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先日はサンボー遺跡におけるトレーニングプログラム参加の選考のための面接について紹介しましたが,8月17日より遺跡群において研修プログラムを開始しました。

参加する学生はプノンペン芸術大学の考古学部生と建築学部生,そしてメコン大学の建築学部生です。

 

プログラムでは最初に遺跡群内の寺院や都市の構造など,これまでに確認されている重要な遺構を見学することから開始しました。

その後,プラサート・サンボー寺院境内にて考古学的発掘調査を実施しました。さらに早稲田大学理工学部中川武先生が担当されている大学の海外授業のコースに参加している学生15名ほどと合流し,遺跡内の住民への聞き込みや子供達の交流会などにも加わっています。

 

発掘調査では,過去数年にわたり考古学的な研究が進められているサンボー寺院内の主祠堂から東側に約30mにわたりトレンチを掘り込んでいます。

昨年からこの主祠堂の周囲のテラスにてクリアランス調査を実施していることから,出土する遺構の推測が可能ですが,過去の発掘調査からも正面の伽藍主軸線上では様々な改変の痕跡が認められたため,東側では慎重な調査が必要であると考えられ,このたびの調査地の選定にいたりました。

 

調査を開始してからまだ一週間程度ですが,テラス上面の敷石や階段が確認されているほか,リンガや円形の台座などの石製の遺物が出土しています。また,増築時の遺構の痕跡なども一部に認められ,寺院の性格や変遷を考える上で重要な痕跡が明らかになりつつあります。

 

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今回トレーニングに参加した学生の多くが,発掘調査は初めての体験で,調査前日はやや緊張した面持ちでしたが,少しずつゆとりが出て全体を眺めながら考える余裕も出てきたようです。

 

今後二週間ほど調査は継続される予定ですが,調査の結果については後日お伝えしたいと思います。

 

本調査は「文化財保護・研究助成財団」と「住友財団」からの支援を得て進められているサンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業の一環として行われています。(一)

早稲田大学理工学部前田研究室の協力のもと,日本国政府アンコール遺跡救済チームはバイヨン寺院において,シェムリアップ空港の離着陸時の衝撃がアンコール遺跡群にあたえる影響についての調査を行いました。本調査はアプサラ機構からの依頼により実施されることになりました。

 

これまでにもバイヨン寺院では中央塔を始めとして常時微振動に関する調査が実施され,アンコール遺跡群における塔状建築の安定性についての研究が行われていました。今回の調査はその延長で実施されたものですが,より精度の高い計測機器を必要としたために,バイヨン寺院の中央塔頂部の計測器等,既設の機器を交換して調査を実施することになりました。

また,寺院周辺の車両の交通が組石造建築に与える構造的な影響についても併せて調査が実施されました。

 

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シェムリアップ空港における飛行機の離着陸時の影響については,以前より懸念されていましたが,今後より大型の飛行機の離発着が予定される可能性もあり,そうした是非を問う上でも重要な調査といえるでしょう。

 

収集されたデータは日本に持ち帰られ,調査結果の詳細な分析が行われる予定です。(一)

バイヨン寺院の浮き彫りの劣化が進行していることが確認されていますが,その一つの原因は石材の表面に着生している微生物の影響であると考えられます。これまでにも様々な研究が進められてきていますが,今年度もいくつかの微生物学からのアプローチによる石材劣化に関する研究が実施されました。

調査には東京農工大学の片山葉子先生,久住朝子さん,佐賀大学の染谷孝先生,そして香港大学のGu先生が参加されました。

 

 

DSC03891.JPGいくつかの調査課題について並行して取り組まれましたが,今回は寺院内の空気中に漂う微生物の採取,石材表面の色調にともなう微生物群の差異に関する調査,藻類を駆除する可能性がある微生物の生育実験,石材表面に固定された窒素濃度の分析等が主に行われました。

 

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石材劣化のメカニズムは岩石や生物の複雑に入り組んだ諸相が影響して進行するものであると推測されています。着生している生物群相を解明することに始まり,それらが劣化のメカニズムのどのような過程に寄与し,それがどの程度の影響力を有しているのか,さらにはその影響を低減するための方策を導き出すこと等々,様々な困難な課題が残されています。(一)

過去にもベン・メアレア遺跡での調査について紹介しましたが、8月より遺跡群全域の測量調査を再開し、一ヶ月間ほど継続する予定です。

 

寺院中心部の測量については昨年からの継続調査で今回の調査で全てを完了することを目指しています。GPSとトータルステーションを利用した機械での測量と、地道に細部を採寸していく作業とを並行して進めています。また、ベン・メアレア寺院の周辺に位置する小規模な寺院もアプサラ機構による清掃や整備が進み、より細部にいたる調査ができるようになってきました。周辺のバライや土手などの土木遺構についても調査が求められるところですが、観光客が訪れる中心部を除いては未だ地雷が多く残存しており、慎重な踏査を強いられています。今年6月よりCMACによる地雷の撤去作業が再開されましたが、まだまだ主要な地区のみでも完全な撤去までは長い道のりです。

そうした中でも、遺跡群の周囲には土器や瓦などが集積した地域が認められており、当時の周辺環境を検討する上で貴重な痕跡となっています。今回の調査では、そうした散乱遺物の収集や小規模な発掘調査を併せて行う予定です。(一)

アンコール遺跡群の東側にやや離れた小丘の上にチャウ・スレイ・ビボール寺院は位置しています。東側に延びて、最終的にはラオスのワット・プーとコンポン・スヴァイのプレア・カーン寺院へと至る王道の中では最も王都アンコール遺跡に隣接して位置する複合寺院です。この寺院の建築学・測量調査を名城大学・早稲田大学・JASAの共同研究として開始しました。

 

この寺院では、今年に入ってからアプサラ機構が発掘調査を実施しました。丘の周囲を巡る環壕とその環壕を渡る陸道の輪郭を検出することが主要な目的でした。ただ、アンコール遺跡群の中でも重要な遺跡でありながら、これまでにこの寺院の精確な図面が作成されたことがなく、まとまった調査はされていないため、この度、伽藍全体の平面測量と建築学的特徴の検出を目的とした調査を開始しました。

これまでにJSAの建築学研究で取り組んできた、寺院の設計方法の分析にあたって、丘の上に残された回廊に囲繞された伽藍は、比較考察の上で適当な規模の遺跡であり、また破損が著しいとはいうものの、過去に修復などの手が付けられていないことから、オリジナルの形状や痕跡を今でも確認することができる研究対象としては望ましい姿で残された遺跡です。

また、丘の一部は寺院の配置のために造成されていることも推測され、地形測量から明瞭な手掛かりが得られることも期待されます。全体で10日間ほどの調査が予定されています。(一)

今月半ばより、サンボー・プレイ・クック遺跡群で考古学的な発掘調査を予定しています。

この調査期間中には、プノンペン芸術大学とメコン大学の建築学部・考古学部の学生への研修事業をあわせて実施する予定で、その研修に参加する学生の面接試験を各大学で行いました。

 

王立プノンペン芸術大学はカンボジアで唯一の考古学部を有する大学です。アンコール遺跡をはじめとして、カンボジア国内の遺跡保存や研究の専門家を輩出してきました。クメールルージュとその後の内乱が沈静化してから再開されたこの大学では、今年で22期生になっています。JSAの専門家の大半もこの大学の出身者です。

1990年代後半からの10年ほどは、プノンペン芸術大学へは様々な国際的支援があり、10年ほど前はクメール研究の国際的な大家が教員陣としてずらりと揃っていましたが、ここ数年はそうした支援が途切れ、外国人教員は皆無、そしてカンボジア人教員も十分な体制が整っているとはいえない状況に陥っています。

遺跡の発掘現場や修復工事を通じての研修事業も、かつては様々な国際チームが行っていましたが、最近ではそうしたプログラムは低調で、学生はなかなか生の現場を体験する機会がありません。

早稲田大学によるサンボー・プレイ・クック遺跡群の事業においても毎年研修事業を継続していますが、多数の研修参加者を受け入れることができず、面接ではかなり優秀でやる気に満ちた学生の多くから選択しなくてはならない苦々しい状況があります。JSAでも2005年まではこうした研修事業を年に二回実施してきましたが、現在は中断しています。ぜひ来年からの新たな事業フェーズでは再開できたらと考えています。(一)

チャンディ・ルンバン

プラン・バナンの史跡公園内の寺院。中央祠堂の修復工事が進められていた。修復工事は比較的少人数で行われており,作業員の力量任せであることは否めないように思われる。それなりの技量があることから,なんとか工事が進められているものの,個別具体的な細部の石材の納め方や,モルタルの充填か石材の設置の区分,補強材の配置等々,統一的な仕様でどこまで制御されているのかやや心配ではある。

 

DSC02907.JPGまた,セメントの使用による石材劣化が指摘されている側で同様の修復工事が進められている状況にはやや疑問も持たれる。なんにせよ,作業を進める個々人の腕が立つことが救いとなっているようだ。

 

 

DSC02919.JPGチャンディ・ブブラウ

プラン・バナンの史跡公園内の寺院。祠堂の基壇部のみが残存する。

 

 

DSC02935.JPGチャンディ・サンビサリ

1966年に農作業中に発見されたという寺院。周囲の地面よりも5m程低い窪地に二重の周壁に囲繞されている伽藍が認められる。さらに周囲にもう一重の最外周壁が巡らされているようであるが,それについては一部のみが発掘されて見学できるようになっている。発見したおじさん今でも寺院近くに住んでいるらしく,良く観光客を案内すると聞くが,残念ながら会うことができなかった。これだけ貴重な寺院を発見したとなれば,生涯鼻が高いことだろう。中央祠堂の室内にはリンガが安置されているが,外壁のニッチ内の神像はロロ・ジョングランのシヴァ寺院と同じである。伽藍の配置や建物各部の造作など興味深い点が多い寺院であった。

 

 

DSC02964.JPGチャンディ・ケドゥラン

現在,発掘調査中の寺院。サンビサリが発見された50年前の様子を彷彿とさせる状況で,畑の中の窪地に寺院がまるまる一つ出土している。畑がかなり均質な土壌であること,そしてこれだけ沢山の石材が集中していれば,地下探査やリモートセンシングでこうした遺跡をさらに発見することができるのではないかと予想される。すぐ脇が,出土した伽藍の石材を仮組みしている作業場となっている。サンビサリは新材がかなり混ざっていたが,ここケドゥランは構成部材のほぼ全てが揃っているようで,サンビサリよりも良好な復元処置がとれそうであった。まだ,伽藍全体の半分しか土地の買い上げが終わっていないということで,敷地の半分は畑の下に眠っている。

 

 

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DSC03004.JPGチャンディ・ソジワン

ボコの丘の北側に位置する祠堂。現在,再構築作業が進められており,屋蓋第二層目の石積みが進行中。木と竹で組まれた足場には滑車や人力のエレベーターが設置されており,過去にこの寺院を建造したときの工事の様子が想像される。古代インドの石造建築について記したバヤ・チャカダーという記録からアリス・ボーナーという研究者が当時の施工場面を推測した絵を描いているが,この絵と修復工事の現場の様子がとても似ていることが興味深い。中部ジャワではどの寺院も全般的にクメールと比べて小さな石材を利用しているから,石材の運搬,積み上げなどは容易であったことだろう。また,石材サイズの規格化がしっかりとしていることも,石切の工程から,組積に至るまでの各作業を効率化することに寄与していたことと思われる。

 

 

DSC03016.JPGディエン高原

インドネシアで一度は行ってみたいと思っていたサイトがディエン高原であった。ボロブドゥールよりもその想いが強い遺跡だったので,今回訪れることができたのは望外な幸せであった。そして,実際に訪れて,予想以上の立地条件と,インド的な祖型が実にバランス良く外観を成している祠堂に感動した。良く比較例に挙げられるが,やはりマハバリプラムの5つのラタが真っ先に思い出される。寺院の雛形を並べようとした企図がここにも感じられる。どうやら周囲にはまだまだ遺構が土中に埋もれているようで,最近発見されたという基壇を中部ジャワの保存官によって案内していただいた。研究において途上サイトであることもまた嬉しい発見であった。カルデラの中央付近に位置するチャンディ・アルジュナを中心とした寺院群の他にも,周囲には小規模な祠堂が幾つか点在している。引き締まった空気が今でも静かに漂い,心洗われる厳かな聖地であった。

DSC03255.JPGジョグジャカルタからの旅中の風景も格別で,緩急様々な傾斜地に広がる一面の段々畑には,ここに住まう農民の気持ちの有り様が映し出されているようであった。

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ロロ・ジョングラン寺院

今回は二日間ロロ・ジョングラン寺院を訪れた。一日目は修復工事を担当している専門家***氏からの案内を受ける。***氏はアンコール・トム内の王宮の楼門の修復工事のためにカンボジアで長く仕事をしており、また過去にカンボジア人の修復専門家の育成のために複数回のトレーニングをこの寺院の修復工事などを通じて実施したことがあるとのことで、クメール建築との比較を通じた詳細な説明をしていただいた。

 

 

DSC02412.JPG二日目は箕輪先生・花里先生のシヴァ寺院への地震計設置の作業日で、設置に立ち会うことができた。50m近い祠堂の頂部まで素登りで上がっていく現地の作業員には驚嘆する。上部・中部・室内・周囲の地面の計四カ所に地震計を設置する。アンコール遺跡でも観測では第一に電源の確保が難関となり、熱帯地域で野外における長期計測時の大きな障害となるが、ここでは電源ケーブルを埋設して継続的な電源確保がされている。ただし、停電が頻繁に起こり、データロガーとなっているパソコンのバッテリーではカバーできない長時間に及ぶこともあるというから、やはり電源が一番の問題であるようだ。各計器は石膏によって石材に固定された。

2006年の大地震の際には、オランダによって修復された主祠堂であるシヴァ寺院は比較的被害が軽微で、それ以外のインドネシア政府によって修復された各祠堂の方が破損は大きかったという。地震の後、シヴァ寺院以外の修復工事は既に終えたが、地震被害のメモリアルな痕跡とするために、北側のアピット寺院では崩落したラトナの一つを原位置に戻さずに地上に残し柵で囲んだままとしている。

シヴァ寺院の修復が開始されていないのは、1926年から1953年にかけて行われたオランダによる修復工事の内容が依然定かではない事による。日本人の専門家によりオランダ国内の資料調査も行われているが、当時の修復工事の様子を示す記録はこれまで一切発見されていないという。主室内の天井面はコンクリートによって固められており、頂部の部分的な解体工事によって確認された躯体の内部にも真鍮を配金されたコンクリートが確認されているため、塔内部には補強のためのコンクリート構造体が内包されていることが予想されるが、これを非破壊で特定することができない状況にあり、構造解析や修復設計が阻まれている。

昨年には地震によって生じた塔の亀裂の各所にクラックゲージが取り付けられたほか、石材の表面温度などや室内温湿度などの観測が進められている。これまでの観測期間中に生じた小規模な地震では、それらの亀裂の変位は認められていないという。来年には修復工事が開始される予定で、それまでに基本方針が定められることになる。

 

 

DSC02766.JPG今回のワークショップにおいて箕輪先生・花里先生より観測の経過報告がされたが、修復工事の一案として塔の地下に免震構造を設置するというアイデアも提示された。総工事費は300億円、技術的にも様々な課題があると思われ、もちろん、現実的なアイデアではないが、修復工事の理念を考える上で極めて示唆的な提案である。

シヴァ寺院の基礎構造の解明を図るための発掘調査が進められており、発掘サイトを見学することができた。基壇の最下層より、さらに石積みが地下に連続しており、約5mの深さで丁寧な切石積みが認められる。さらにその下方では直径30~50cmの玉石が敷き詰められているようであり、サイトの視察時にはちょうどこの栗石の最上層を掘り下げているところであった。博物館などで紹介されている塔の構造を示す図面では塔の室内中央の直下に竪壙を描いているが、実際には、塔全面の地下に連続的に石積みが支持体として築かれていたようである。不同沈下はほとんど認められず、過去の修復時にも基礎には手を付けていないものと推測されるが、これだけ堅固な基礎構造が入念に施されていれば、こうした経年的な変状は防がれるようである。地震以後には日本の調査隊によって境内にてボーリング調査も行われて、地下の構造が確認されたようで、その結果と今回の発掘調査の結果の突き合わせが待たれる。

 

 

DSC02775.JPG各祠堂には彫刻で豊かに飾られ、特に基壇上の回廊内にはラーマーヤナなどのナレーティブな浮き彫りがコマ送りで施されている。また、北側の前室に安置されていたドゥルガー像の妖艶かつ圧力的な存在感は、サンボー・プレイ・クック遺跡出土のドゥルガー像との比較の上で対照的で、両地域における宗教観を考える上で興味深いものであった。

 

 

DSC02728.JPGチャンディ・カラサン

町中に位置している。低いテラス上に立つ祠堂が一基残されているだけであるが,規模が大きく,また過去の修復工事が軽微であるわりに残存状況が良い。表面には漆喰が塗り上げられていたようで,その影響で室内の壁体には塩類(おそらく石膏)の析出が著しい。とはいえ,室内の装飾に影響を与えているわけでもないので,さほど心配する必要はないようにも思われる。祠堂は基壇・壁体は前室を四方に張り出した十字形平面だが,屋蓋は八角形となり,クメール建築を見慣れている者としては変わった印象を受ける。各張り出しのペディメント部にあたるカーラは迫力があって装飾の焦点となっている。主室内の神像は遺失しているが,台座の大きさからして,かなり大きな座像が安置されていたはずで,その様子を想像すると圧倒される。

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チャンディ・サリ

祠堂がフェンスに囲まれた狭い敷地内に窮屈に残されており,周囲の家屋の子供達の格好の遊び場となっている。私たちが訪れたときは凧揚げに夢中の子供達が走り回っていたが,結局凧は祠堂の屋根に絡まってしまった。どうやって回収するのだろうか・・・。祠堂の周囲にも幾つかの施設が巡らされていたことと思われ,それらを保護するためのバッファゾーンが欲しいところだが,このように民家が隣接していると,もはやどうにもならない。

さて,ここチャンディ・サリはチャンディ・プラオサンと同形式の建物で,重層建築で複数の窓が開口している。僧侶が起居したヴィハーラとする説,経蔵であるとする説があるらしい。

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ボコ

ボロブドゥール,プラン・バナンともに,寺院は多数残されているものの,宗教活動の基盤となった都市や王宮の痕跡はほとんど見つかっていない状況がある。そうした中で,ボコの丘の上に広がる一連の施設群は王宮の跡地であった可能性が高い極めて重要な痕跡である。石造の基壇の上に木造架構が載せられていた柱基が残されており,往時には様々な施設が広がっていたものと思われる。碑文によれば8世紀ごろの記述があるようで,東南アジアの都市址としても貴重なサイトである。既に整備が進められており,発見された状況を探るための手掛かりが残されていないことが残念だが,かつての発掘調査の様子や出土遺物などにいつかあたってみたい。

 

 

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今回訪れた幾つかの寺院についての様子を紹介します。

 

ンガウェン寺院(ボロブドゥール寺院近郊)

五つの祠堂が並び、それぞれに異なる仏が祀られていたという。発掘調査によって出土した遺構で、周囲より1~2m地表面レヴェルが低い。内、一塔は屋蓋まで復元的に修復工事。室内はコンクリートによって全面的に固められている。その他の塔にも三ツ股が設置されており、整備が進められている。祠堂の直下より地下水が湧き出しており、石材の劣化や不同沈下が心配されており、その対処方法について検討されている。確かに修復されていない寺院は不同沈下が認められるが、石材の劣化はさほど深刻ではなく、周囲の散乱石材も限られているので、これ以上の再構築は不可能であるように思われるので、現状保存で排水溝の清掃を欠かさなければ良いように思われる。

 

DSC01986.JPGメンドゥ寺院(ボロブドゥール寺院近郊)

ボロブドゥールの西側に位置する。パオン寺院と併せて三寺院が一直線上に位置しているという。また、北西を正面としている当寺院とボロブドゥールは本来北東を正面としている説があることから、千原大五郎先生はそれらの寺院の正面の軸線を延伸した場合、その交点に何か重要な施設があった可能性について推測されている。寺院は屋蓋の第二層まで修復工事によって復元されている。基壇や各層のコーニスを飾る彫刻の多くが遺失しているが、それらを三角形の新材に置換しているために、建物全体が幾何学的な構成をなしているような印象を受けるが、一部に残るオリジナルの装飾の彫刻や形状からは、当初はより柔らかみを帯びた姿であったことが推測される。ガーゴイルのマカラなどの部材は20世紀初頭の工事の際の彫刻部材で、1902年や1904年の年号が刻まれている。外壁面の彫刻も素晴らしいが、何よりも室内の三体の神像のたおやかな姿は秀作であり、他に類例のない内観美。

 

DSC02031.JPGチャンディ・セウ

最初に中部ジャワ考古局のインドラ氏より寺院脇の事務所と昨年新設された博物館の案内を受ける。博物館では鎮壇具を納めていた石箱と鎮壇具そのものが展示されており、こうした宝物が徹底的に盗掘されており、全く参考事例を持たないクメール寺院をフィールドにしている身とすれば、奇跡的な重要遺物であるように感じられる。展示は、そうした遺物の他に、石積みの工法を紹介するものと、修復工事の各工程を紹介する内容で、いずれも縮小模型を利用して観光客にも分かりやすい見せ方が工夫されている。バイヨン寺院脇の展示ハットは現在一時撤去されているが、この再建時のアイデアが得られた。また、現在はインドネシア語だけだが、映像展示もあり、チャンディ・セウやロロ・ジョングランの他、周辺遺構も含めたプラン・バナン地区の包括的な寺院紹介で、観光客のインタープレテーション・センターとしてとても有意義な情報が得られる。

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寺院は中央寺院の他、各方位にはアピット寺院が2基ずつ、計8基、そして、周囲には無数のプルワラ寺院が取り囲んでおり、「千の寺院」の命名を察するに十分すぎる数の祠堂の森である。

中央祠堂は1983年より93年にかけて行われた修復工事によって復元されているが、再び2006年の地震の被害を受け、現在再修復中。また、周辺寺院の中では、アピット寺院が優先的に修復工事を進められており、訪問時には南側の祠堂で基礎の発掘調査が進められており、その後、原位置に再構築工事が実施される予定であるという。発掘調査は地表面レヴェルであったが、あと1mも下げれば鎮壇具が出土する予定だということであった。プルワラ寺院も数基の再構築が完了しているが、これら全ての再構築が完了する前に次の大地震が起きてしまうことが予想されるほどの膨大な仕事量となろう。

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チャンディ・プラオサン

南北に対になるように重層の寺院が西面している。南北の修復時期はやや隔たりがあるとのこと。当初は室内には木造の二階床面が架けられており、昇降する階段の最下層だけは石材で造り出されておりその痕跡を示している。室内は三部屋に分かれており、それぞれの室内奥に三体の神像が座していたようである。小窓が複数開口しており、連小が嵌め込まれていた痕跡が残る。他の寺院にも共通するが、壁体の厚さがクメール建築とは異なっている。クメール寺院の場合には、壁厚に対して石材は一列であることが多いが、こちらでは小振りの石材を壁厚に何列も並べている。内外の壁面となる彫刻を有する石材については修復時に原位置の特定ができようが、その内部の石材はほとんど手掛かりが得られないものと思われ、再構築時のオーセンティシティーを考える上で、装飾部材と構造部材とは異なる基準の下に使い分けている様子が窺われる。

 

DSC02312.JPG周壁に囲繞された各寺院の周囲にはチャンディ・セウ同様に多数の小祠堂が配されている。現在は背面(東側)のチャンディの再構築が北側から南側に向かって順次進められている。小祠堂は、チャンディとストゥーパが混在しているが、マウンド状に集められている各建物の石材はそれらの部材が一部で混在しているようで、厳密には各チャンディとストゥーパの個体別に部材が使用されて再利用されているのかどうか疑問が持たれる。しかし、散乱石材の海のような中から部材の同定を進めるのは気が遠くなる仕事だ。

 

 

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続く。(一)

ボロブドゥール遺産保存研究所における石造遺産保存修復のためのワークショップ

 

今年1月に3名のインドネシア人の遺跡修復専門家がアンコール遺跡を一週間程訪問し、アンコール遺跡群の視察・研修事業を実施したことを過去のブログで紹介しました。今回は、逆に中部ジャワの古都ジョグジャカルタの近郊に位置するボロブドゥール遺産保存研究所にて実施された筑波大学主催のワークショップに参加する機会をいただき、インドネシアの修復現場の状況などの見学に併せて行くことができました。半年前にアンコール遺跡で知り合ったインドネシアの専門家の方と再開し、また、インドネシア各地から参加した約30名の考古学や保存の専門家との交流の場に加わることができました。

 

 

DSC01926.JPGジョグジャカルタ近郊の遺跡の数々は2006年の地震により多大な被害を受けました。それらの遺跡はインドネシア政府の考古局によって修復工事が進められていますが、まだまだ多数の遺跡が損傷を受けたままとなっています。特に、技術的な難しさを伴う約50mの高さに至るロロ・ジョングラン寺院の中央祠堂シヴァ寺院の修復方法の策定においては、様々な研究が取り組まれており、そうした調査の一環とした振動計測も今回進められました。

 

ワークショップは筑波大学世界遺産学科が主催し、事業代表である上北恭史先生の他、松井敏也先生(保存科学)、筑波大学の研究員二名と学生二名、そして三重大学の花里利一先生、防災科学技術研究所の箕輪親宏先生が参加しました。JASAからは下田と吉川が加わりました。インドネシア側のメンバーはボロブゥール保存センターの他、中部ジャワ遺跡保存局、プラン・バナン遺跡保存局、その他、東部ジャワ・スマトラ・ジャカルタ文化省本部、ガジャマジャ大学、遺跡保存や開発に係わるNGOの専門家が出席されました。

 

計5日間のワークショップでは、以下の内容での講義や実験などが実施されました。

・ボロブドゥール寺院の保存処置(保存材料や劣化診断法)

・ボロブドゥール寺院を中心とした遺跡マネジメントと観光促進

・大規模石造遺跡における保存とマネジメントの比較事例の紹介

・石造文化財の地震被害への対応や分析

 

また、ボロブドゥール寺院を始めとして、複数の寺院において、保存センターの専門家から石材劣化・挙動モニタリング・既往の修復工事等についての説明を受けました。

 

ボロブドゥールとバイヨンは東南アジアの二大仏教寺院ともいえるべき存在です。平面・立面規模、宗教的なモチーフを描いた長大な浮き彫り群、階段ピラミッド型の構造、なによりも周辺遺構と比してユニークな構成であることなどの共通性を持っています。

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ボロブドゥール寺院は20世紀初頭にオランダ人専門家による修復工事が行われた後、1970年代にはユネスコを中心とした大規模な修復工事が実施されました。この事業は、エジプトのアスワンハイダムの建設時にアブシンベル神殿が移設工事された大事業に引き続き、ユネスコ主導で行われた国際的な取り組みでした。しかし、今日、過去の修復工事の影響も含めて、浮き彫りを中心とした石材劣化の問題が顕在化しており、対応策が求められています。

アンコール・ワットでは過去の修復工事に使用された材料の副作用もあって、浮き彫りの劣化が進んでいる状況がありますが、修復の第二、第三サイクルが進められつつあるアンコール遺跡群と共通した課題を抱えているといえるでしょう。

 

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その他、ボロブドゥール寺院では、隣接の博物館において、約1万個の石材を対象に原位置の特定作業が行われ、年に5個程度の石材が原位置の特定をされているとのこと。アンコール遺跡と共通した技術的な課題が様々な場面で見られることが実感されました。

観光開発や、遺跡保存の法整備、地元住民と遺跡との関係構築など、共通した課題に対する取り組みを共有することが今後ますます重要になってくるものと思われます。

 

また,ボロブドゥール寺院では1970年代の国際的な修復工事の取り組みの後は,インドネシア政府による保存修復体制に移行し,その後はユネスコやイクロムなどの技術的指導はあるものの,国際的な修復工事が行われることはこれまでありません。

 

アンコール遺跡群では1992年の世界遺産登録の後,継続的に国際的な保存のための活動が繰り広げられていますが,こうした国際的な枠組みでの取り組みがいつまで継続するのか不確かな状況があるのは事実です。もちろん,ジャワの遺跡群とアンコール遺跡群の規模はやや異なること,そして20世紀前半の宗主国であったオランダとフランスとでは現在の文化政策が大きく異なっているなどの条件があり,カンボジアでの支援体制は今後も継続される可能性もありますが,実際に2003年に危機遺産から外れて以降は少しずつ国際的な取り組みが薄れている現状も認められます。最終的に当事国が主体となって遺跡の保存に取り組むことを考えたとき,インドネシアにおける過去の経験は,カンボジアにとってきわめて有効な事例となるはずです。

 

確かに,予算や技術レヴェルが低調であることはジャワの修復工事の見学を通じて感じられた部分もありますが,しかしそれでも必要な各作業工程を自力で行いえていることは確かです。大型遺跡においては,国際的な関心のもとに,様々な支援が相まって,かえって当事国のみでのサステナブルな活動を阻害していることもあるでしょう。各国が最先端の技術を持ち寄って,それぞれに修復工事や発掘調査を展開するのはその遺跡にとって見れば短絡的には一つの望ましい体制ではありますが,そうした異なる技術が多国により同時並行で実施され,かつそのための機材や材料が当事国では入手できないような状況での作業が進むと,結局それらの技術のいずれもが当地には根を張らないことになってしまいかねません。

 

例えば,測量の作業一つをとっても,アナログな計器で計測しても最先端の機械で測量しても,結果的にはさほどの差がでないことも多々あります。時間がかかったとしても,アナログな方式で確実に作業を進めれば,特異な図面でなければ、最終的な成果物の精度にはさほどの差はでないでしょう。つまり,高価で,使用にあたって様々な付属的な設備が必要となり,電子的な制御のために修理が難しく,操作方法が作業の原理からは垂離しているような機械の使用は、人的・自然的な環境条件によって避けるべきであることも少なくありません。

修復技術や分析機器,観光案内の設備や法整備など様々な面で過剰な技術レベルを押しつける支援が多いことは明らかです。

とはいえ,当事国としてはそうした最先端の技術支援を望むのも確かですし,それなりのメンテナンスやスタッフの確保が可能であれば,適切な支援ともなる場合も当然ありえます。また「人類にとってかけがえのない文化財」となれば、やはりベストな方法をとるべきだという考え方も否定はできません。

 

このように,インドネシアにおいて先行して経験を積み重ねている,自立的な保存体制における取り組みや課題をアンコール遺跡は積極的に学ぶことができると感じられました。

 

次は今回訪れることができた中部ジャワの主要な遺跡の状況について紹介します。(一)