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6:00 起床

6:30 ゲストハウス発 朝食

7:15 チョアム・クサン発 途中昨日と同じ村長を案内にお願いしてピックアップする

8:10-8:40 Pr. Anuon(Pr. Trapeang Anuon)寺院

09.JPG9:00-10:00 Pr. Trapeang Thnal(Trapeang Thnal Chhouk)寺院

10.JPG10:30-11:40 Pr Svay Thom寺院

11 (21).jpgこの先にPr. Kang Hat寺院があるが,悪路のために引き返す

12:20-12:40 Pr. Chhaeh寺院

12 (10).jpg13:15 いったんゲストハウスに戻り小休止

14:50 バイクにて再出発 Pr. Thnal Svay寺院を目指すが,全く道が違うことが分かり一度村に戻る

16:30 村から再出発

17:30-18:10 Pr. Thnal Svay寺院

13 (27).jpg19:20 ゲストハウス着 

 

三日目の午前中は、昨日足を伸ばしたPr. Khnaへの道の脇に位置する寺院を訪れることに。特にPr. Trapeang Thnal寺院とPr Svay Thom寺院は周壁内に複数の祠堂を囲む中規模寺院で、興味深い遺跡でした。

午後は町の北方、Pr. Thnal Svay寺院の調査に向かいました。悪路とのことから、バイクで向かいましたが、目的としていた寺院とは異なるChau Kom MunとPr. Chau Kornhon寺院に向かってしまったことに加えて、これらの寺院にも到達できず、結局1時間半ほどをロスし、再び町に戻ってくることに。再度別のルートからPr. Thnal Svayを目指し、1時間ほどで到着することができました。図面だけ見ていると、一風変わった平面構成のために、その姿を想像することが困難でしたが、訪れてみると二基のゴープラが縦深する構成であることが分かりました。ただ、既存の図面とはやや異なっているようで、修正を要するところでした。境内は藪に覆われており、見通しが効かない上、建物の各部がひどく破損しているため、本格的な調査のためには、まずは全面的な草刈りが必要となりそうです。クメール建築の多様性と独創性を改めて実感する寺院でした。

 

帰路は前日と同様に、再び漆黒の闇の中を疾走することに。砂ぼこりにまみれてようやく町にたどり着きました。(一)

5:30 起床

6:30 ゲストハウス発 市場にて朝食など

7:30 チェアム・クサン発

8:15 目的地途中の村にて案内を依頼する(Chhaeh村の村長Chhat氏)

8:45-9:05 Trapeang Thnal Chhouk寺院

03 (4).jpg9:15 王道跡 もう一つ別の寺院を探すも見つからず

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10:10-10:50 Brolay Ampil (Trapeang Ampil)寺院

05.JPG11:15-11:50 So Mab (Ta Ros)寺院

06.JPG12:55-13:00 Pr. Svay Tout (Thnal Svay)寺院

07 (2).jpg13:30 Don Chroam寺院に向かうも途中悪路に阻まれ断念,引き返す

16:20-17:20 Pr. Khna寺院

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08 (97).jpg19:30 チェアム・クサン着

 

二日目の目玉は何と言ってもPr. Khna寺院。チェアム・クサンからの直線距離は28kmしかないものの,ひどい悪路を2時間以上も行く。途中,倒木や川越にて何度か断念しそうになるが,なんとか到達した。しかし,車は傷だらけで,帰路は途中から真っ暗闇を進むことに。

オフロードバイクなら1時間半くらいで訪れることができそうで,もしももう一度行かねばならくなったら,バイクで行きたい。

寺院はKrala Peas村のはずれに位置しており,寺院の周辺には大型の溜池や土手跡が複数残されている。土手は高さ4~5mほどで,航空写真や衛星写真でもいくつかは認知される。

寺院は煉瓦造祠堂と砂岩祠堂とが混在しており,祠堂の形式もヴァラエティーに富んでいる。中央塔にはバンテアイ・スレイ様式のデヴァター像が彫刻されている一方で,プレア・コー様式の経蔵やリンテルがあったりと,長期にわたり増改築がほどこされたようにも見える。ただし,アンコール遺跡から遠く離れたこの地にあって,中央の様式編年は必ずしも有効であるか疑わしく,地方色の濃い独特の様式であったと考えることもできるだろう。

この寺院からほんの数キロ南方には別に二つの遺跡があることが分かっていたが,残念ながら時間切れで訪れることができなかった。

 

しかし,この日はひどく暑かった。4名で25リットルの水がなくなったので,一人6リットルを飲んだことになる。。。(一)

2008年,カンボジア第二のユネスコ世界遺産としてプレア・ヴィヘア寺院が登録されました。それ以降,この寺院の所属をめぐってカンボジアとタイとの間で国境問題が生じ,軍事的な緊張関係が続いています。

このプレア・ヴィヘア寺院が位置するプレア・ヴィヘア州には,その他にも多数のクメール遺跡が散在しており,そのいくらかは比較的規模が大きなものです。プレア・ヴィヘア寺院のアンコール帝国における地方拠点としての性格を理解する上で,それらの周辺遺跡を丹念に調査することは重要な意義をもっていると考えられます。

1930年代にフランス人考古学者アンリ・パルマンティエは「クメールの古典芸術」と題する文献で,カンボジア東北地区の寺院を多数紹介しています。彼は,アンコール遺跡を中心としてカンボジアを四象限に分けて,それぞれの地区を一冊の書物としてまとめることを計画していましたが,残念ながら第一巻となる東北地区の遺跡を整理したところで研究生涯の幕を閉じました。

しかしながら,カンボジアを中心に東南アジア・南アジアの古建築を網羅的に調査したこの考古学者をもってして,その第一巻にこの東北地区が選ばれたのは,この地区が最も重要な遺跡が集中していると判断されたためで,それだけにこのカンボジア東北地区は注目される地域だといえるでしょう。

 

今回は,調査日程がきわめて限られていることもあり,プレアヴィヘア州でもチョアム・クサン(Cham Ksan)町から足を伸ばすことができる範囲での調査を行いました。調査は,ビタロン(文化芸術省),ロバート(JASA),石塚(早稲田大学学生),下田の4名にて行いました。

 

初日の行程は以下の通り

 7:00 シェムリアップ発 アンロン・ヴェン経由にて

11:30 チェアム・クサン着 (途中CMACの事務所2カ所にて情報収集)

12:30 昼食後 チェアム・クサン発 近くの村での聞き込み・車と徒歩50分を経て 

14:20 Neak Buos寺院に着 3時間遺跡内の調査

17:20 Neak Buos発

18:10 チェアム・クサン着 ゲストハウス泊

 

シェムリアップからアンロン・ヴェンまでは舗装路で,その後のプレア・ヴィヘア寺院への分岐点までの道は整備中ながらも80キロくらいは出せる道が続きます。分岐点からチョアム・クサンまでも現在整備中で,やや悪路になり土煙を巻き上げての疾走となりますが,比較的良好な道で,さほど苦労することなくチェアム・クサンまでは訪れることができます。

01.JPGチェアム・クサンには見た限り2軒のゲストハウスがあり,田舎町にしては清潔で居心地の良いもので,また食事どころも多少はありますので(しかし全日同じ食堂で毎晩〈火山〉を食しました・・・),それほど大がかりな装備は必要ありません。

 

今日訪れた「Neak Buos寺院」は,この地区でも最も大きな複合寺院です。比較的良好な状態で保存されており、最近では文化芸術局の管理によって数名の地元住民が草刈りなどを開始しました。ダンレック山脈の南の麓の傾斜地にほぼ南面するように立地しています。

 

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01 (107).jpg七世紀中葉の様式のリンテルも認められるため,長期間にわたって維持され増築されたものと思われます。寺院前方には大きな溜池が配され,参道沿いにはいわゆる〈宮殿〉や〈施療院〉と呼ばれている施設があります。今回は地雷の危険があり,訪れることができませんでしたが,境内の背後,山の中腹にも煉瓦造祠堂が配されているようで,一連の寺院施設であると考えられます。(一)

コンポン・チャム州,プレイ・ヴェイン州,バッタンバン州にて,古民家と大工道具の調査を行いました。この調査は「財団法人竹中大工道具館」からの研究委託によって実施されています。

 

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カンボジアでは伝統的で自然素材の道具が次々に工業製品へと変わってきています。世界中のどの地区でも,多少の差はあれ,昔ながらの知恵が失われるという歴史があり,「時既に遅し」という時点で,それでもなんとかそれらを記録に残そうとしたり,場合によっては復興し,新たな価値を見出そうという動きがあったといえるでしょう。カンボジアでも近年,ごく限られた範囲ですが,そうした伝統的なモノや伝承文化を見直す動きが生じています。

 

特に,〈伝統的な道具〉を対象とした活動としては,「Tools and Practices - Change and Continuites in the Cambodian Countryside」と題された一般向けの書籍にまとめられた研究事業もその一例です。そこでは,バナナの葉っぱや,椰子の実,竹筒などの自然素材の道具が,様々な工業製品に移されている多数の事例が平明な文章で紹介されています。この書籍の筆者は,このような近代化,あるいはグローバリゼーションによって均質化と多様化という異なる二つの現象が促されていることを示し,一方的な伝統文化の消滅に対して,必ずしも憂うべき事態ではないことを主張していますが,こうした文献に取り上げられることなく失われている「かけがえのない」知恵も少なくないことでしょう。

 

この度,大工道具の調査を行う中で,まさに今,伝統的な道具が消滅していき,豊かな知識や知恵の継承が途絶え,失われつつあることに気づかされました。5年ほど前までは,民家の建設工事での各工程は手仕事で,様々な道具を駆使して創り上げられていたものが,ここ数年の間に,電動工具に変わり,過去の道具はすでに散在したという話ばかりが大工のインタビューからは聞かれました。本当にギリギリのところで,豊かな伝統の流れが途絶え,手が届かなかったという感が強く残りました。

 

今回調査の対象とした,コンポン・チャム州とバッタンバン州はカンボジア国内でも伝統的な民家が残されている稀少な地区です。五代に渡って棲み次がれたという築100年の民家にも数件出会うことができました。大工道具がカンボジアのどのような地区に残っているのかは既往の調査事例がありませんので皆目検討がつかない状況でしたが,こうした古民家が多く残されている地区には,大工道具が残っているのではないかと思われ,調査地区に選定しました。

 

コンポン・チャム州では,州都からメコン川沿い東岸を遡りながらの調査となりました。この地域はメコン川による肥沃な土壌に恵まれた多毛作の稲作や,タバコの生産,そして漁業なども盛んで,カンボジアの農村地帯でも豊かな土地です。また,フンセン首相の出身地であることもあってか,道路や学校なども良く整備されています。ベトナムから入ったムスリム文化も色濃く残り,仏教の村とイスラムの村が交互に並んでおり,オレンジ色の袈裟を巻いたお坊さんと,全身にスカーフを巻いた女性とが混在しています。イスラムの村にはモスクも多く,カンボジアの中でも独特な雰囲気に包まれていますが,厳しい戒律を遵守しているイスラムの村の方が,より整った印象を受けるのは気のせいでしょうか。

 

P1040442.JPGカンボジアの農村地帯の家屋は〈カンタン形式〉と呼ばれるスタイルが主流です。簡単に作れるのでカンタン形式,というわけではもちろんなくて,どうやら中国の広東地方から影響を受けた架構形式であることにより命名されており,いわゆる単純な切妻屋根の建物がカンタン形式と呼ばれるものです。今でも多数の民家がこの形式で造られています。

 

P1040413.JPGこの形式に加えて,20世紀前半に宗主国であったフランスの影響を受けた寄棟屋根の家屋〈ペット形式〉も地域によっては多く見られます。これら二つの形式の他に,カンボジアには四つの伝統的な民家の形式がありますが,いずれも今ではほとんど残されていません。コンポン・チャム州内の今回の調査地区では〈ペット形式〉が民家の半数ほどにのぼり,瀟洒な印象を醸し出すこの建物が建ち並ぶ村落はとても美しく見えます。

 

P1040387.JPGもう一方のバッタンバン州では,州都からサンカエ川を下る流路沿いに古い民家が多く残されており,この地区での調査を行いました。この地区もコンポン・チャムの調査地区と同様に仏教徒に混ざって多数のムスリムが住んでおり,道中いくつかのモスクが見られました。イスラムと古い民家,両者の因果関係は良く分からりませんが。。。

 

P1040599.JPGさて,肝心の大工道具ですが,古そうな民家があると立ち寄って住人に家の中を見せてもらうついでに,何か道具がないでしょうか,と伺ってみたり,有名な大工さんが近くにいないでしょうか,と尋ねてみたり,そして道沿いで工事中の家屋があると立ち止まって覗いてみたり,といろいろやってみたのですが,まとまった道具を持っている人にはなかなか出会うことができません。

 

地区によっては大工さんに出会うこと自体がとても困難で,「どこかにいませんかね?」と尋ねても,「今はコンクリート造(壁は煉瓦積み)の家ばっかりだから,木造家屋を専門とした大工さんは思い当たらないねえ」ということばかり。「そういえば,隣村の誰々さんが大工さんだったかしら」と聞きつけ,そこまで足を伸ばしても,「ちょっと前までは仕事してたけど,もう止めちまってね・・・」とかいうことで,昔から続けている腕の良い大工さんを見つけるのは難しくなっているようです。

 

P1040495.JPG大工さんに出会って,彼らの道具を見せてもらっても,さほど種類は多くなく,今では木材の加工は電動工具で行われているのが一般的なようです。コンポン・チャム州で出会ったある大工が言うには,「以前は数十の異なる道具を自作し,それらを使って大工仕事をしていたけど,それら数十の道具でできる作業の全ては,八年前に購入したこの電動工具によってできちまうんだよ」とのこと。しかし電動工具を自慢げに見せるわけではなくて,その顔は少し寂しげで,自分の腕を自慢する場所はもはや無いんだな・・・という悲しさが浮かんでいるようでした。

 

P1050011.JPG彼らが未だに持っている道具はおよそ10種類ほどで,中でも一番重要なのは「斧」。これは木を削るのにも,釘を打つにも使われるようで,現場では全員がかならず腰に差しています。その他,鉋や鋸,錐といったものはありますが,それぞれさほど種類はありません。

 

そんなことで,この両地区は数日にわたって調査をしましたが,結局めぼしい大工道具は見つからず・・・。そして,コンポン・チャムからの帰り道,カンボジアの中心に位置するコンポン・トム州を通過中に知り合いの家を訪ねたところ,彼の義理の叔父が大工であることが判り,おじゃますることに。

 

そこでようやくまとまった大工道具に出会うことができました。

持ち主は既に八三歳の御高齢。しかしまだまだしっかりとしておられ,次から次へと道具を倉庫から引っ張り出して下さりました。また,いろいろと話をすると,「そういえば台所にもこんなのを置いてたな・・・」とかいって,出してきてくれて。

結局80点以上の大工道具が出揃いました。

 

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しかしながら,これでも若かりし頃と比べると道具の数はかなり少なくなってしまったようで,近くで大工工事があるとそれらを貸してしまって,返ってこなかったり,あるいは壊れて捨ててしまったりといろいろな思い出の中に大切にしまわれているものが沢山あることが分かりました。

 

 

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それらの大工道具はいずれも硬い良質な木で造られており,黒光りしてどれもズッシリと重量感のあるものばかり。「道具に最上の木を使わないと良い家は建たないんだよ」とのこと。

それら一式を譲って頂けないかと恐る恐る尋ねてみましたが,まだ今は近くで借りに来る人もいるしダメだねえ。との返答。

ぜひとも,これ以上なくさないように,大事にしておいてほしいです。

 

 

日本では神戸に竹中道具大工館(http://dougukan.jp/)があり,実にたくさんの道具が展示されています。大工道具を通じて歴史や社会の様々な側面が浮かび上がってきます。

一生ものの何よりも大事な家を造るための道具には,知恵と職人技の粋が集約されており,それが時代を反映しているようです

 

カンボジアでも今後またこうした調査を別の地区で行っていきたいと思います。(一)

バイヨン・インフォメーション・センターも開館から8カ月が経ちました。

日本からのツアーのお客様を中心として、訪問者数も順調に伸びています。

ただ、カンボジアの方々にはまだその存在があまり知られておらず、訪れる人も遺跡関係者がほとんどという状況でした。

 

そこで、JSTのチア・ノルとセンタースタッフのウォーリャとソパリーが相談し、まずはシェムリアップ市内の大きな学校に告知をしに行くことにしました。先月の末に学校を回って先生方に呼びかけていたのですが、その甲斐あって!!

 

本日のお客様はシェムリアップにある「師範学校」と呼ばれる、教員養成校の生徒さんたちでした。

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こちらが、カンボジアの未来の教育を担っていく、教員のタマゴたちです。全部で9クラスあるそうですが、これから毎日午前と午後に1クラスずつ30人のグループで訪れることになりました。

 

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観光で訪れるお客さんとも、子供たちのスタディーツアーとも違う説明や質問に、センターのスタッフたちも気が抜けない様子。質問が多いので、通常1時間弱で終わるところが、2時間以上に及んでいます。

 

 

 

彼らが先生として、各地で一人立ちしていくときに、バイヨン寺院とカンボジアの歴史が次世代に波のように伝わっていくかと思うと、なんだかドキドキします。

 

 

100208-3.jpgまた、彼らが先生になった学校からまた生徒たちが来たり、とさらに想像が膨らみます。

カンボジアは国民の半分が20歳以下といわれる若い国。先生たち、頑張って!!!

 

 

(ま)