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カンボジアの首都プノンペンと一大観光地シェムリアップを結ぶ国道6号線の中間地点に位置するコンポントム州。この国道沿いに州博物館の開設が進められています。

これまで、コンポントム州の文化芸術局内の倉庫やサンボー・プレイ・クック遺跡群の現場倉庫に砂岩製の彫刻を中心とした遺物が保管がされていましたが、それらのいくつかをこの博物館にて展示する予定です。現状の倉庫には、出土遺物・盗掘の危険を回避して運び込まれた遺物・既に盗掘されたものを警察が押収して運び込んだ遺物、等が多数保管されています。

新設される博物館も、規模が極めて小さいために、展示される遺物は数が限られている上、展示計画がないままに、建物の建設工事、さらにはマウントのための台なども設置が完了しています。このように全体計画を得ないままに進められてしまった一連の作業のために、展示物の選定やテーマの設定などが困難な状況になっています。

P1080358.JPGカンボジア各州には、近年こうした新しい博物館が少しずつ建てられるようになってきていますが、展示のためのノウハウが蓄積されるようなことはなく、展示の質が向上しないのが残念なところです。

P1080375.JPGコンポントム州の博物館では、今後、早稲田大学建築史研究室が展示パネルの作成等の支援をすることになりました。展示計画の調整をしながら、展示遺物の内容を掘り下げることができるような解説を加えていきたいと考えています。(一)

9月20日、カンボジア文化芸術省における会議において、来年2月に正式にカンボジア政府よりユネスコに対して世界遺産登録を申請する候補地として、サンボー・プレイ・クック遺跡群が選定されました。

また、あわせてカンボジアの古式格闘技であるボッカタオが無形文化財として申請されます。

 

世界遺産の申請候補地としては、バンテアイ・チュマール寺院も有力でしたが、サンボー・プレイ・クック遺跡群では、歴史的な重要性・古代都市がほぼ完全な形で残されているという事実が、最終的な国内選定で決定打となりました。

 

これまでにも本ブログで紹介していますが、サンボー・プレイ・クック遺跡群では1998年より早稲田大学建築史研究室が調査・メンテナンスを進めています。また昨年末より小規模ではありますが、修復工事も始めました。

煉瓦造を中心とした数々の遺構は、亜熱帯気候という環境にあって、極めて脆弱な状態にあり、メンテナンスの手を緩めるとすぐに煉瓦の建物は草木に覆われ、寺院全体が密林へと呑み込まれてしまいます。遺跡を崩壊から保護するためには、継続的なメンテナンスが必要であり、現在では日本からの支援にもとづき、こうした保全活動を進めていますが、最終的にはカンボジア政府による持続的な保護活動の体制作りが求められています。

こうした体制作りを推進するために、国際的な責務を負うことになる世界遺産登録は大きな一歩となるはずで、かねてより強く希望し続けていました。

もちろん、世界遺産へ登録されることにより、遺跡そのもの、そして周辺地域に対して様々な影響が懸念され、十分な対策が求められるところです。

 

これまで、周辺住民の遺跡保全への取り組みとしてGTZからの協力を得て活動を進めてきましたが、今年12月で支援が終了します。その他、国連食糧農業機関(FAO)、国際労働機関(ILO)による支援のもと、マイクロビジネスのトレーニング事業を行っています。また、アジア開発銀行(ADB)からの支援要請を進めており、来年には遺跡群への道路整備を中心とした活動が開始される予定です。

世界遺産登録にあわせて、遺跡保全のための政府機構が設立されることが予想されますが、これまでのカンボジア国内の事例からはそうした機構と周辺住民とが調和的に両立しているとは言い難い状況があります。遺跡の保全にとって大きな前進となるために、マスタープランの策定や新機構の体制作りに加えて、こうした地域社会に対する問題にも備えていきたいと考えています。(一)

 

*サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業は「文化財保護・研究助成財団」と「住友財団」からの支援を得て進められています。

 

 

バイヨン南経蔵の修復工事では、上部基壇と壁体の現場での仮組み作業が完了しました。

DSC03849.JPG壁体や屋根の仮組み作業は、昨年にもコンクリートスラブの上で行っていましたが、基壇上で改めて実施することで、多少の調整が求められる結果となりました。

特に中部基壇上面では石材が内側に回転するような変位が連続的に認められたため、これを調整するための方法について検討が求められました。また、基壇隅でのラテライトと砂岩材の突き合わせの調整にも幾つか難しい点が生じました。

DSC03828.JPG数度にわたる仮組み作業の結果、納得のいく結果が得られ、この位置関係を慎重に記録しながら、再び解体、そして10月初めより、上部基壇の再構築を開始する予定です。(一)

本ブログにて9月4日に「コンポンチャム州のクメール遺跡調査 その2」にて紹介したメモット遺跡での破壊活動に幾つかの対策が進められています。

 

関係者に対して遺跡での現状を連絡した後、Radio Free Asiaにてまず報道がありました。外国の報道機関であるため、いろいろな意味で中立的な立場にあるため迅速な対応が可能です。

http://www.rfa.org/khmer/news/old-temple-land-cleared-in-kgcham-09022010053131.html?searchterm=None

 

その後、メモットセンターが遺跡群が分布する地区の住民と特にプランテーションなどの大規模な土地所有者に対してセミナーを行い、こうした遺跡の保護に自主的に取り組むよう指導されました。

http://www.devata.org/2010/09/bulldozers-destroy-priceless-archaeological-site-in-cambodia/

 

現在は、メモット遺跡の法整備に対してカンボジア政府内で検討が進められています。

今回は、最初の連絡から様々な反応が即座におこり、適切な形で対策が講じられることになりました。これは、一つにはメモットセンターという組織が既に様々な蓄積を持ち、またカンボジア政府内に深くコミットした形で位置付けられていたことによるでしょう。他の遺跡においても、保全に対して有効な手だてを図るためには、主要な考古学的サイトに対しては管理組織を充実させ、中央と密接な関係が築かれることが期待されます。(一)

国士舘大学大学院 文化遺産マネージメント分野 朴東煕

 

何か大きく感動を受けた人はその感動を他の人にも伝えたいものだ。

 

2年前、アンコール遺跡で大きく感動を受けたことがある。アンコール・ワット(Angkor Wat)から北東に約15km ぐらい離れたプノム・ボック(Phnom Bok)という小さな寺院でのことであった。そのとき受けた感動は自分がまるで美しい絵の中に入っているような錯覚まで起こすほどであった。そしてこの気持ちを他の人、もっと多くの人に伝えたい欲望、いや義務感を感じた。自分に何ができるかは分からないが、頑張ってみることに決心した。

 

 

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アンコール遺跡群 プノム・ボック寺院

 

  今の私は「遺跡保存」という分野でその方法を探している。2年間勉強したが、「これが遺跡の保存である。」という解答はまだ見えてきてない。ただ、感じるのは遺跡保存には多様な要素が複雑に絡まっているということ。学術分野だけでも歴史学・考古学・建築学・美術史学・保存科学・民俗学・岩石学・生物学などが複合的に連係しているし、学術分野以外に観光・政治・宗教・哲学・地域社会などが尖鋭に対立している。遺跡を保存するためにはどれ一つ見逃してはいけない。

 

 

 ただし、遺跡の保存にあってもっとも基本になるのは人々の関心ではないかと思う。

 

 遺跡に関する関心。果たして一般人々はどの程度興味を持っているだろうか。どのぐらいの頻度で遺跡を訪れているだろうか。このような疑問に関する調査がタイで行われた事例がある( 高田真希、「タイにおける文化財の社会的役割に関する研究」、修士論文、筑波大学大学院芸術研究科、2005) 調査結果、バンコクの場合78%で、5人のうち4人は遺跡に興味は持っていた。これは相当に高い数値である。しかし、実質的な遺跡訪問頻度は平均1で年に1回にも至っていなかった。

 

 

 カンボジアの人は遺跡にどのぐらいの関心を持っているか。この疑問に対してアンケート調査を実施した。その結果は相当に意外であった。100人のアンケート調査の結果97%関心がある」を選択したのである。このような結果は遺跡への関心だけに止まらず、実際の訪問回数でも現れた。アンコール遺跡が位置している Siem-Reapの場合は50%以上の人が1年に10回以上遺跡に訪れているし、カンボジアの首都であるPhnompenh50%の人が1年に2回以上訪れたという結果が得られた。この数値はタイと比べて相当に高く、他の国と比較しても例を見ないほどの高い数値であろう。このように人々が遺跡に高く関心を持っていればきっと遺跡の保存の未来も明るいはずである。

 

 

 それ以外にも遺跡の価値に関する認識調査、文化に関する認識調査を行った。その結果カンボジア人は遺跡の意味を歴史・観光・誇り・教育など多様な範囲にわたって認識していた。(アンケート調査に関する詳しい内容は「朴東煕、()アンコール遺跡の保存と活用、国士舘大学大学院修士論文、 2011; 発表予定」を期待して下さい)

 

 

  今回の調査結果は個人的には予想し得なかった結果であったが、私にとって満足できる結果であった。このような遺跡への高い関心と理解があればアンコール遺跡の保存も近い将来にカンボジア人の手で行われることだろう。(P)

 

 

(P) 筆者紹介 : 朴東煕, 1984年生まれ、韓国・プサン出身、韓国伝統文化学校で保存科学を専攻し、 2009年から国士舘大学・文化遺産マネージメント分野修士課程に在学中、2008 7月から7ヶ月間JASAのインターンを切欠にカンボジアとの縁が始まった。

 

サンボー・プレイ・クック遺跡群にて3週間にわたって実施していたプノンペン芸術大学、メコン大学の建築学部・考古学部生へのトレーニングプログラムを9月9日に完了しました。

今回のプログラムでは途中、日本から来た大学生のスタディーツアーや、ボランティアグループのメンバーと活動を共にすることも多くありましたが、主なトレーニングとしてはプラサート・サンボー内での発掘調査に取り組みました。 

DSC04895.JPG調査エリアの選定・測量・グリッドの設置にはじまり、発掘の方法や遺物の収集と記録、遺構の見方や写真撮影、図面記録といった一連の作業を経験することになりました。

DSC04098.JPG長さ33mのロングトレンチでの作業では、中央祠堂の階段を西端として、中央テラスの床面、中央テラス東の階段、そして内周壁東門の間の参道遺構が確認されました。東門の付近では後世の増築跡が確認されたほか、テラス東の階段脇からもやはり後の時代に掘り込まれた柱穴らしき痕跡が認められました。

出土した石製の彫刻遺物には、獅子像を四脚とした円形の台座というこれまでに前例のない遺物が発見された他、アンコール時代の男性神の頭部、プレ・アンコール期のリンガなどが確認されました。また、中国陶磁器をはじめとし、複数のクメール陶器や土器、また金属器の出土もありました。

最終日には事務所にて2時間以上にわたる発表会が行われ、発掘調査の結果をはじめ、遺跡周辺の村落調査の様子などについても報告があり、とても充実した内容になりました。

  P1080262.JPGこうした現役の大学生が大きな経験を積んだことに加えて、今回はトレーニングの指導に加わったカンボジア人の若手研究者3名のパフォーマンスが大きな成果でした。考古学を専門とする早稲田大学留学生のメンホン君、JASAの考古学担当のワッタイさん、そして文化芸術省のビタロン君がそれぞれ、熱心に学生の指導にあたりました。彼らも学生時代であった数年前には様々なトレーニングプログラムに参加していましたが、それが指導する立場となってやりがいを感じてくれたように思います。

 

発掘エリアはテラス外では埋め戻し、テラス上ではさらに拡張し全面での整備を進める予定です。

 

本調査は「文化財保護・研究助成財団」と「住友財団」からの支援を得て進められているサンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業の一環として行われています。(一)

4. Preah Theat Khtom

自然の丘陵地形を造成した高台上に寺院が造営された珍しい構成です。二重のラテライトの周壁に囲繞された中央に煉瓦造祠堂が建っており、入り口前方には後補のラテライト前室が取り付いています。また、内外周壁間の南側前方にも長手平面の小さなラテライト遺構が配置されています。アンコール時代の字体を示す石碑がサイトには放置されていますが、複数の治世者の名前が連なっており、この地域を支配していた地方統治者であると考えられます。煉瓦造の祠堂内部にはマカラの頭をモチーフとしたガーゴイルらしき石製品が残されており、プレ・アンコール期の遺物にも見えますが、確かではありません。

P1070921.JPG周囲は一面の水田で、車を降りてからこのサイトまでは約2kmにわたり、細く滑りやすい畦道を歩いてアクセスすることになります。寺院の東と北には長方形の輪郭を取り囲む土塁が築かれており、溜池であったものと考えられますが、特に北方に南北に長い溜池を設けているのは珍しい構成だといえるでしょう。

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5. Banteay Prei Nokor

コンポンチャム州でも最も重要な遺址の一つである、ここバンテアイ・プレイ・ノコールはやや歪んでいるものの一辺約2.5kmの方形の環壕と周壁に囲まれた都城址です。プレ・アンコール期の最盛期にあたる三代に渡る王に仕えた人物の本拠地がインドラプラという都市にあったとされていますが、この都市はインドラプラに比定されることもあります。環壕の内部、やや東側には3基の煉瓦祠堂が残されており、そのうち2基は一つのテラス上に隣接して位置しています。いずれもプレ・アンコール期の建築様式を示しています。やや離れて位置する煉瓦祠堂は壁体の倒壊が著しく緊急の支保工などが求められるところです。この煉瓦祠堂の脇には既に倒壊してマウンドと化した遺構が認められますが、近い将来、この残された祠堂も全壊する危険性があります。ここにはアンコール期の明瞭な痕跡は残されていませんが、ポストアンコール期には戦略的に重要な拠点であった記録が残されており、長く重要な勢力拠点であったことが推測されます。

P1080103.JPG近年、カンボジア政府によって環壕の底がさらわれ、それらの土砂を周壁上に盛るという、行き過ぎとしか思えない整備が行われました。また、煉瓦造祠堂の残るパゴダには立派なヴィハーラが建立され、現在も巨大な涅槃仏が造られているところです。また、文化芸術省より日本の修復隊に対して煉瓦造祠堂の修復工事への協力依頼もされています。聞くところによれば、カンボジアの現首相がこの遺跡の整備に積極的であるようで、歴史上の王にならい、こうした大事業を敢行しているとのこと。現政権の集中と長期化が、不安定な情勢を引き起こさなければ良いのですが。

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6. Preah Theat Toek Chha

今回初めて訪れた遺跡でしたが、コンポンチャムの片田舎にこんなに大型かつ複合的な寺院があることに驚きました。東西に長手の二重の周壁に囲まれた境内には複数の建物の痕跡が認められ、建物の数には見合わないより多くの台座が散乱しています。中央祠堂は煉瓦造で、建物自体はアンコール時代のもののようですが、部分的にはプレ・アンコール期の砂岩材が混入している興味深い造りです。おそらく、前身の遺構を取り壊したか崩落した後に、それらの部材を再利用したものと考えられます。また、中央祠堂の南側に位置するいわゆる「経蔵」と呼ばれている建物には、やはりプレアンコール期の碑文が残されていますが、変わった造りの窓が開口しています。

DSC04689.JPG 寺院の前方には約500m離れて貯水池らしき土塁が築かれていますが、東辺が認められない上に、土塁の内部も起伏に富んでおり、いわゆるバライと呼ばれるものとは異なるのかもしれません。寺院の北方には一年を通じて湧き出すという泉があり、大きな池が水を湛えていました。このような自然の貯水池が隣接して存在することからも、寺院前方に対をなすように配置されたバライの機能は宗教的な意味に特化していたのではないかと推測されるところです。

DSC04725.JPG また、この寺院の北方、自然の池との間には「パレス」と呼ばれる構成の建物が残されています。一般的に参詣のアクセス脇に配置されるこの建物が、池との間にあることは示唆的で、寺院と源泉との密接な関係をよく示していると考えられます。

7. Prasat Kuk Yeay Hom

バイヨン期の砂岩造祠堂で、屋蓋の上方は崩壊が進んでいます。四方の開口部のリンテルは残存しており、いずれも仏教モチーフが破壊を免れています。祠堂の周囲には複数部材を組み合わせた大型の涅槃仏や板状のヨニ座などが散乱し、プレアンコール期の遺物とポストアンコール期の遺物が混在しています。おそらく現存する祠堂の北西に煉瓦造祠堂があったものと考えられますが、完全にマウンドと化しており、痕跡を拾うのは難しい状況です。

寺院は約500mの環壕に囲まれており、さらにその東側にはバライが築かれています。現在でも睡蓮を一面に咲かせた水面を満々と湛えていました。

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以上が、今回訪れたコンポンチャム州内の遺構の主要なものですが、その他に新石器時代の環壕集落跡であるメモットにも足を伸ばしました。早稲田大学の故古城泰先生もこの地域の研究には力を注がれていました。近年のドイツ隊による研究で、さらに複数のサイトが発見されたようで、今後も踏査や発掘調査が期待されます。

残念なことに、私たちが環状集落跡を訪れたまさにその時に、ブルドーザーとショベルカーによって、歴史的に貴重な痕跡が破壊されつつある現場を目の当たりにしました。環状集落の位置する地区の多くは、ゴムのプランテーションが広がっていますが、プランテーションの効率化を図るために、おそらくこの遺跡の存在に気が付かないままに、悪意無く、この痕跡は削り取られてしまっていました。最低限の保護処置と住民への指導があれば、こうした破壊を免れることができたはずですが、残念ながら行政側の適切な処置が無いままに、遺跡破壊が生じています。

P1080045.JPGこれに類した状況は様々な遺跡で大なり小なり生じていることで、数千におよぶカンボジア国内の貴重な遺跡が少しずつ失われている現実があります。上述のサイトのように、不適切な整備による歴史的価値の遺失も同時に進んでおり、地道にでもなんらかのアクションを起こす必要があることを感じずにはいられません。(一)

8月末から9月初めにかけてコンポン・チャム州のクメール遺跡の岩石学的調査を行いました。

早稲田大学教授の内田悦生先生を中心として、学生の豊内謙太郎と津田幸次郎、建築学専攻の島田麻里子、下田の5名が文化芸術省に所属するビタロン氏による案内のもとに主要な遺跡をまわりました。

 

調査では主に砂岩・ラテライト・煉瓦を対象とし、各建材の化学組成、帯磁率、形状などを寺院の各所で確認し、アンコールの広大な版図内における石材の供給源と寺院の空間的な関係、時代的な建造技術の変遷、各寺院の建造時期や増改築について検討しました。

今回はコンポン・チャム州を調査対象に選定しましたが、同様の調査を今後カンボジアの各州にて順次行っていくことを計画しています。

 

以下に調査で訪れた主要遺跡の概要をお伝えします。

 

1.Vat Nokor Bachey

コンポン・チャム州の中心地に隣接したバイヨン時代の大型寺院です。アンコール地区の仏教寺院と同様に、後世にヒンドゥー寺院に改修された際の改変の痕跡が認められることに加えて、さらにその後に大乗仏教化した際にも大規模な改造の手が加わりました。一般的に後世の仏教化は施工水準が著しく低下しますが、この寺院では比較的高い精度で改造が行われています。中央祠堂の前面には近年に造り付けられた拝殿が配されていますが、壁面に描かれている仏伝図と中央祠堂の破風飾りのモチーフに共通するものが認められるなど、ポストアンコール期の作例が今に伝わっている様子を窺い知ることができます。

また、寺院の前方には大型の貯水池が残されており、他の貯水池ではあまり見られない興味深い取水構造が確認されました。

RIMG1572.JPG2. Kok Preah Theat

メコン川に面した小丘の麓に位置した安山岩の小祠堂です。近年、文化芸術省によって解体再構築修理が行われました。工事の際に付近より別の建物を構成するまとまった建材が出土しており、それらの部材が祠堂の脇に保管されています。プレ・アンコール期の寺院で、クメール建築の中でも、特にインド的な雰囲気を色濃く残しており、最初期の建物であったことが窺われます。基壇や屋根の頂部の形式、そして室内に安置されている台座などは特にクメール建築を見慣れていると違和感のある作例となっています。各部材には複数のほぞや鎹の痕跡が残され、工法の面からも特徴的です。

タケオ州にプノム・ダ遺跡のアシュラム・マハ・ロセイと呼ばれる小祠堂があり、この寺院もまた安山岩でできていますが、ここメコン川の付近に元々建立されたものが移築されたという説もあります。双方共にプレ・アンコール期の寺院ですし、こうした説もあながち否定できないかもしれません。

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3. Han Chey

前述のコック・プレア・ティエットの小丘の頂にある遺跡です。煉瓦の祠堂と砂岩製の箱形建物が良く残されています。いずれもサンボー・プレイ・クック遺跡の細部装飾と極めて類似した彫刻の作風であり、個人的には同一の彫刻師の作品ではないかと思われる文様が多々認められます。と同時に、ワット・プーやタラボリバット遺跡に認められるモチーフも加わっており、両地区の移行期に造営されたことも窺われます。建築的に興味深いのは箱形の建物で、サンボー・プレイ・クック遺跡のN17遺構に類似しています。N17遺構は過去の発掘調査によって、煉瓦の床面が周囲に確認されており、木造の覆屋があった可能性が指摘されていますので、ここでも同様に入れ子状の建物の内部に納められていた建物であったことが推測されます。周囲には一回り大型の扉材なども残されていますので、煉瓦造の祠堂であったのかもしれません。こうした板状石材を細工して組み合わせた遺構としては、ストゥントレンのメコン川西岸の民家の敷地内に全壊した状態で確認したことがありますが、貴重な残存例であることは間違いないでしょう。

 

DSC04542.JPGしかし、これらの寺院が残されているパゴダはやたらに奇怪なオブジェが沢山残されており・・・。ハンチェイ・リゾートと銘打ってありましたが、メコン川が一望される雄大な風景の中に築かれた、もはやこの世のユートピアなのかもしれません。

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続く。(一)