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 1998年より開始されたサンボー・プレイ・クック遺跡群での調査活動は,15年目を迎えることになりました。アンコール遺跡における修復工事と比べれば細々とした活動ではありますが,一つの遺跡群全体の研究・保存・整備・活用という総合的な取り組みの中で,様々な課題に取り組んできました。そして,これからもこの事業に携わるメンバーの成長と共に,継続的にプロジェクトを展開していきたいと考えています。

 

 事業の枠組みとして新しいフェーズが開始されるわけではありませんが,2013年に入り,この遺跡群の位置付けが大きく変わってゆく予兆を感じさせる光景が見られます。

遺跡群へアクセスする道路整備工事です。

 

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 はじめて遺跡群を訪れた15年前には,最寄りの町から遺跡群へはまともな道がなく,乾季に田んぼの中を突っ切って向かうような日々でした。途中には泥沼にはまった車が何台もスタックし,それらを救出しながらようやく遺跡に到着すると,既に昼近く,というようなこともありました。

 コンポン・トム州からプレア・ヴィヘア州へと向かう道を外れてから先は舗装されることがなく,部分的に道を均しても一度雨季を越えてしまえば悪路へと逆戻りという状況が何度となく繰り返されていました。数本の道が最寄り町から遺跡群までの多数の村落を貫いていますが,道路の状況によってそれらの道を毎年変えてアクセスをしていたため,随分とこのあたりの細い道にも詳しくなりました。

 

 数年前に道路沿いに電柱が立ち,電線が通ったときにも感慨深いものがありましたが,今回の道路整備は改めていろいろなことを考えさせられました。道路整備によって一気に村は町と連結し,首都のプノンペン,一大観光地のシェムリアップとの距離も狭まることでしょう。新たに得るものも,失うものも少なくないように思います。

 サンボー・プレイ・クック遺跡群も片田舎の史跡から,急速にカンボジアの観光地へのネットワークの中に組み込まれていくことでしょう。その中で,この遺跡群が果たすべき役割もその幅を大きく広げていくことと思います。

 

 

 さて,遺跡群内の煉瓦遺構での修理が続いています。プラサート・サンボー寺院の主祠堂での一部解体・再構築工事です。

 この遺構の正面入口扉の上枠材は,半壊したままでこれまで放置されてきましたが,修復工事では,これを一度取り外し,破損の著しい方立を新材に交換したのちに,その上に設置しなおします。

まずは上枠材を工事中に仮置きするための木枠を設置し,石材を移動しました。寺院の付近には重機が近寄れないため,各作業は人力で進められました(重機を購入・設置するための予算がないこともありますが)。

 

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 新たに加工した約2.5tの扉方立となる砂岩材は,土嚢袋を敷き詰めて養生したテラス上を二輪車に載せて移動しました。扉へは滑車で引き揚げて設置個所へと運びます。最後に現場で石材の再加工をして細部の位置合わせをしました。

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 とりあえず,現段階では扉方立を仮設置するところまで完了し,今後は新材表面をびしゃん仕上げとして新旧部材が区別できるようにします。さらに,方立と背面の壁体との間を煉瓦積みで詰めて安定させたのちに,上枠材を再設置する予定です。

 

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 こうした作業を進めるメンバーは遺跡周辺住民よりなりますが,これまでに調査や修復工事に従事し,少しずつ経験を積んできています。事業予算の制限もあり,現在は10名前後と十分な人員が確保されていないことから,各作業員への負担が大きく,工事の各工程を全員が順次取り組んで進めていかねばなりません。なんとか,現状の倍のメンバーよりなるチームを構成して修復作業を実施したいと考えています。

 

 現修復メンバーは,昨年末にカンボジア国内の他の遺跡群の視察ツアーに参加してもらい,プレア・ヴィヘア遺跡,コー・ケー遺跡,アンコール遺跡等を巡りました。その中で,サンボー・プレイ・クック遺跡の歴史的・建築的な特徴を考え,その他の遺跡での保存のための取り組みを学びました。

 

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 遺跡群内でも7世紀には2km四方の都が位置していた都城址では,1月に入ってから地下探査による調査を行いました。これまでにも考古学的な発掘調査によって,埋蔵遺構が確認されていた地区でしたが,より面的な地下の状態を把握するために,地中レーダ探査を行いました。また,都城内で直線的な土手状遺構が確認されていた箇所では,こうした地形の地下における埋蔵遺構の有無を調べました。

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 今回の調査には地元の学生にも参加してもらうことになりました。

遺跡群内には,タイの王室によって支援されている高校がありますが,ここの高校生10数名が3か月間程の歴史研修プログラムをカンボジア政府文化芸術省の指導の下進められています。今回の地下探査では,この学生にも参加し,遺跡研究の現場を体験してもらいました。

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 地下探査の結果を検証するために,一部で発掘調査を行いましたが,学生には実際に地中レーダの機器を学生にも引っ張ってもらったり,発掘調査にも参加してもらいました。

 こうした地域の若い世代が,遺跡を保存・活用する活動の中心メンバーになり,地域と文化財をつなぎ,共に生きていってほしいと思っています。

 

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 遺跡と世界をつなげる道路ができれば,こうした将来を担う若者が都市へと夢を抱いて出ていくこともより簡単になるでしょうし,あるいは世界から訪れる人々に自分たちの文化や歴史を伝えようと地域に根差した活動を進めていくこともできるようになるでしょう。こうした歴史的な遺産を身近にもつ地域に彼らは生まれ,生活しているわけですから,ぜひとも地域を世界に紹介していく側で,世界との距離を縮めていってもらえたらと思っています。プログラムの終了後も,こうした学生メンバーと修復や調査の体験を共にしていければと考えています(一)

 

 

*サンボー・プレイ・クック遺跡群における修復工事は,住友財団(海外の文化財維持・修復事業助成)による支援のもと進められています。また,研究事業は文部科学省科学研究費にもとづき進められています。

サンボー・プレイ・クック遺跡の煉瓦造祠堂にて修復工事を進めています。

現在進めているのは、遺跡群内でも最も大きな境内を有するプラサート・サンボー寺院の中央祠堂です。塔の各所が崩落の危険に瀕しており、数年前の降雨時には部分的な煉瓦積みの倒壊がおきています。既に扉回りなどの特に危険な箇所にはサポートを入れており、また階段や室内の再構築工事を終えていますが、今回は技術的にも困難な上部の煉瓦積みの解体ー再構築工事に取り組んでいます。

120424_01.JPG東面の扉回りから工事に着手しています。変形が著しい箇所にて、上から順に煉瓦の層を解体していきます。予想以上に壁体の内部まで煉瓦の破損がひどい状況であることが確認されています。

120424_02.JPG特に、この塔は各所にて増築された痕跡が認められていますが、上部の増築部分の破損が進んでいることが判明しました。

120424_03.JPG解体した煉瓦材の原位置が分からなくならないように、丁寧に一つずつの煉瓦に番付をして、位置を記録します。

 

解体された煉瓦材のほぼ全てが破断しているために、それらを丁寧に接合する処置を行います。仮設屋根の下に、数段の棚を設け、ここに各層の煉瓦を保管し、接合処置を進めます。

120424_04.JPG破損が著しいものについては、原位置の特定できない状態のよい煉瓦材に置き換える予定ですが、できるかぎり解体部材をそのまま再構築することを目指しています。おそらく8割方の部材は再利用が可能だと見込んでいます。

120424_05.JPG解体される煉瓦はかなりの数におよぶため、これらの位置を保ちながら、接合していく作業は気が遠くなりますが、一つ一つ洗浄して、接着する丁寧な作業が続きます。

120424_06.JPGあと1ヶ月ほど東面の崩落危険箇所の解体工事が継続される予定です。

 

サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業は住友財団と文化財保護芸術研究助成財団からの支援により進められています。(一)

先日報告しましたイーシャナプラ(サンボー・プレイ・クック遺跡群)での調査を完了しました。

 

カンボジアにおける7世紀の都城址の内部に、村民により1.5kmにおよぶ道が建設され、その側溝から多数の遺構が出土していることが確認されました。

中でも最も大きな遺構は、150m四方を取り囲む周壁をなす煉瓦造遺構です。周壁の上部は倒壊の後、煉瓦材は持ち去られ、その後土砂が堆積して今に至ったもののようです。周壁には門があったと推測されるマウンドが認められる他、周壁内の敷地のほぼ中央にもマウンドがあるためここに主祠堂が埋伏しているものと考えられます。今回の調査は、道の側溝に出土している遺構を確認することに目的を限定したために、こうした痕跡の調査は行っていませんが、これまで地上には全く遺物の散乱が認められないエリアでも、このような遺構が地下に存在することが確認され、またそうした遺構が現地表より50cmから1mと比較的浅いところにあることが判明したことは、今後この都城での考古学的調査を進める上で重要な知見となりました。

120324_1.JPGまた、土器を中心に多量の遺物が出土しており、カンボジアではこれまで認められなかったタイプの瓦も発見されています。

今回の調査では通常の発掘調査よりも幅の狭いトレンチが長く、出土した遺構の記録は大変な苦労を伴うものとなりました。幅50cm程の狭い隙間での長時間におよぶ採寸・記録は過酷な作業でした。。。

120324_2.JPG今回は緊急調査として行いましたが、今後のより本格的な調査計画の立案にあたり有意義な結果が得られました。

 

本事業は住友財団からの支援を受けて進められています。(一)

コンポン・トム州サンボー・プレイ・クック遺跡群にて調査を開始しました。

この遺跡群は7世紀に栄華を誇ったとされるチェンラ王朝の王都「イーシャナプラ」の都城址です。

 

遺跡群は多数の煉瓦造の寺院がよく知られていますが、寺院がまとまってある地区の西側には、一辺2kmの方形の環濠に囲繞された都市が残されています。この地区内の調査はまだほとんど手が付けられていませんが、これまでの踏査により60近くの煉瓦造遺構が確認されている他、多数の遺物が収集されており、地下には良好な状態で遺構が残存していることが予想されます。

 

この都城址の中には現在オー・クル・カエと呼ばれる村落がありますが、この村を貫通する道路が約一ヶ月前より村民によって造られ始めました。ここは文化財保護地区内ですので、こうした道路工事は禁止されていますが、十分な管理体制が敷かれていなかったために、カンボジア政府への届け出がないままに工事が行われてしまったのです。幸いにも地下を深く掘り下げることはありませんでしたので、大きな破壊活動にはつながりませんでしたが、文化芸術省等による指導を徹底し、こうした工事が適切な管理下で実施されるよう努めていく必要があります。

120303_1.JPG新設された道路は、都城址の内部に約1.5kmにわたるものですが、道路脇を約1m掘り下げて採取した土砂を路面に積み上げています。結果、深さ1mの溝が道路脇に側溝のように断続的に連なった状況になっています。

 

こうした側溝を観察すると煉瓦遺構や土器などが出土している地点が複数認められました。そのため、緊急でこれらの遺構の調査を実施することになりました。

120303_2.JPG長さ1.5kmにも渡る約80箇所の側溝の位置を全て記録し、特に重要な遺構が露出していると考えられる地点の土層や遺構の形状等を記録する作業を進めています。

120303_3.JPGさらに、側溝の下面からはハンドオーガーやジオスライサーを利用して地下の構造を調査し、都城内の地下埋設遺構についての調査を進めています。

120303_4.JPG今後は地形学の専門家等も合流し、2週間ほどの調査を継続する予定です。(一)

古今東西,レンガ造の建築は数知れない。レンガの歴史を紐解けば,紀元前4000年の頃,メソポタミア文明においてレンガが初めて積み上げられ,建物が造られたという。そのころは,粘土に藁などをすき込み乾燥させただけの「日干しレンガ」であったようだが,それから1000年ほど後には焼成レンガが作られるようになり,建物は大型化していった。紀元前700年ごろからは世界各地の文明において焼成レンガが重要な建造物の材料として普及していく。焼成レンガは耐候性に優れており,環境によっては石材よりも長持ちするといわれ,今でも数々の遺跡が過去の栄華を伝えている。

 

アンコール遺跡と言えば,石造建築。ということでレンガ造の遺跡は影がやや薄いものの,遺跡群全体で見れば石積みの建物よりもレンガ遺構の方が多いだろう。また,アンコールの組積建築の歴史を通観すれば,若干の例外を除けば,初期の建築はレンガ造のものばかりである。カンポット州の海岸線近くの洞窟内に建てられたプノン・チュゴック寺院は,アンコール文明の中でも最古の遺構の一つに挙げられ,おそらく6世紀の建立に遡るが,これもまたレンガ造の建物であった。

 

111215_01.JPGこのようにアンコール文明の宗教建築は,古くはレンガ造の寺院の方が一般的で,10世紀に至ってもなお主要な建物はレンガ造である場合が多い。プレ・ルプや東メボンなどはその例であるが,それ以前のプノン・バケンなどアンコール王朝成立直後の寺院の一部には,砂岩造の寺院も姿を現しているから,レンガ造と石造寺院の優劣については判断しかねる。さらに,アンコール時代後期に至ると,一つの複合寺院の中に砂岩造・ラテライト造・レンガ造が混在しているケースもあって,建材の別がどのような意味を持っていたのか,ますます分からなくなってくる。アンコールの芸術文化全般に強い影響を与えたインドでは『シルパ・シャーストラ』と呼ばれる建築書によって宗教施設の様式が規定されているが,そこでは「木で寺院を建てるよりもレンガで建てる方が百倍価値があり,レンガ造よりも石造の方が千倍の価値がある」と記されている。あまりにも価値の開きが大きいことに驚いてしまうところだが,とにかくここカンボジアではコトはそれほど単純ではなかったようだ。

 

煉瓦造の建物は重い石材を遠くから運ばなくても良いし,積み上げのために大きな装置も必要としなかっただろうから,比較的手軽に造られたように思われるかもしれないが,レンガを粘土から準備する各工程を想像するなら,容易ではない工程を経ていることが理解されよう。胎土の採取,焼成のための薪の収集,高温に耐えうる窯の構築,数日に渡る焼成,そして一棟に何十万個ものレンガを隙間無く積み上げる作業,と気の遠くなる仕事が必要となる。

 

アンコール遺跡の石造建築は,「空積み」といって接着剤やダボなどを使わずに石が積み上げられているが,レンガ造の場合には,接着剤や充填材を用いて丁寧に一個ずつ積み上げられている。接着剤は不明だが,おそらく樹脂が利用されたものと考えられ,近隣国のレンガ造の遺跡では分析によって樹脂分が認められている場合もある。また,レンガ積みの壁面ではレンガがピッタリと合っているが,そのためにはレンガを入念に摺り合わせる仕事が必要だったはずである。しかしながら実際に,摺り合わせの作業を試してみると,いつまでたっても綺麗な接合面には仕上がらない。建物一棟につき,いくつのレンガが使用されているのか数える気力さえおこらないが,こんな大変な作業を全ての部材で繰り返したと思うと気が遠くなる。そんなことで,レンガ造の建物もそんなに簡単に造れたわけではなさそうだ。

 

 

さて,そんなふうに丁寧に造られた建物も,次第に崩れていつかは土に戻ってしまう。レンガ造の建物が壊れる原因は3つに大別される。ひとつは植物によって破壊されるものである。タ・プロム寺院を思い浮かべれば説明の必要もなかろうが,レンガ造の場合には個別の部材が小さいために小さな草木でも簡単に根を張り,レンガの隙間に侵入し,レンガ積みをバラバラにしてしまう。これを防ぐためには定期的な草刈りが不可欠だが,亜熱帯気候にあるここカンボジアでは雨季にもなれば一ヶ月で1m以上も植物は成長し,メンテナンスが追いつかない現実がある。また,寺院全体がジャングルに覆われると,巨木が倒壊し建物に直撃して倒壊に至るケースもある。次なる崩壊の原因は,建物の不等沈下によるものである。レンガ造の建物は壁体が比較的厚く,荷重が均等にかかるように工夫されているように見えるが,それでも上部構造の部分的な集中荷重や,基礎の不均質な強度により建物各所に浮沈が生じ,それが原因で壁体や屋根に亀裂が生じることがある。第三の崩壊の原因は,人間の活動によるものである。特に建物の地下に安置されていた宝物の類を盗掘する行為が基礎の不安定性を促している。

こうしていくつかの原因が複合的に作用して積み上げられたレンガ造の建物はバラバラと崩壊してマウンドと化し,いつしか大地に帰っていくのである。

 

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111215_03.JPGこうしたレンガ造の崩壊をくい止め,保存しようとする活動は石造建築にも増して困難なことである。というのも石造であれば建物が崩壊しても石材の原位置を特定してこれをもとの位置に戻し,建物全体を再構築することも可能であるが,レンガ造の場合にはそうはいかない。一つ一つのレンガが小さく,非個性的であるために,原位置を特定するのは不可能に限りなく近い。また,レンガ造遺構の修復工事では,倒壊した部分に新しいレンガを使い,どこが古いのか,どこが新しいのか区別できるようにするのが一般的である。しかし新しいレンガであっても数年も経てば区別ができなくなってしまうので,新旧の判別ができるように刻印をしたり表面の仕上げに変化を付けるなどの工夫をすることが多い。また新しいレンガはたいていの場合,色調が同じであるために,積み上げた後にその部分だけがノッペリとした新築風の感じになってしまう。全体と調和させるために意図して色調を変えるなどして奥行きを出すためにはレンガの焼成から工夫が必要となる。

 

建物が変形している場合でも,石造であれば一部を解体して積み直すこともできるが,レンガ造の場合には,そうはいかない。一度ばらしてしまうと,元通り積み上げることは難しいし,そもそもばらしている最中からレンガが壊れていってしまう。そのため,変形を保ったままにそれ以上の崩壊が進まないように構造的な安定化を図ることになる。建物の補強はできるだけ目に付かないようにしたいものの,あわせて修復処置の再現性,つまり新しく加えた補強材料を取り替えるための可能性を残しておくことは難しい。

 

111215_04.JPGレンガ積みに亀裂が空いている場合には,さらなる植物の侵食を防ぐために,亀裂の内部を丁寧に洗浄して,新たなモルタル材料で充填することになる。しかしながら,耐久性や強度が高く,施工性が良く,また微妙な柔軟性を持ち,かつレンガに悪影響を与えることがないような充填材料の開発のためには様々な実験が求められ,建物そのものの構造や,レンガの組成,環境条件などの違いもあり,決定的に最適な材料を各遺跡で開発することは容易ではない。

 

 アンコール遺跡のレンガ造の修復はこれまでにも多くの事例がある。プラサート・クラバンの修復工事は20世紀半ばに行われ,前世紀に多くのアンコール遺跡の修復に介入したフランス極東学院による修復工事の工法をよく示しているが,壁体内部を鉄筋コンクリートとして構造的な躯体とし表面にレンガを積み上げる大胆ともいえる手法であった。この寺院は祠堂内壁の彫刻にこそ重要な芸術的価値があったことから,その彫刻面を保存するためにもこうした手法は十分に容認されることだろう。その他,1990年以降はプレア・コー寺院やプレ・ルプ寺院,また最近ではプノン・バケンでもレンガ造遺構の修復工事が行われている。それぞれの劣化・倒壊状況に応じて,同じレンガ造建築であっても特徴的な保存修復工事が実施されてきた。

 

 

 2009年から早稲田大学建築史研究室では7世紀,プレ・アンコール期の王都であったサンボー・プレイ・クック遺跡群におけるレンガ造祠堂の修復工事を開始した。2001年以降,仮設的な補強処置により倒壊をくい止めることに尽力してきたが,さまざまな支援を受け小規模ではあるものの本格的な修復工事を進めるに至っている。60棟にも及ぶレンガ造の寺院が奇跡的にも1400年の歳月を経て残存している例は東南アジアにおいては他に例がない。また,カンボジアにおいてこの遺跡群は専制国家が成立したことを占めるメルクマールとなる痕跡である。

 

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 モニュメントが残されてきたのは,まさに世代を超えたリレーによる活動のたまものだ。かつては敬虔な宗教心から保護が継続されてきた。たとえ信じる神が替わっても,モニュメントに手を加えながら,自分たちの信仰の場として,掃き清め,草木を丁寧に取り除きながら,バトンが受け継がれてきた。今日,多くの寺院に神は不在である。信仰の力に代わって寺院から遺跡になった対象を保護する意味も変化した。長大な時代の中に私達は生きているという歴史観を深め,過去から多くを学び,それを後世に引き継いでいこうという気持ちがリレーを続ける意義を支えている。そして多少の余裕ある走者は,建物を往時の姿に近づけるためにいそしみ,そこから感得される多用な価値を後世に伝えようとする。レンガ造の建物という,とても脆弱な対象であるからこそ,そのリレーを確実に次世代へと引き継いでいかなくてはならない。

 

 

 

サンボー・プレイ・クック遺跡群における修復工事は「住友財団」,「文化財保護芸術研究助成財団」からの支援の下,カンボジア文化芸術省と早稲田大学建築史研究室によって進められています。また,在カンボジア日本国政府大使館の協力により修復工事に必要となる資機材支援を「見返り資金」により受けています。修復作業にあたっては,日本国政府アンコール遺跡救済チームのカンボジア人技能員を現場指導に派遣するためにJST(アンコール遺跡の保全と周辺地域の持続的発展のための人材養成支援機構)からの支援を受けています。(一)

 

本日、7月27日にプノンペンの文化芸術省において、サンボー・プレイ・クック遺跡群のユネスコ世界遺産申請書類作成のための第一回目の協議が行われました。

 

プノンペンユネスコの代表を始め、国内ユネスコ委員会のメンバー、文化芸術省関係者、プノンペンの大学教授、その他フランス極東学院の研究者や個人研究者などが集まり、登録の意向を確認し、その基本的な方向について検討しました。

アンコール遺跡、プレア・ヴィヘア遺跡に続いて、カンボジアでは三番目の世界遺産候補となります。

 

早稲田大学建築史研究室では1998年よりこの遺跡群の研究と保全を進めてきていますが、世界遺産への登録は一つの大きな念願でもありました。協議会ではこの事業を担当している下田とテリーがこれまでの活動の経緯を詳細に報告しました。他にこの遺跡でこれまで活動をしている団体がないこともあり、全体の報告は早稲田がこれまでに進めてきた活動と成果、そして既に資料化された研究や保存の記録を基軸に進められたといって良いものでした。10年以上にわたって行ってきた活動がこうしたかたちで受け入れられ、評価していただけたことは私達にとってとても感慨深いものでした。

また、カンボジア政府側で当日の発表資料を準備したのが、このサンボーの事業において長期研修プログラムを経て今でも遺跡の調査を共同で行っている人物であったことも私達にとっては嬉しいことでした。約3年間の研修プログラムに参加したのは計5名の若い大学生上がりの研修者でしたが、そのうち3名が今でもこうした研究を続け、すこしずつ確かな仕事ができるようになってきています。

 

これまで、サンボー・プレイ・クック遺跡群では、文化財保護芸術研究助成財団と住友財団からの支援のもとに活動を行ってきました。継続的な支援をいただいていることは大変ありがたいことで、そのことによって熱帯気候という過酷な環境において脆弱な煉瓦造の遺構が過去10年以上にわたり保持され、状態が改善されつつあります。

これまで1000年以上にもわたって保存されてきたのもを、たった10年保持することなんてさほど大変なことではないように思われるかもしれませんが、実際にはちょっと手を抜けば遺構はどんどんと崩れていきます。メンテナンスの仕事をするにつけ、この遺跡がこんなにも長い時間保存されて今に残っているのは奇跡としか言いようのないものだと感じられます。

 

しかしながら、こうした保存のための活動がいつまで続けられるのかという点については常に不安を抱えており、一刻も早くより安定した体制でこうした保護活動が持続できるようになることを願ってきました。

そのためには、カンボジア政府が保存のための体制を整え、そのための予算化を図ることが望ましいところでしたが、過去の交渉ではなかなかそうした方向へと歩を進めることができない状況にありました。アンコール遺跡でさえ、困難を抱えている中、それに準じる段階の遺跡を保護するなど、まだ現実味があまりないかもしれません。

しかし、世界遺産への登録は、こうした状況を打開する最も効果的な方法であり、登録されることによって国連から遺跡の保護体制に一定の水準が要求され、保存や開発状況に関して定期的なモニタリングが課せられるというのは、遺跡を保護する立場からは願ってもないことです。もちろん、様々なネガティブな影響も予想されますが、それにもまして、登録申請のプロセスは、遺跡保存の人員と予算を確保し、長期的なビジョンをもって保護体制を組織化することを、押し進める絶好の機会となります。

 

実際のところ、来年度の登録申請にはややスケジュール的に厳しさもありますが、カンボジア政府がこの遺跡群を登録の対象としたことは、私達にとってたいへん喜ばしいことです。歴史的な価値、遺跡の残存状況など登録基準を十分に満たすサイトであることについては会議における各発言においても一致するものでした。

これまで、サンボー・プレイ・クック遺跡群で活動をしてきた多くの方に、この第一歩が踏み出されたことを報告し、ささやかな喜びを分かち合えたらと思います。

2011年3月にサンボー・プレイ・クック遺跡群が位置するコンポン・トム州の博物館が開館しました。本事業ではこれまで長年に渡り,博物館の設立にむけて協力をしてきましたが,念願の開館を迎えました。 P1120581.JPG P1120586.JPGサンボー・プレイ・クック遺跡群から出土した石彫作品の展示が中心となっています。破損していたリンテルや彫像等は,今回の展示に向けて接合作業等の修復を施しました。本事業では展示の解説パネルの作成の協力もしました。

13112010_1.JPGオープニングには文化芸術省大臣を始め,多くの出席者にお集まりいただき,盛況な開幕となりました。博物館はプノンペン-シェムリアップ間を結ぶ国道六号線に面しており,今後はサンボー・プレイ・クック遺跡群を訪れる前後にこの博物館を見学する観光客が増えることと期待されます。また,地元の中高の学生は課外授業のサイトとしてこの博物館を利用される予定です。

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なお、サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業は文化財保護芸術研究財団と住友財団からの御支援のもと、カンボジア文化芸術省と協力で進められています。(一)

カンボジアの首都プノンペンと一大観光地シェムリアップを結ぶ国道6号線の中間地点に位置するコンポントム州。この国道沿いに州博物館の開設が進められています。

これまで、コンポントム州の文化芸術局内の倉庫やサンボー・プレイ・クック遺跡群の現場倉庫に砂岩製の彫刻を中心とした遺物が保管がされていましたが、それらのいくつかをこの博物館にて展示する予定です。現状の倉庫には、出土遺物・盗掘の危険を回避して運び込まれた遺物・既に盗掘されたものを警察が押収して運び込んだ遺物、等が多数保管されています。

新設される博物館も、規模が極めて小さいために、展示される遺物は数が限られている上、展示計画がないままに、建物の建設工事、さらにはマウントのための台なども設置が完了しています。このように全体計画を得ないままに進められてしまった一連の作業のために、展示物の選定やテーマの設定などが困難な状況になっています。

P1080358.JPGカンボジア各州には、近年こうした新しい博物館が少しずつ建てられるようになってきていますが、展示のためのノウハウが蓄積されるようなことはなく、展示の質が向上しないのが残念なところです。

P1080375.JPGコンポントム州の博物館では、今後、早稲田大学建築史研究室が展示パネルの作成等の支援をすることになりました。展示計画の調整をしながら、展示遺物の内容を掘り下げることができるような解説を加えていきたいと考えています。(一)

9月20日、カンボジア文化芸術省における会議において、来年2月に正式にカンボジア政府よりユネスコに対して世界遺産登録を申請する候補地として、サンボー・プレイ・クック遺跡群が選定されました。

また、あわせてカンボジアの古式格闘技であるボッカタオが無形文化財として申請されます。

 

世界遺産の申請候補地としては、バンテアイ・チュマール寺院も有力でしたが、サンボー・プレイ・クック遺跡群では、歴史的な重要性・古代都市がほぼ完全な形で残されているという事実が、最終的な国内選定で決定打となりました。

 

これまでにも本ブログで紹介していますが、サンボー・プレイ・クック遺跡群では1998年より早稲田大学建築史研究室が調査・メンテナンスを進めています。また昨年末より小規模ではありますが、修復工事も始めました。

煉瓦造を中心とした数々の遺構は、亜熱帯気候という環境にあって、極めて脆弱な状態にあり、メンテナンスの手を緩めるとすぐに煉瓦の建物は草木に覆われ、寺院全体が密林へと呑み込まれてしまいます。遺跡を崩壊から保護するためには、継続的なメンテナンスが必要であり、現在では日本からの支援にもとづき、こうした保全活動を進めていますが、最終的にはカンボジア政府による持続的な保護活動の体制作りが求められています。

こうした体制作りを推進するために、国際的な責務を負うことになる世界遺産登録は大きな一歩となるはずで、かねてより強く希望し続けていました。

もちろん、世界遺産へ登録されることにより、遺跡そのもの、そして周辺地域に対して様々な影響が懸念され、十分な対策が求められるところです。

 

これまで、周辺住民の遺跡保全への取り組みとしてGTZからの協力を得て活動を進めてきましたが、今年12月で支援が終了します。その他、国連食糧農業機関(FAO)、国際労働機関(ILO)による支援のもと、マイクロビジネスのトレーニング事業を行っています。また、アジア開発銀行(ADB)からの支援要請を進めており、来年には遺跡群への道路整備を中心とした活動が開始される予定です。

世界遺産登録にあわせて、遺跡保全のための政府機構が設立されることが予想されますが、これまでのカンボジア国内の事例からはそうした機構と周辺住民とが調和的に両立しているとは言い難い状況があります。遺跡の保全にとって大きな前進となるために、マスタープランの策定や新機構の体制作りに加えて、こうした地域社会に対する問題にも備えていきたいと考えています。(一)

 

*サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業は「文化財保護・研究助成財団」と「住友財団」からの支援を得て進められています。

 

 

サンボー・プレイ・クック遺跡群にて3週間にわたって実施していたプノンペン芸術大学、メコン大学の建築学部・考古学部生へのトレーニングプログラムを9月9日に完了しました。

今回のプログラムでは途中、日本から来た大学生のスタディーツアーや、ボランティアグループのメンバーと活動を共にすることも多くありましたが、主なトレーニングとしてはプラサート・サンボー内での発掘調査に取り組みました。 

DSC04895.JPG調査エリアの選定・測量・グリッドの設置にはじまり、発掘の方法や遺物の収集と記録、遺構の見方や写真撮影、図面記録といった一連の作業を経験することになりました。

DSC04098.JPG長さ33mのロングトレンチでの作業では、中央祠堂の階段を西端として、中央テラスの床面、中央テラス東の階段、そして内周壁東門の間の参道遺構が確認されました。東門の付近では後世の増築跡が確認されたほか、テラス東の階段脇からもやはり後の時代に掘り込まれた柱穴らしき痕跡が認められました。

出土した石製の彫刻遺物には、獅子像を四脚とした円形の台座というこれまでに前例のない遺物が発見された他、アンコール時代の男性神の頭部、プレ・アンコール期のリンガなどが確認されました。また、中国陶磁器をはじめとし、複数のクメール陶器や土器、また金属器の出土もありました。

最終日には事務所にて2時間以上にわたる発表会が行われ、発掘調査の結果をはじめ、遺跡周辺の村落調査の様子などについても報告があり、とても充実した内容になりました。

  P1080262.JPGこうした現役の大学生が大きな経験を積んだことに加えて、今回はトレーニングの指導に加わったカンボジア人の若手研究者3名のパフォーマンスが大きな成果でした。考古学を専門とする早稲田大学留学生のメンホン君、JASAの考古学担当のワッタイさん、そして文化芸術省のビタロン君がそれぞれ、熱心に学生の指導にあたりました。彼らも学生時代であった数年前には様々なトレーニングプログラムに参加していましたが、それが指導する立場となってやりがいを感じてくれたように思います。

 

発掘エリアはテラス外では埋め戻し、テラス上ではさらに拡張し全面での整備を進める予定です。

 

本調査は「文化財保護・研究助成財団」と「住友財団」からの支援を得て進められているサンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業の一環として行われています。(一)

先日はサンボー遺跡におけるトレーニングプログラム参加の選考のための面接について紹介しましたが,8月17日より遺跡群において研修プログラムを開始しました。

参加する学生はプノンペン芸術大学の考古学部生と建築学部生,そしてメコン大学の建築学部生です。

 

プログラムでは最初に遺跡群内の寺院や都市の構造など,これまでに確認されている重要な遺構を見学することから開始しました。

その後,プラサート・サンボー寺院境内にて考古学的発掘調査を実施しました。さらに早稲田大学理工学部中川武先生が担当されている大学の海外授業のコースに参加している学生15名ほどと合流し,遺跡内の住民への聞き込みや子供達の交流会などにも加わっています。

 

発掘調査では,過去数年にわたり考古学的な研究が進められているサンボー寺院内の主祠堂から東側に約30mにわたりトレンチを掘り込んでいます。

昨年からこの主祠堂の周囲のテラスにてクリアランス調査を実施していることから,出土する遺構の推測が可能ですが,過去の発掘調査からも正面の伽藍主軸線上では様々な改変の痕跡が認められたため,東側では慎重な調査が必要であると考えられ,このたびの調査地の選定にいたりました。

 

調査を開始してからまだ一週間程度ですが,テラス上面の敷石や階段が確認されているほか,リンガや円形の台座などの石製の遺物が出土しています。また,増築時の遺構の痕跡なども一部に認められ,寺院の性格や変遷を考える上で重要な痕跡が明らかになりつつあります。

 

DSC04091.JPG 

今回トレーニングに参加した学生の多くが,発掘調査は初めての体験で,調査前日はやや緊張した面持ちでしたが,少しずつゆとりが出て全体を眺めながら考える余裕も出てきたようです。

 

今後二週間ほど調査は継続される予定ですが,調査の結果については後日お伝えしたいと思います。

 

本調査は「文化財保護・研究助成財団」と「住友財団」からの支援を得て進められているサンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業の一環として行われています。(一)

サンボー・プレイ・クック遺跡群の煉瓦造遺構を修復するための材料試験と工法試験を行っています。

 

遺跡群内のプラサート・サンボー寺院では、ここ数年間、発掘調査を行っていますが、様々な煉瓦遺構が新たに出土しています。特に、昨年からは中央の一辺20m四方のテラスの発掘調査を行い、これまでに西側半分のテラスがほぼ出土しましたが、各所ともかなり傷んだ状態にあります。このままでは、劣化が進んでしまうことから、これを埋め戻すか、あるいは適切な保存処置をすることが必要です。

 

100508_1.JPG七世紀に建立されたこの寺院内の発掘調査からは、後年のさまざまな増改築が確認されており、それら全ての出土した遺構を保存することは難しい状況にありますが、中央テラスは少なくとも一度の改築が認められているものの、出土したそのままの状態で保存することが可能です。そのため、中央テラスの煉瓦積みを保存するための方法を検討しています。

 

煉瓦は地盤沈下や煉瓦の自然落下等によって部分的にかなり変形している上、人為的な破壊の被害も認められます。特に、樹根の侵入に伴う変形が著しく、もともとは密着して積み上げられていた煉瓦積みの各所に亀裂や剥落が生じています。これらの亀裂や目地開きは、さらなる変形や崩壊の原因となる他、新たな植物が根を張る場所を提供してしまうことになります。

 

100508_3.JPG石積みの修復工事と同様に、変形した建物は各部材を解体して、再び積み上げることができれば良いのですが、煉瓦造の場合はそうはいきません。劣化した煉瓦では、解体した各部材が壊れてしまいますし、何より、無数の煉瓦を一つ一つ解体して元に戻す作業は現実的に不可能に限りなく近い仕事となります。

 

そのため、変形を残したままに、亀裂や目地開きを充填し、これ以上の劣化・破損が進まないようにする方法を検討しています。そのために必要となるモルタルの材料試験、そして充填のための工法の試験を行っています。

 

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100508_4.JPGこれまでの材料試験である程度の材料の選択、配合が決められていますが、現場作業での施工性がやはりなにより重要な点となってきます。そのため、現場で試験施工を行って施工性の確認を進めています。

 

試験はバイヨン寺院で石材修復の工事にあたっているベテランの作業員数名と、カンボジア人専門家も参加し、現地作業員と共同で行われています。何回かの試験施工を行った後、最終的な修復方法の決定を図る計画です。(一)

 

*サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業は、文化財保護芸術研究助成財団と住友財団からの支援をいただいて進められています。

ここ1週間は連日の雨。

カンボジアの雨と言えばスコールで,短時間にバケツをひっくり返し,バスタブをひっくり返し,25mプールをひっくり返したような,激しい雨が普通ですが,この度の雨は,日本の梅雨を思わせるようなシトシトとした陰気な雨と,この猛烈スコールを織り交ぜた変幻自在の長雨でした。

調査のために,シェムリアップとコンポントムを行き来していると,日に日に水位が高くなり,ついに先日,カンボジアの大動脈の一つ,国道六号線が冠水しました。

 

090912-6.JPGトンレサップ湖の北岸を走るこの国道は,南流する雨水を堰き止めるように土手上に延びていますが,北側に溜まった雨水が遂に国道のレヴェルを越えて,湖側に流れ込んだのです。

国道沿いには高床式の家屋が建ち並んでいますが,その多くが床下浸水で高床式の威力を存分に発揮しています。

 

090912-3.JPG道路しか地面がなくなってしまったため,人も動物も家か道路に集まります。牛・豚・犬・鶏などなど家に入れない動物たちは揃って道沿いに出て並んでいます。道路からは投げ網で魚を捕る人達,車が通過したときの飛沫を全身に浴びて楽しむちょっと危ない子供達,もうなにもかも嫌になったのか,それともこんな非日常が楽しいのか,道に椅子を並べてビールを飲むおじさん達。道には,生活があふれ出しています。

 

090912-5.JPGここ国道六号線は12世紀にアンコール王朝の大王、ジャヤヴァルマン七世が整備した「王道」を20世紀前半に再整備した道です。この道について研究をしていた成果をようやく短い論文にまとめることができましたが、実はこれを執筆したものの、分からないままに取り残された課題も少なくありませんでした。

王道の途中にはラテライト造の橋がいくつか架けられていますが、この橋はある研究者によって二つの機能があると指摘されていました。一つはもちろん道を横断するため、そしてもう一つは土手状のこの道が雨水によって決壊するのを防ぐため、というものでした。後者の理由は、頭の中では理解されるものですが、なかなか実感がわかず、果たしてそんな目的が本当に必要だったのだろうか?こんな橋で貯水を放水することで決壊が防げたんだろうか?と疑問ではありましたが、今回の様子を見て、心底納得できました。

 

090912-1.JPGまた、自分で提案しながら不安であった、この土手を道路と併せて灌漑施設に利用したのではないか、という仮説もまた、十分に確かそうだという手応えを得ることができました。

アンコール遺跡は「水の都」と呼ばれるほどに、様々な水利施設が、宗教施設と一体化して都市を形作っています。雨季と乾季に二分される環境において、雨水を年間を通じて再配分するための施設が作られたわけです。とうぜん、乾季の水不足を解消することが大きな課題ではあったと思いますが、あわせて、雨季に猛威をふるう雨水をどうやってコントロールするのか、という点もまた重要な点であったことでしょう。

 

090912-4.JPGサンボー・プレイ・クック遺跡にもいくつかの水利施設が確認されつつあります。これらの施設、いつもは見ていてもとても不思議です。ちょろちょろと流れるような小川に立派な土手が築かれ、水路が通され、貯水湖が設けられる。はたして、こんな施設がどれほど役に立ったのだろうか?と。

しかし、こうした自然の力強さを目の当たりにして、いつ来るとも知れない不測の事態に備えて公共施設が築かれたという様子が想像されます。年間を通じて恒常的に利用された施設と、突発的な災害時にこそ力を発揮する施設とが、ここには複雑に組み込まれていたようです。(一)

 

*文中の論文

下田一太、中川武「新旧の王都をつなぐ古道について-クメール古代都市イーシャナプラの構造に関する研究 その2」日本建築学会 計画系論文集,No.642, pp. 1867-1874.

サンボー・プレイ・クック遺跡群は7世紀の王都「イーシャナプラ」の都城址です。たくさんの煉瓦造寺院が残されていることで知られています。最近は,シェムリアップからの日帰り旅行やプノンペン-シェムリアップ間の移動時に立ち寄る観光客も増えてきています。

 

観光客が多く見学に訪れる寺院が建ち並ぶ地区の西側には,1辺2kmの正方形の環壕に囲まれた都城の跡地が残されています。これまで,この地区での調査はあまり進められていませんでしたが,ここ数年の間にサンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業(早稲田大学建築史研究室とカンボジア文化芸術省の共同事業)により,踏査が進められ,60近くの寺院跡が記録されるに到っています。その他,地上に落ちている遺物を収集する表採調査や,都城内の村落の調査が行われています。

 

このたび,2009年8月より,この都城内では初めての発掘調査が行われました。地元の人々によってド・モンと呼ばれている寺院跡地での発掘調査です。

この寺院は,都城の東側に位置しており,寺院が集中している地区と都城を連結する上で重要な地点にあります。寺院地区と都城の間にはオー・クル・ケーと呼ばれる川が流れていますが,この川の西岸に位置しており,寺院から川を渡って都城へと入城した際に表玄関となるべき寺院であった可能性があります。

 

都城内の寺院の多くは崩壊が著しく,寺院の建材であった煉瓦がマウンドとなって散乱しているだけの状態に倒壊しているのが一般的ですが,ここド・モン寺院では祠堂の一つが比較的良好な状態で保存されています。寺院の形式や装飾様式は,寺院区の主要な祠堂と類似しており,そのために七世紀の建物であることが推測されます。

 

寺院は東面し,東西に長い長方形の境内を寺域としていたようで,周囲から一段高くなった土地に位置しています。寺院は周壁に囲まれていたようで,今回の調査ではこの周壁を明らかにするための発掘調査が行われました。

周壁の東門と北東隅に推測される地点にトレンチが入れられ,発掘調査が進められました。いずれの発掘地点ともに予想されていた東門と周壁隅の遺構が出土しました。

 

しかしながら,発掘調査で予想通りにことが進むことはありません。

それが発掘調査の面白さ,醍醐味でもあるわけですが。。。

 

当初,考えていた構造とはずいぶんと異なる遺構が検出されました。東門は建造精度が著しく低く,寺院内の祠堂とはかけ離れた精度です。また,これまで一週間の調査が進められた限りでは,後世に増築されていた可能性も推測されます。

 

サンボー・プレイ・クック遺跡の寺院内でのこれまでの発掘調査では,アンコール時代に到ってからの増改築の痕跡は頻繁に確認されてきました。そのため,少なくとも宗教センターとしてはこの地区はアンコール時代に至ってからも重要な地方拠点であったことが推測されてきました。しかしながら,都城内では,王都であった七世紀に最盛期を誇り,その後はその重要性を失っていったものと考えることもできました。

 

今回の小規模な調査の結果からだけでは十分なことは判りませんが,想像を逞しくするならば,アンコール時代に至ってから後,都城内もまたその重要性を失わずに様々な活動が継続されていた様子を思い描くことができます。

 

この発掘調査の結果については,また後日,続報をお伝えしたいと思います。

 

なお,本調査は,プノンペン芸術大学の考古学部生,メコン大学の建築学部生への研修が同時に進められている他,早稲田大学オープン科目の実習授業の場として,日本からの学生も多数参加しています。

サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業は「文化財保護・研究助成財団」と「住友財団」からの支援を得て進められています。(一)

2009年3月13日,プノンペンにて早稲田大学とカンボジア文化芸術省との共催で「サンボー・プレイ・クック遺跡におけるこれまでの研究と今後の修復工事への取り組みに関するセミナー」を実施しました。

 

1998年より開始された早稲田大学によるサンボー遺跡群の「研究・保全事業の成果」と,今後予定している「修復工事計画」を関係者に報告し,今後の体制や方針を協議することが一つの大きな目的でした。

 

セミナーは朝8時から夕方5時までの丸一日におよぶもので,関係者16人からの挨拶や報告がありました。

 

セミナーは文化芸術省副大臣Som Sokunによる開幕の挨拶に始まりました。

 

続いて日本国大使館,丸山則夫公使より御挨拶をいただきました。カンボジアにおいて一際注目をあつめているアンコール遺跡群の他にも,多数の遺跡群が重要な歴史的痕跡として残されていることについて,また,そうした遺跡群は世界の共有財産ではあるが,第一義にはカンボジア自身の,また地域住民にとってかけがいのない所産であることについて強調されました。アンコール遺跡群における近年の遺跡管理の経験を十分に活かし,その上で,遺跡周辺の人々がより積極的に遺跡にコミットしていける体制・環境を整えていくことを目指したい,とのお話をいただきました。

 

オープニングセッションでは続いて,早稲田大学のサンボー遺跡保全事業の代表である中川武教授より,事業のこれまでの経過が報告され,いくつかの課題を乗り越えながらも,今後より一層の調査と保存のための活動が望まれることについて話をされました。

 

さらに,カンボジアユネスコ代表の神内照夫氏より,サンボー遺跡のユネスコ世界遺産の登録の可能性についてのお話をいただきました。現在,カンボジアでは世界遺産申請のための暫定リストに8つのサイトが登録されています。バンテアイ・チュマール,バンテアイ・プレイ・ノコール,ベン・メアレア,プレア・カーン(コンポンスヴァイ),コー・ケル,アンコール・ボレイとプノム・ダ,ウドン,そしてサンボー・プレイ・クックです。世界遺産とはどのような意義があるか,登録のための判断基準ならびに,登録までの過程についてのお話の後,サンボー・プレイ・クック遺跡が世界遺産登録の判断基準の全てをほぼ満たしているという心強いコメントをいただきました。また,2000年の世界遺産会議における「ブダペスト宣言」の中でも,特にコミュニティー・インボルブメントという視点についてサンボー・プレイ・クック遺跡には期待されることが,強調されました。今後,文化芸術省を中心として,支援団体,ユネスコとが一丸となって,世界遺産登録に向けて努力していきたい,という明確な方向性を示していただきました。

 

 

オープニングセッションに引き続き,以下の報告がありました。

 

Keo Kinal(文化芸術省遺跡保存局)からは,彼自身の修士論文のテーマでもありましたローバン・ロミアス遺跡を通じて,サンボー・プレイ・クック遺跡における20世紀初頭から始められた既往の調査についての報告がありました。また,ローバン・ロミアス寺院より出土した碑文から確認される歴史的な重要性と,それらを肉付け・検証してゆくための発掘調査を伴う実証的な調査が今後ますます必要となっていくことが指摘されました。

 

Chhang Kang(コンポントム州文化芸術局局長)からは,現在の遺跡の管理体制や様々な事業についての包括的な報告をいただきました。

 

下田一太(サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業)からは,早稲田大学による近年の調査研究の経過と主要な成果について報告がありました。特に,ここ数年のうちに進められているプラサート・サンボーにおける各種の発掘調査・1960年代に実施されたEFEOの再確認発掘調査ならびにプノンペン博物館における保管資料の調査・遺跡群周辺での発掘調査・都城区内外の表採調査などについて,概要が紹介されました。

 

Him Sophorn(サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業・コンポントム州文化芸術局文化遺産課長)からは,現状のメンテナンスの体制と内容についての報告がありました。近年進められてきた危険樹木の伐採・危険箇所へのサポートの設置・草刈り・枝払い・塔内の整備・装飾台座の修復・神像レプリカの設置,そして2008年度に実施しているプラサート・サンボー寺院内の整備作業について報告されました。

 

So Sokuntheary(サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業・メコン大学教授)からは,煉瓦造祠堂の倒壊の原因とメカニズム,そして現状での危険箇所について報告がありました。また,保護ゾーニング内における現状での問題点について整理されました。さらに,現在,カンボジア政府ならびに日本政府に申請中の修復工事のための資機材調達支援の状況と,今後4年間で計画している修復工事の詳細についての報告がありました。

 

Kong Bolin(文化芸術省文化財遺物局)からは,近年文化芸術省が実施した煉瓦造祠堂の修復工事について報告されました。コンポントム州のプレ・アンコール期の遺構であるプラサート・プン・プラサートとプラサート・アンデット,またカッコンのKum Chanと呼ばれるストゥーパの修復工事について,技術的な方法と問題点や課題について話がありました。煉瓦やモルタル,仕上げ材の耐久性についての研究の必要性が強調されました。

 

Ngin Hong(GTZコンポントム州代表)からは,コンポントム州全体のコミュニティーベースでの観光開発についての報告がありました。貧困解消と住民の生活向上の手法としての観光開発のあり方について,これまでのサンボー・プレイ・クック遺跡群における試みと合わせて,その可能性と課題について話をされました。GTZはこれまでサンボー遺跡群において,保全事業と共同で,ハンディ・クラフトのトレーニング,英語トレーニング,小ビジネストレーニング,ガイドのトレーニングなどを行ってきました。また州内の観光地の掘りおこしや,観光地のプロモーションを国内外の観光会社に行ってきました。今後,さらに遺跡群周辺の住民への観光開発に関連した雇用機会の促進に努めていきたいとの報告をいただきました。

 

Pheng Sytha(文化芸術省考古局副長)からは,カンボジアという地域と歴史背景に即した発掘調査について,サンボー・プレイ・クックとは異なるサイトの事例を通じて話をされました。

 

Kou Vet(文化芸術省遺跡保存局副長)からは,サンボー・プレイ・クック遺跡のゾーニング法や今後の開発のためのマスタープランの策定方法についての報告がありました。

 

コンポントム州副知事からは,州を代表して保全事業に対する感謝の意と,州当局の今後のさらなる協力について挨拶をいただきました。また,国連ボランティアとして派遣され,サンボー・プレイ・クック遺跡の近くの村で亡くなられた中田敦氏とその後のアツ村における支援など,日本とコンポントム州とのこれまでの関係についてお話しいただきました。

 

Ok Sophun(文化芸術省文化事務次官)からは,文化芸術省の文化財への取り組みについて,報告がありました。保存と開発とを進めるための,人員・対象となる文化財・博物館計画・財源・無形有形文化財の管理体制などについて概要が伝えられました。

 

これら一連の報告の後に,Him Chhem文化芸術省大臣より閉会の挨拶を迎えました。各方面への気遣いに満ちた温かい御挨拶でセミナーの幕が閉じられました。

 

*本セミナーの開催は,「文化財保護・芸術研究振興財団」ならびに「住友財団」からの支援を得て実施されました。

 

サンボー・プレイ・クック遺跡群の中でも最も大きな複合寺院の一つである,プラサート・サンボーでは,2008年10月より中央テラスのクリアランスを行っています。このテラスの上には,この寺院の本殿となる主祠堂が配されており,伽藍全域の中央に位置しています。

 

サンボー・プレイ・クック遺跡群では,2001年より早稲田大学建築史研究室とカンボジア文化芸術省との共同事業となる「サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業」が開始されましたが,その初年度に国連世界食料基金からの支援を受けて,この主祠堂周辺に堆積していた煉瓦や土砂のクリアランスを行いました。

 

建立当初,この主祠堂は伽藍の中でも,ひときわ大きく,荘厳な建物であったものと推測されますが,現在では屋蓋(建物の屋根)は崩落し,壁体の上端までしか残されていません。2001年の時点では崩落した建物上部の煉瓦が周囲に堆積して全体として小高いマウンド状になっていました。

 

2001年に,堆積した煉瓦の除去を行いましたが,その際には,テラスの上面までの全ての煉瓦はクリアランスしませんでした。その後,プノンペン芸術大学の考古学部と共同で,このテラス上に2×2mほどの範囲で小さなトレンチを入れ,テラス上面の残存状況についての調査を行いました。この調査によって,テラス上面は,完全な状態を留めているわけではないものの,煉瓦積みの構造体は確実に残されていることが確認されました。その後,寺院の中心に位置し,最も重要なエリアであるこのテラスの全面的なクリアランスが望まれている状況にありました。しかしながら,各祠堂のサポートや塔内のクリアランス,その他の優先すべき調査が先行し,これまでテラスでの作業には着手することができずにいました。

 

2008年に,ようやくこのクリアランスの作業を開始することができ,今に至っています。現在は第一段階として,テラスの北西象限のクリアランスを進めています。

 

クリアランスの結果,テラス上面には大型の砂岩が敷き詰められていたことが明らかとなりました。また,テラスの北西隅には小さな煉瓦の祠堂が確認されました。この祠堂の装飾部位であるリンテルは7世紀の様式でしたが,この部材は加工して再利用された痕跡が認めらたため,この寺院が建立されたと推測される7世紀よりも後世に増築されたものと考えられます。テラスの四方には砂岩造りの階段が取り付いていますが,北面・西面のそれぞれからは砂岩長材により構成される階段が出土しました。また,主祠堂の北・西面からも扉の前方に階段が確認されました。ただ,テラスと主祠堂それぞれの北側の階段は砂岩材がひどく痛んでおり,また原位置から大きく動かされた位置で出土しました。にもかかわらず,砂岩直下の煉瓦積みはほとんど損傷しておらず,これらの石材がなぜ攪乱されたのか原因が判りません。おそらく重さが1tはあろうという石材も含まれており,そう易々と動かせる代物ではありません。

 

今回のクリアランスでは,こうした散乱している石材を原位置に復位し,またテラス上面やテラスの縁の脆弱化した煉瓦積みを補強してゆく予定です。こうした修復処置を開始する前作業として,各部材の発見された位置や煉瓦の状態を記録する図面記録・写真記録・三次元形状記録を行いました。煉瓦積みの補強作業も含まれますので,雨季に入る前には一通りの処置を終えるように作業を進めてゆく予定です。

 

 

また,3月初めより,サンボー・プレイ・クック遺跡では,早稲田大学の学生ボランティアグループ「JUJU」が周辺村落の調査や地元の高校生との交流活動を行っています。今回は約10名の大学生が,地元の高校に創設された自主グループ「ASCA」の高校生約20名と共同で活動をしています。

遺跡群周辺の村落内でのホームステイや聞き取り調査,地域行政との会合などを通じて,遺跡という文化資源を地元住民がどのように受け止め,どのように活用し,どうやって相互に有意な関係を築くことができるのか,といったことを学生ならではのパワーで取り組んでいます。(一)

 

 

*「サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業」は文化財保護・芸術研究振興財団ならびに住友財団からの支援を得て進められています。