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2月から3月にかけてコー・ケー遺跡群にて発掘調査を行いました。

 

過去3年間にわたる当遺跡群での調査は測量と踏査を中心としたものでしたが、その中でクメールの造形芸術としては特異なリンガ崇拝の極を達していることが推察されてきています。それを受けて、今回の調査ではリンガ祭壇の解明を目的として三カ所の大型台座を含む遺構で実施しました。

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(上図の台座は現在半分が土中に埋もれていますが、全高は4m近くに達します)

加えて、遺跡群内で王宮跡地と推測されている地点一カ所にて測量・表採調査・発掘調査を実施しました。王宮の跡地であることを示す痕跡を得ることはありませんでしたが、複雑な平面のラテライト基礎の配置とそれらの間には排水溝らしき遺構も認められ、今後の調査に期待がもたれる結果が得られました。

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調査はアプサラ機構との協力で実施しました。調査結果の詳細は現在作成の準備を進めているアンコール遺跡の地方都市建築研究を目的とした科学研究費の報告書内で報告の予定です。(一)

コーケル遺跡群の調査は予定外にまだまだ続きました・・・。

 

調査後半 3月7,8,12,13日

4、5日目:この日からはベンメリア調査隊とコーケル調査隊の2つにわかれました。

 

コーケル調査一班は、コーケルの中心寺院であるPr,Thomの図面チェックと、同遺構内に残るリンテルやペディメント、その他の建築装飾の調査を行いました。また、周回道路周辺の遺構に関しても建築装飾が残存している寺院を対象に調査を行いました。

 

二班はコーケル遺跡群南東〜南西に数多く散在する台座と、標石の採寸及びインベントリーの更新を行いました。南東の標石(KK76)の周辺には、これまで報告されていなかった数十メートルもの長さの砂岩列や加工されたラテライトがまとまっている場所などが確認され、この標石の謎はますます深まるばかりです。

 この地帯を実際に歩くとその起伏の激しさに驚かされますが、台座やテラスはその中でも比較的小高い場所に安置されています。台座はいずれも破損が著しく、大半が2つもしくはそれ以上に破壊されています。新たに台座と標石それぞれ一基ずつが発見されました。

 

6、7日目:とうとうコーケル遺跡群での調査メンバーは2人になりました。

 

6日目はラハルの西にあるAndong Prengという貯水池の採寸を行いました。この遺構はこれまでそれほど大掛かりな調査は行われていませんでしたが、周辺を歩くと次から次へといたるところにラテライト列が続いており、時には部屋のように四角く、いくつかに区切られたような痕跡も見られました。また装飾が施されたいくつかの瓦当も確認され、かつてはここに木造の建築物があったことが伺われます。非常に興味深い遺構ですが、今後さらなる調査を要する遺構です。

 

その後、コーケル遺跡群北部の台座やテラス、標石の採寸とインベントリーの更新のため、地元の方の案内のもとバイクでどんどん北へ進みます。この日、新たに台座1つが目録リストに加わりました。

 

最終日となった7日目は、とにかく残りの作業を終わらせるべく、西へ南へとせっせと動き回りました。残っていたPr.Dang Toung S.とPr.Dang Toung Nの図面チェックを行い、パルマンティエのレポートに描かれていたモールディングの残る台座などを確認しました。遺跡群の東方にやや離れた地点では、とても残存状態の良い台座が発見されました。

 

ここまでひたすら図面チェックと台座の採寸を続けていると、最初は違いがあるのかと疑っていた台座にも少しずつプロポーションや大きさ、モールディングの内容が異なるということがわかってきてどんどん面白くなってきます。

 

過去数年にわたりコーケル遺跡の調査が行われていますが、来るたびに遺跡群内のクリーニングが進んでおり、図面の更新もエンドレスにできてしまいそうです。そして歩けば歩く程に、新たな遺構や遺物が発見され(発見と言っても住民は以前より知っていることが多いのですが・・・)、コーケル遺跡群の森の中にはまだまだ多くの遺構が眠っているのではないか?と想像は尽きることなく、次なる調査への期待が高まってしまいます。(島田)

 

*本研究は日本政府文部科学省科学研究費補助金による助成研究「クメール帝国地方拠点の都市遺跡と寺院遺構に関する研究(研究代表者 溝口明則)」によるものです。

プレアヴィヘア州のクメール遺跡調査後、日本からの調査員がさらに数名到着し、2010年春期の全体調査は2月26日から始まりました。調査の中心は冬季の調査に引き続きベンメアリア寺院ですが、それに並行して、3月4日から13日の計7日間にわたってコーケル遺跡群での補足調査を行いました。

 

今回の主な調査内容は、

a)     これまでTPS、GPSなどの機材による測量及び手ばかりにより作成してきた遺跡群内各寺院の配置図の最終チェック(Pr.Thom[KK01]からPr.Boh Lohong[KK34]まで)

b)     Ang Khnaに彫られた多数の露頭への彫刻の美術的調査と正確な分布地図の作成(この遺構はラハル南、広く露呈する砂岩の岩盤に直接、動物とみられる彫刻や、神々の彫刻、そのほか円や四角の幾何学模様の彫刻が彫られている非常に興味深い遺構ですが、これまでその彫刻内容の種類・意味・位置などについて詳細な調査が行われていませんでした。)

c)     Pr.Thomを中心にコーケルに残された「リンテルやペディメント」その他彫刻の美術史的な観点による調査

d)     コーケルでこれまで確認された多数の「台座」の採寸と確認。いくつかの台座の装飾のスケッチ

e)     「標石」と呼ばれる遺物の確認と採寸

f)      各種目録の更新

 

等々です。特にコーケル遺跡群の奥地は乾季でなければ踏み込めない地区が多くあるため、今回の乾季中になんとかやってしまいたいと考えていました。

 

調査前半 (3月4日~6日)

最初の3日間は下田、佐藤、伊藤先生(広島大)の他、学生5名(早稲田大学・同志社大学)の計8名で行いました。

 

1日目:午前 全員でPr.Pramの図面チェック及び図面修正の方法についてけんと宇

      午後 2班に分かれて周回道路沿い南部の遺構図面チェック及び台座採寸

          伊藤先生班はAng Khnaの調査を開始

 

2日目:午前、午後ともに前日に引き続き周回道路沿いの遺構図面チェック及び台座採寸

     伊藤先生班は一日中Ang Khna調査

 

3日目:午前、午後ともに2チームに分かれて遺構図面チェック

     調査班1:バイクを利用して地元ガイドの案内をもとにPr.Thomの裏側、

          コーケル遺跡群西側の遺跡群の、図面チェック及び台座の採寸

     調査班2:周回道路沿いの残りの遺構の図面チェック

      伊藤先生班:Ang Khna の調査の続き

 

 

寺院遺構の再調査では、以前よりもクリーニングが進んでおり、これまでには見えていなかった石列や基壇などを確認することができるようになった箇所も少なくありませんでした。

 

Ang Khnaでは彫刻が比較的広い範囲に散在していますので、それらを網羅的に確認する作業は大変です。しかし、美術史家の視点は、これまでの私たちとは少し違った意味が潜んでいることを鋭く察知されたようです(島田)

今日はアンコール遺跡群の管理機構である「アプサラ」にてコーケル遺跡群に関する会合がありました。

いくつかの国際的な調査隊が同時並行的に研究を進めているため,そうした調査隊が一同に顔を揃えて各調査の進捗状況などを報告する機会となりました。

報告のあった調査隊は,破損している彫像の修復を予定しているドイツ隊(GACP),プラサート・トム寺院内で発掘調査を近く予定しているフランス隊(EFEO),三年間の総合的な調査計画を開始したハンガリー隊(Royal Angkor Foundation),碑文研究を行っているボン大学,そして日本隊(JASA・早稲田大学・名城大学)の5チームです。

同じ遺跡で汗を流している同僚という緩やかな親近感と,調査成果を競い合う静かな敵対感とが同居した会合となりました。(一)

調査の経過報告が滞っていますが,カンボジアでは日増しに灼熱化が進む中,連日の遺跡往復が続いています。

調査の進展に伴い,コー・ケル遺跡群はますます大きく複雑な古代都市の様相を帯びてきました。記録された遺構数は宗教施設と思われるものだけで70を越えました。加えて,貯水池・土手・道といった様々な土木工作跡が発見されています。

 

調査はいくつかの班に分かれていますが,およそ次のような課題に取り組んでいます。

1.遺跡群内の踏査(遺構の検出・道の記録・地形形状の記録などが目的)

2.遺跡群内の遺構の目録の作成(あるいは過去の目録の更新)

3.寺院施設の平面測量(設計方法の研究)

4.寺院施設周囲の微地形測量(施設の選地に関する研究)

5.土木工作跡の形状記録

 

調査メンバーの出入りもありますが,最初から加わっている調査員はもうすでに相当の疲労が蓄積してきています。

調査はあと1週間ほど続くの予定です。

また,すでに日本に帰国したメンバーは調査データの整理に着手しているようです。(一)

 

*本研究事業は日本国政府文部科学省科学研究費補助金による助成研究「クメール帝国地方拠点の都市遺跡と寺院遺構に関する研究」のもとに進められています。

 

少し日が経ってしまいましたが、コーケル遺跡群の調査は連日続いています。

 

これまでに、以下の調査が進行中です。

調査班1:遺跡群内の主要な寺院の平面測量(過去に測量機器を用いた実測を終えており、今回はマニュアルで採寸する作業。一日でおよそ3寺院の採寸を終えています。)

 

調査班2:過去の基準点の確認とハンガリー調査隊への情報提供(今回の調査ミッションで予定している微地形測量に用いる基準点の確認。また、いくつかの寺院で測量を開始したハンガリー隊に、私たちが過去に計測した測量成果を電子情報と現場確認の上で伝える作業。)

 

調査班3:遺跡群全域の構造に関する調査(北方調査については先日お伝えしましたが、その後も貯水池ラハルの西側調査や遺跡群全体の北西域の調査を行いました。ラハル西の調査では自然形状か人工構造物か定かではありませんが、直線的な土手状の起伏が確認されました。また、北西域の調査では、「王道」の明瞭な痕跡とラテライト造の橋が確認されました。

 

また、26日には2名の調査団員がシェムリアップに到着。27日からは2台に分乗して遺跡に向かっています。(一)

コーケル調査は2日目に入りました。

今日も2班に分かれての調査です。

 

第2班は昨日の続きということで遺構の採寸を進めます。今日はPrasat Balan, Prasat Thnen, Prasat GそしてPrasat Andon Kukの途中までを採寸しました。遺構の残りがあまり良くないため、復元的な考察を要するこの調査は個別に工夫しながら測ってゆく必要があります。

 

さて、第1班は本日たいへんな調査になりました。こちらのメンバーはこれまでに世界各地の遺跡で測量を中心とした考古学的調査を経験されている内田賢二先生と、アンコール遺跡ではすでに10年以上のキャリアとなる早稲田大学測量実習室の金沢誠先生が同行されました。

コーケル遺跡群の北方を横切る王道の踏査です。

通常、遠方の踏査にくり出す際にはバイクに乗っていきますが、今回はより速度を落として目線を配りながら進もう、ということで徒歩での行程。9時20分ころの出発でした。

遺跡北側の村を通過し、遺跡群と王道の連絡路となる土手道を北進します。遺跡群の北側と西側には直線的な土手が確認されますが、これに加えて、北方へと走るこの土手道は航空写真からも良く観察される遺構です。土手を進むとラテライトのブロックが路肩を造っています。途中、沿道に少し入ったところには煉瓦造の祠堂も確認されます。

踏査では航空写真をつかって常に位置を確認しながら歩を進めます。最近では携帯型GPSとノートパソコンをつないで、カシミールなどのソフトを使えば簡単に現位置を写真上で確認しながら踏査ができますので、航空写真上に見えている俯瞰的な環境状況と、地上に立って周囲を見渡すという二つの視点を併せ持ちながら進むことができます。

今回の調査では、東京大学新領域の南雲直子さんがランドサットからの衛星写真上に航空写真を位置あわせしたナビゲーション用の地図を準備してくれました。

航空写真より土手道の存在は確認されていたのですが、思っていた以上に幅の広いもので当時はさぞかし立派な大通りであった様子がうかがわれます。土手道は約1.5kmにわたって延びており、その先には大型のラテライトの遺構が残されていました。おそらくここで一度土手道は途切れているようで、遺跡群から延びる道の北端をなしています。さらに少し進むと再び土手道が現れます。

新しく入植したばかりという風情の村が現れ、高床式の家々が列ぶ小さな村が土手道に沿って並んでいます。土手道は先の道よりもかなり細くなりますが、その分、周囲の地表面からの比高が大きくなります。ラテライト造の路肩もまだまだ続きます。

2kmを北進したあたりで土手道は緩やかに北西に折れます。この土手は道であると同時にダムであったことも推測されるところで、航空写真を見る限りではこのダムに堰き止められた川が大きく蛇行している様子も見られます。このダム上の土手沿いには、ラテライトの遺構が不規則にあるようで、ちょっと眺めた程度ではその構造、機能は分かりませんが、なんらかの施設跡であることは明らかです。

道は徐々にジャングルの中に消えてゆきます。木々をかき分けながら、何とか進むような状況です。しかしまだまだラテライトの遺構は続いてきます。たいへん興味深いところですが、木々に囲まれた状況で、この遺構の全景をどのようにして表現するのか、というのは今後の難しい課題として残されそうです。

  

090222.JPG持ってきた水も徐々に底をつきつつある中、北方に蛇行するセン川の支流にようやくのこと到達しました。もはや12時をすぎています。暑さで朦朧とする中、ほとんど干上がった川底の岩盤に腰を下ろします。河床には柱穴らしきものが列んでいます。いつの時代のものでしょうか。

 

ここで昼食を取ることにしました。遺跡群へ来る途中で買った竹筒ご飯が昼食です。川底に残った水の中に泳ぐ魚と飯を分け合いながらの食事。

この段階でかなりへばっていた私たちは、まだ数キロはあるだろう王道の痕跡までの最終アタックをかけるかどうか悩みましたが、引き返すのは惜しい、ということで当初の目的地、王道跡まで踏査を続けることにしました。

最も暑い時間にさらに1時間半ほど歩いたところで、ふと航空写真を確認すると、どうやら既に王道を100mほどすぎた地点に立っているではありませんか。緩やかに盛り上がった道の存在を固く信じていた私たちにとっては、とても気づかずに通り過ぎてしまうようなものだとは思わなかったのですが。その後、思い脚を引きずりながら歩き回りましたが、結局王道の跡は確認することができず。

実はこの調査、地元の青年に道案内をしてもらっていたのですが、彼がこの近くに遺跡があるのを知っているということで、今度はその寺院探しが始まりました。しばらく歩いて、もうさすがに限界かと思われたところで、茂みの中に立派なラテライトの壁が見えてきたではないですか!

煉瓦造の主祠堂に経蔵を一基付け、東側に砂岩造りの門を構えるラテライトの周壁を巡らせた寺院がありました。王道そのものの痕跡は認められませんでしたが、この沿道に位置する遺構です。後から既存の遺跡分布地図で確認したところ、Pr. Ta Maenであることが確認されました。

この時すでに時間は午後3時。これから今日来た道を引き返すかと思うと、あまりに厳しい状況でしたが、尻をたたいて帰路につきました。再び1時間半ほど歩いたところで、村落に到着。そこには2台のバイクが!

今日一番の発見だったかもしれません。バイクに乗ってしまえば、ほんとに近いもので。あっという間に到着。

本当にお疲れ様でした。(一)

 

*本研究事業は日本国政府文部科学省科学研究費補助金による助成研究「クメール帝国地方拠点の都市遺跡と寺院遺構に関する研究」のもとに進められています。

コーケル遺跡群は、アンコール遺跡群の位置するシェムリアップより約80km離れた、当時は「チョック・ガルギャール」とよばれたクメールの古代都市の一つです。

アンコール王朝、第七代目の王「ジャヤヴァルマン四世」が王神をこの新しい都に遷したのが10世紀前半、921年のこと。しかし、この遺跡群が王都であったのはたった20年ほどの期間で、王の死と同時にすぐさまアンコールの地に再遷都された短命の都でした。

今日から、3週間ほど、この遺跡群の調査研究についてお伝えしたいと思います。

日本国政府アンコール遺跡救済チームでは、シェムリアップより遠方に位置する遺跡群の調査研究も進めていますが、ここコーケル遺跡群では2005年に早稲田大学の調査隊が調査を実施しました。この時の資料は遺跡群目録としてまとめられています。

その当時、遺跡群はカンボジア文化芸術省の管轄にありましたが、その後、アプサラ機構の管轄下に移動されます。現在では、アプサラ機構のスタッフ約70名が遺跡群内の各寺院の清掃、メンテナンス、ガードなどを進め、ここ数年の間に遺跡群内は見違えるように整備されました。

また、アプサラ機構により小規模ではありますが、貯水地の水門や王宮内と推測される地域3カ所にて考古学的発掘調査が実施されました。

文化芸術省とEFEOの共同研究であるCISARKでも、過去数年の間に、コーケル遺跡群の調査が行われ、網羅的に遺構の確認がなされました。

2007年からは、名城大学(代表:溝口昭則教授)と早稲田大学との共同チームによりさらなる研究が進められています。また、最近ではシドニー大学の調査隊が、主に衛星写真を利用したリモートセンシングにもとづく調査を進めているほか、今年2月からは3年間の大型研究プロジェクトとして、ハンガリーの研究者を中心としたRoyal Angkor Foundationによる調査が開始されました。

そういったことで、この遺跡群の研究活動は盛り上がりつつあります。

 

このブログでは、第6次ミッションとなる「名城大学+早稲田大学」の研究事業についてご紹介していきたいと思います。

今日2月21日が調査第一日目となりましたが、調査団第一陣となる4名は2日前にシェムリアップ入り。こちらに保管している機材チェックなどをすませました。

これまでに調査許可を取得した他、調査に必要となる衛星写真・航空写真・地雷撤去エリアの情報など各種の資料を準備しました。

また、先週のうちに、2週間前より現地調査を開始したハンガリー隊とのミーティングをJASA事務所にて数回実施。ハンガリー隊と調査成果の交換を約束するメモランダムを締結することとなりました。

 

数ヶ月ぶりに訪れたコーケル遺跡群への道は、前回よりもかなり悪くなっており、高速ドライバーで有名なわが調査隊の車でも2時間10分ほどかかりました。今回の調査は、日帰りを繰り返すことを予定していますが、道の悪化のため、現地滞在の可能性を考えざるを得ない状況となり、今日は近くにできたゲストハウスをのぞいてきました。数ヶ月前にオープンしたゲストハウスは、思った以上に清潔で、シャワーもついており、最寄りのスラヤン村に以前よりあったゲストハウスよりも格段に上等な宿泊施設でした。すぐには決められませんが、往復に毎日4時間以上を費やすことを考えると、こちらのゲストハウス滞在は望ましいようにも思われました。

さて、午前中は、現地のアプサラ機構担当官のソムナム氏との久しぶりの再会の後、ハンガリー隊の調査の様子を見て回りました。いくつかの調査が並行して進められていますが、写真測量による遺構の図面化、池や門といった寺院周囲の付属施設を取り込むための測量などが主要な仕事となっています。その他、陶磁器の表採調査やセスナによる遺跡上空からの調査なども興味深い内容でした。

また、私たちの調査隊の過去の測量について説明した後、実際に現存している基準点を紹介し、ハンガリー隊にも有用な資料の提供の相談などを行いました。特に、写真測量を進めている遺構において、地球上の精確な番地情報をこちらから提供することとなりました。

午後の調査では、二班に分かれ、第一班は遺構の選地条件を検討すべく微地形測量を実施するための対象遺構の選定を進めました。

第二班は、これまでにGPS測位>トータルステーションによる平面測量を終えた寺院において、残存する遺構の状況を読みながら復元図面をおこすための採寸をPr. Bantay Pir ChanとPr. Dの両遺構において実施しました。

夜はこのブログを書いている横で、現地計測の野帳をもとに、二名の学生が図面をおこしています。(一)

 

*本研究事業は日本国政府文部科学省科学研究費補助金による助成研究「クメール帝国地方拠点の都市遺跡と寺院遺構に関する研究」のもとに進められています。