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バイヨン寺院の本尊仏の模刻制作がいよいよ本格的に始まりました。

 

2月上旬より石材の粗加工を開始していましたが、本格的な制作開始にあたり、東京芸術大学より仏師の矢野健一郎先生、アシスタントの川島恵さん、そしてコーディネートに千葉真由子さんにお越しいただきました。

現場では5名の技能員が作業にあたっていますが、彼らに対して基本的な彫像の見方、そして作業の工程についての指導が進められています。

まず最初に彫像の表層をなす形状の内部に、人体の骨格や筋肉がどのように表現されているのか、解剖学的に本尊仏を観察する方法について解説されました。続いて、現存する本尊仏が既に修復されており、一部には誤った復元的表現がされていることについて説明され、今回の模刻においての基本的な復元考察の指導が加えられました。

120322_1.JPGバイヨン本尊仏の類例となる彫像として、昨年、タ・プロム寺院のダンシングホールの脇から大型の仏像が出土しているため、この彫像の見学に向かいました。この仏像は頭部はないものの、身体は残存状態がよいため、本尊仏では欠損している箇所の参考となりました。

120322_2.JPG制作の工程は、矢野先生が日本国内で準備された木造のミニチュア像を利用して説明されています。制作過程において一貫して基準となる点、線、面の取り方を明示され、その基準を水平・鉛直方向にとって加工するために、石材の位置が再調整されました。

さらに、レーザーレンジセンサーによって得られている仏像の三次元形状データから、彫像を縦横に切断した断面型枠をベニヤ板より準備しています。この型枠によって立体的に仏像の形状へと彫り進んでいくことになります。

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本事業は、「朝日新聞文化財団(日本の仏像修理の技術移転事業)」と「早稲田大学仏教協会支援グループ」からの支援を受けて進められています。(一)

先日報告しましたイーシャナプラ(サンボー・プレイ・クック遺跡群)での調査を完了しました。

 

カンボジアにおける7世紀の都城址の内部に、村民により1.5kmにおよぶ道が建設され、その側溝から多数の遺構が出土していることが確認されました。

中でも最も大きな遺構は、150m四方を取り囲む周壁をなす煉瓦造遺構です。周壁の上部は倒壊の後、煉瓦材は持ち去られ、その後土砂が堆積して今に至ったもののようです。周壁には門があったと推測されるマウンドが認められる他、周壁内の敷地のほぼ中央にもマウンドがあるためここに主祠堂が埋伏しているものと考えられます。今回の調査は、道の側溝に出土している遺構を確認することに目的を限定したために、こうした痕跡の調査は行っていませんが、これまで地上には全く遺物の散乱が認められないエリアでも、このような遺構が地下に存在することが確認され、またそうした遺構が現地表より50cmから1mと比較的浅いところにあることが判明したことは、今後この都城での考古学的調査を進める上で重要な知見となりました。

120324_1.JPGまた、土器を中心に多量の遺物が出土しており、カンボジアではこれまで認められなかったタイプの瓦も発見されています。

今回の調査では通常の発掘調査よりも幅の狭いトレンチが長く、出土した遺構の記録は大変な苦労を伴うものとなりました。幅50cm程の狭い隙間での長時間におよぶ採寸・記録は過酷な作業でした。。。

120324_2.JPG今回は緊急調査として行いましたが、今後のより本格的な調査計画の立案にあたり有意義な結果が得られました。

 

本事業は住友財団からの支援を受けて進められています。(一)

 2月末から3月上旬にかけて、内田悦生教授の岩石調査と平行して、アンコールを起点とし、ベン・メアリア遺跡から大プレア・カーンへと伸びる王道沿いの遺跡群の調査を行いました。

 

 東南アジア大陸部において広大な領土を有したクメール帝国は、アンコール王朝の王都であったアンコールから、領土内各地の大型地方寺院へむけて放射状に"王道"と呼ばれる幹線道路を建設していきました。今回調査したのはそのうちアンコールから東へと伸びる王道で(以下東道)、ベン・メアリア寺院を通過し、現在大プレア・カーンまで確認されています。この道はさらに東へとのび、隣国チャンパ(現在のベトナム中部)へと通じていたとも考えられています。

 

 この東道沿いには、日本の江戸時代の街道のように、ある一定の間隔(人間が一日に徒歩で進むことができる距離)で宿場町のようなものがあったと考えられており、現在でもその名残としてベン・メアリアから大プレア・カーンまでの間には約14kmおきに"宿駅寺院""宿駅[ダルマサーラとも呼ばれる]"と呼ばれる遺跡がほぼ対をなして建っています。しかし、これまでは道路状況が非常に悪かったため、この東道及び東道沿いの遺跡群の調査が本格的に行われるようになったのはごく最近のことです。

 本調査の焦点は、この寺院の建造年代(全ての寺院が一度に建てられたのか、どれか手本になるものがあったのか)や共通性の有無を調べることでした。今回の調査では、昨年の3月の調査に引き続き、平面図の作成や、建材、石材調査に加え、装飾的な観点からの調査を実施しました。

 といっても、まだまだ遺跡は密林のなか。遺跡全体を回るだけでもかなりの一苦労、全貌を把握することもままならない遺跡もありました...。
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ですが、正確な図面を作成して行くなかで、少しずつ面白いことが分かり始めています。

 クメールの遺跡では、全く同じ形や規模の寺院が殆ど存在しないことが通例ですが、今回調査している王道沿いの遺構は寺院の規模、構成ともに驚くほど酷似しているのです。つまり、あるひとつのプロトタイプが存在し、それとほぼ同じ設計のもと、とても計画的に、システマチックに王道沿いの宿場町の整備がなされていたと考えることができます。こうした寺院建造のあり方は、数多のクメール遺跡を考える上で重要なポイントとなるでしょう。

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東道は、これらの寺院の建築・装飾様式などから、大きく分ければ、アンコール・ワットを建造したスーリヤヴァルマン2世と、バイヨンを建造したジャヤヴァルマン7世の時代に大規模な整備をされたと考えられていますが、プレ・アンコール期から存在したという説もあり、その年代や整備方法、過程については多くの謎が残ります。東道に建造されているラテライト造の橋梁の年代についても再考する必要があるでしょう。

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 今回の調査を論考にて整理し、さらなる調査を進めて行くことで、広大なクメール帝国の繁栄の秘訣を知る手がかりがつかめるのではないかと考えられます。今後は大プレア・カーン以東の調査を進めていきたいと考えています。(島田)

バイヨン寺院中央塔の構造的補強処置の研究を目的として、塔の基礎構造となる中央テラスの内部調査を開始しました。

2010年にも中央テラス上南側において鉛直と斜ボーリング調査を実施しましたが、これらの調査によりテラス上に約30mの高さで聳える中央塔の直下には石造の組積支持構造はなく、版築土のみによって支えられていることが判明しました。しかしながら、この版築土が周囲に変形したり流出することを防ぐために、周囲にはドーナッツ状にラテライトの囲繞構造があることが確認されました。

この時の調査は新聞記事としても紹介されました。

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120321_5.JPG 今回のボーリング調査の目的は、前回確認されたラテライト構造の形状、特に外郭の形状を特定することにあります。

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ボーリング調査は前回の調査に引き続き西部試錐工業の北村篤実氏、井手善明氏の協力を得て行われ、サンプルされた岩石や土砂の分析や強度試験には肥後土質研究所の福田光治氏があたり進められています。120321_2.JPG

今回のボーリング調査は中央テラスの側面を水平に掘進するもので、大型の機材を設置することに苦労しました。

また、基壇内部の版築土の強度を測定するためにコーン試験を併せて行っています。

120321_3.JPG 三月という観光にとってはハイシーズンの中、多くの観光客が興味津々に作業を見守る中で調査が進んでいます。計3本のボーリング調査を約2週間にて実施の予定です。(一)

コンポン・トム州サンボー・プレイ・クック遺跡群にて調査を開始しました。

この遺跡群は7世紀に栄華を誇ったとされるチェンラ王朝の王都「イーシャナプラ」の都城址です。

 

遺跡群は多数の煉瓦造の寺院がよく知られていますが、寺院がまとまってある地区の西側には、一辺2kmの方形の環濠に囲繞された都市が残されています。この地区内の調査はまだほとんど手が付けられていませんが、これまでの踏査により60近くの煉瓦造遺構が確認されている他、多数の遺物が収集されており、地下には良好な状態で遺構が残存していることが予想されます。

 

この都城址の中には現在オー・クル・カエと呼ばれる村落がありますが、この村を貫通する道路が約一ヶ月前より村民によって造られ始めました。ここは文化財保護地区内ですので、こうした道路工事は禁止されていますが、十分な管理体制が敷かれていなかったために、カンボジア政府への届け出がないままに工事が行われてしまったのです。幸いにも地下を深く掘り下げることはありませんでしたので、大きな破壊活動にはつながりませんでしたが、文化芸術省等による指導を徹底し、こうした工事が適切な管理下で実施されるよう努めていく必要があります。

120303_1.JPG新設された道路は、都城址の内部に約1.5kmにわたるものですが、道路脇を約1m掘り下げて採取した土砂を路面に積み上げています。結果、深さ1mの溝が道路脇に側溝のように断続的に連なった状況になっています。

 

こうした側溝を観察すると煉瓦遺構や土器などが出土している地点が複数認められました。そのため、緊急でこれらの遺構の調査を実施することになりました。

120303_2.JPG長さ1.5kmにも渡る約80箇所の側溝の位置を全て記録し、特に重要な遺構が露出していると考えられる地点の土層や遺構の形状等を記録する作業を進めています。

120303_3.JPGさらに、側溝の下面からはハンドオーガーやジオスライサーを利用して地下の構造を調査し、都城内の地下埋設遺構についての調査を進めています。

120303_4.JPG今後は地形学の専門家等も合流し、2週間ほどの調査を継続する予定です。(一)

先日、石切場の調査についての紹介をしましたが、その後も候補地の踏査が続き、ようやく2週間ほどの調査を終えました。

 

これまでにもアンコール遺跡の石切場については多少の知見がありましたが、今回の調査で過去に確認されていたサイトがそのごく一端に過ぎなかったことが明らかになりました。

 

石材を積み上げて彫塑的な建築を形作ったアンコール遺跡には独特の造形力に満ちていますが、石切場の痕跡もまたある種独特の空間的力強さを感じました。

今回の調査でも最も大きなまとまりをもった石切場では、岩盤が大きく不整形にえぐられた空間に意匠的なものを感じるほどの迫力がありました。私自身は訪れたことがありませんが、何度となく写真で見ているインドの石窟群エローラのカイラーサ寺院の威容が、なぜかフト石材を切り出した窪地の中に浮かんでいるように感じられたのは、暑さのために朦朧としていたためか、あるいは岩盤のもつ力感のためか。。。

120301_1.JPGまた、石切場から遺跡群までの運搬経路についても、踏査と車両での調査により、ほぼ確証が得られるほどに現場での確認地点を増やすことができました。1000年もの年月を経て、運搬経路が極めて良好な状態で残されていることに驚くばかりでした。

 

120301_2.JPG調査の詳細については論考に整理の上、紹介したいと考えています。(一)