々の歴史がある。そのためにもバイヨンは聖なる場所として,それに相応しく修復され,保存されなければならないのだ,と改めて思った。

(JASA co-director 中川 武)



4月14日から16日はカンボジアの「クメール正月」。この国では4月に年が変わります。

JASAでは4月10日(金)に2008年の仕事納めの儀が行われました。

この日、現場では今年最後の仕事と、作業現場の大掃除。そして、それらすべてが終わったあとにもう一つ、重要なイベントが待っています。

 

それは、誰もが楽しみにしている、仕事納めの「お疲れ様パーティ」。

この日を迎える2週間ほど前から、作業員さんの間ではこのイベントの話題でもちきり。

毎年一年の最後に、今年も安全に作業ができました、来年もどうぞよろしくお願いします。という願いを込めて、作業現場裏の特設会場(ブルーシートだけど)にて、スタッフ総出でご飯を食べ、音楽に乗って踊るというのがJASA流の慰労会。

この日はベテランも新米も、専門家も作業員も家政婦さんも、同じ空間に集い、大いに楽しむのです。

 

今年は大食事会の前に、カンボジアの新年伝統のゲーム、袋を履いて走るイモムシレースや、お白粉の入った宙づりの壺を目隠しして割る、スイカ割りとパン食い競争のブレンドのようなゲームも登場し、盛り上がりました。

 

ゲームに続いてはお待ちかねの大食事会。このときのために、JASA事務所の家政婦さん部隊が腕によりをかけて、朝一番から準備をしていました。新しい年を迎えるお祝いとして牛が1頭捌かれ、見事4種類のお料理へと変身。

 牛の骨と野菜のスープ

 牛の内臓と生野菜をプラホック(魚の塩辛)のソースディップ

 牛肉の甘辛照り焼き(炭火やき)

 牛肉入りニョアム(甘酸っぱい生野菜サラダ)

牛1頭で、ざっと大の大人100人ほどを満足させるボリュームに!カンボジアの農村の人々は今でも主なタンパク源は魚。牛の肉を食べることなんてめったにありません。それはJASAの作業員たちも同じ。普段、肉体を酷使する現場で働く彼らに、牛パワーを注入し、栄養をつけ、来年も頑張ってもらいたいという願いがこの牛肉フルコースには込められているのです。

 

食事が進むと、今度はダンシングタイムの到来。誰からともなく輪を作り、カンボジア伝統のダンスが始まります。新年には、お寺でも道端でも店先でも、音楽さえあれば踊りが始まる。カンボジアの人々は概して踊り好き。特大スピーカーから流れてくる音楽に、踊りの輪がどんどん広がります。

茶髪の若手とベテランが一緒になって踊ったり、普段は無口で仕事一筋の副棟梁に「踊ってください」と誘われたり、今日だけは無礼講!

 

さらに踊りもたけなわになると、クライマックスを告げる「あるもの」が登場します。

 

それは、白い悪魔・ベビーパウダー。

 

カンボジアでは正月にお寺などでお互いの顔に突如としてベビーパウダーを付けるという変な風習があります。ここでもエキスパートたちがまず戦いの口火を切りました。皆の踊るステップで、足もとの土埃が舞い、その上では真っ白なベビーパウダーが飛び交う。もうもうと立ち込める二つのケムリの中、熾烈で笑いに溢れた戦いが繰り広げられます。

 

私は今年一年目の新米、格好のターゲットとして引きも切らないパウダー攻撃。同年代の容赦ない若手作業員から、丁寧に一礼し「ネアックルー(先生)、失礼します!!」と叫んでから襲ってくるベテラン、そしていつもお世話になっている兄貴分・エキスパートの面々、ありとあらゆる方向から白い粉が舞い下り、気がつけば舞妓さんもびっくりの白さに。

 

ベビーパウダー戦争の末には、真っ白になったたくさんの顔と、心地よい疲労感、そしてそれぞれの放つ笑い声が、もうもうと舞う甘い匂いのケムリの中に漂っていました。

 

こうして無事2008年も終わりを迎え、新しい年に向けて一丸となってがんばる準備も万端です。南経蔵完成に向けて、あと2年。2009年は基壇の四隅の再構築を終えるという重要な課題があります。今年も皆無事に、そして着実に作業を進められますように!!

090415-1.jpg(ま)

 

三次元計測によって、バイヨン寺院の散乱石材の同定調査を進めています。

 

バイヨン寺院は,合計,約42万個の砂岩ブロックによって構成されていたと試算されますが,寺院の中には約6万個の石材が現在散乱しています。つまり,約15%の石材が散乱したままとなっているわけです。

 

散乱している石材の多くは,外回廊の内側に山積みにされたもので,20世紀初頭に境内の至る所に崩落していた石材を移動したコマイユ保存官の名前をとって「コマイユの積石」と呼ばれています。

 

これらの崩落した石材の原位置を特定し,それらを実際に原位置に設置して,バイヨン寺院を当時の姿に戻そう。という究極的な目的のもとに,ある調査が始められました。

 

これまでに,東京大学池内研究室ではバイヨン寺院の三次元計測を行ってきましたが,これに加えて,散乱している石材の形状を記録し,原位置を特定しようという試みです。

 

実際には重くて簡単には移動できない各石材を,デジタルの画面上で持ち上げたりひっくり返したりして三次元のジグゾーパズルをしてみようというものです。今回はその最初の試みとして特に分かりやすそうな,バイヨンの「尊顔」の各パーツとなる散乱石材の計測を行いました。これまでに目視調査によって約60個の顔の各部位をなす石材が確認されています。今回の調査ではそれらの部材の形状記録を終えました。石材全面を記録するため,ターンテーブル上にブロックを順に載せ,様々な角度から計測ができるようにしました。近くで見ると大迫力の目や口の一部となる各石材が次々に計測されました。

 

これら一連の計測作業は東京大学博士課程の鎌倉真音さんによって行われました。また,今後のデジタル上でのパズル作業は日本帰国後に進められる予定です。

 

6万個の石材が原位置に戻される可能性を探る第一歩の成果に期待されます。(一)

昨2008年、クレーン会社である「タダノ」よりカンボジアのアンコール遺跡群の修復事業を進める日本チームに、同社製のラフテレーン16tクレーン、カーゴトラックそして高所作業車の三台が寄贈されました。

過去にも「モアイ像」の修復や「高松塚古墳」の解体工事にクレーンを提供されてきた会社です。

今後、奈良文化財研究所により、修復工事の開始が計画されているアンコールトム内の「西トップ寺院」で活躍する予定ですが、2月24日から25日にかけて16tクレーンの操作講習が奈良文化財研究所シェムリアップ事務所にて行われました。オペレーターの育成も同社からの機材支援の一環となるバックアップとして実施されたものです。

これまで日本国政府修復チームで、25tクレーンの操縦を担ってきたカンボジア人オペレーターのうち2名が参加しましたが、電子制御のオペレーションにやや戸惑いながらも、美しいボディーにコンパクトで高性能のクレーンの操縦に取り組みました。(一)

中央塔群の西側副塔である第6塔の発掘調査に対象を変更して,再び調査をするか否か、検討を行いました。

第6塔の床面に堆積している土砂のクリーニングを行ったほか,平面記録,石材のレヴェル測量などを進めています。

 

昨日,バイヨン寺院では,内回廊の基壇の縁が一部滑り落ちて観光客がケガをするという事故が生じました。それに対して,緊急処置として,基壇の石材を固定する処置を施しました。この寺院では以前より「危険箇所目録」を作成していますが,昨年,本事業の団員であるロバート・マッカーシーが「危険箇所の再調査」を実施しました。また,今年1月までインターン団員として参加していた朴ドンヒもまた「既往の修復箇所目録」を作成し,バイヨン寺院における新たな補強処置の必要な箇所を総ざらいしました。危険箇所は600カ所以上確認されたほか,既往の補強処置がすでに効果を失い,適切な対応が急務とされる箇所が300カ所以上に上っています。

適切な対応が必要となっています。(一)

 

090206.JPG