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4月17日金曜日,早稲田大学にて,バイヨン寺院の研究に関するシンポジウムが開催されました。

 

シンポジウムには,JSAの修復事業に現役であるいは過去に参加された多くの専門家にお集まりいただいたほか,アンコール遺跡の研究者や多くの学生の出席が得られました。午後3時より4時間にわたって,7名の専門家からの発表がありました。

また,このシンポジウムに先立ち,バイヨン寺院の浮き彫りの保存方法に携わっている研究者が集い,技術会議が設けられました。

 

ここでは,シンポジウムでの報告の概要をご紹介します。

 

 

シンポジウムは日本国政府アンコール遺跡救済チームの団長を努める,中川武先生(早稲田大学教授)の挨拶に始まりました。

 

 

最初に,「バイヨン寺院の考古学」と題して山本信夫先生(早稲田大学)からの報告がありました。

修復工事が進められている南経蔵と,この建物の周囲の発掘調査の結果より報告が始まりました。

バイヨン寺院は何段階かの増改築を重ねて今見る姿に至っており,その経過については過去に様々な研究がありますが、近年の考古学的発掘調査によって,これまでとは異なる増築の様子が推測されていること、特に外回廊の増築にあたっては,外側に増拡するような改築がうかがわれ、これまでとは異なる改変過程を示す痕跡が確認されたことが報告されました。

また,南経蔵では基壇内部に入れ子状のラテライトの構造体が発見され、その建造時期や目的についての考察が示されました。

さらに,中央塔における発掘調査の様子について報告があり,調査による出土物や盗掘されていた遺構の状況について示されました。

 

 

続いて,下田一太(JASA技術顧問)より,中央塔の発掘調査についての補足と,現在進められている事業活動について報告されました。

中央塔の調査については,過去のEFEOによる発掘調査」の様子を紹介し,調査の経緯を示した後,現在の多分野間での協力のもとに,建物の記録,診断,分析を進めていることが報告されました。また,中央塔に発見された排水孔とその問題点について紹介されました。

事業活動の紹介では,コー・ケル遺跡やサンボー・プレイ・クック遺跡で進められている調査・修復活動や、バイヨン寺院内で実施されている危険箇所調査,本尊再安置計画,散乱石材の同定調査などについて説明があり,また,修復事業の現地での広報活動,現地事務所内への展示施設の付設事業計画について紹介されました。最後に,JSTの活動の近況報告が加えられました。

 

 

その後,佐藤桂(早稲田大学)より,コー・ケル遺跡群の調査について報告されました。

遺跡群の発見に始まる研究史についての紹介に始まり,これまで認識されていた遺跡群の全容が,近年進められている名城大学+早稲田大学の研究により大幅に更新されつつあることが示されました。また,遺跡群内に代表的な遺構,あるいは土木的な各種の遺構も含めて,それらの機能や建材,形状にもとづく種目について紹介があり,コー・ケル遺跡のクメール建築全体における特異点について指摘されました。

 

 

この3名の発表をもって,シンポジウムは第一部を終え,休憩を挟んで第二部が再開されました。

 

第二部は,福田光治先生(肥後地質調査)より「アンコール遺跡の基壇復元盛土のマニュアル化について」と題する発表に始まりました。

基壇内部の版築土の再構築にあたり,その施工管理基準や標準仕様化の問題について,JSAのこれまでの事業の履歴を追いながらそのアイデアが示されました。地盤工学的な視点より,配合される土の特性や,班築の工法,また過去に実施された工事の経過観測の結果などが報告されました。

 

 

さらに,岩崎良規先生((財)地盤地質環境研究所)より「掘削履歴を考慮したバイヨン中央塔基礎安定問題」と題する発表が続きました。

過去に発掘調査が行われ,その発掘孔の埋め戻し土がきわめて緩い状況であることが確認された中央塔において,この発掘(掘削)がどのような影響を与えているのか,ということについて建物の現況での変状観測と構造的なシミュレーションを交えた分析が繰り広げられました。

過去の発掘-埋め戻しの結果,中央塔の基礎構造では応力の再配分が生じており,基礎の盛土の一部は強度の極限状態にあることが解析によって示されました。この部分が地盤力学的に非常に不安定であるため,支保工などの対策が必要であることが提言されました。

 

 

続く発表からは,バイヨン内回廊の浮き彫りの保存方法の研究に関する内容となりました。沢田正昭先生(国士舘大学)より,「バイヨン寺院浮き彫りの修復修理」と題する報告をいただきました。

話題は多岐に渡りましたが,保存工学の概説にはじまり,アンコール遺跡群,そしてバイヨン寺院における石材の劣化状況についての紹介から始まりました。その後,石材の修復に要する材料の開発状況について示されました。特にバイヨン寺院の石材,劣化状況,環境に特化した「独自の薬剤」の開発が目指されていることが強調されました。また、具体的な開発の手法や材料の紹介,またそれらの評価方法について報告されました。最後に,文化財の活用について,アジアにおける国や地域が文化財を通じた様々なイベントを企画している昨今の様子について紹介されました。

 

 

最後の発表は,森本哲郎(東京大学)より,バイヨン内回廊におけるテクスチャの記録とそれにもとづく着生生物の分析について報告をいただきました。

色の分析に関する専門性の高い発表でしたが,新たに開発された特殊な計器を用いて撮影されたスペクトル画像を用いて,藻類やらん藻類といった浮き彫り上に繁茂している微生物の分布や変化を分析した結果が紹介されました。着生生物の吸収波長に着目することで,撮影されたスペクトルの分布より,生物の種目やそれらの生息エリアを抽出することができる技術が開発されたことが示されました。

 

 

最後に,中川武先生からの総括をもって,シンポジウムは閉会を迎えました。

今回のシンポジウムは,日本国政府アンコール遺跡救済チームと協力体制を保ちながら進められている三件の科学研究費の成果を報告し,それらを各分野の研究者間で共有するという目的もありました。これらの各研究は調査期間の半ばをむかえ,今後は加速的に成果が上がってくる時期となります。これからもこうしたシンポジウムを実施していきたいと考えています。(一)

4月14日から16日はカンボジアの「クメール正月」。この国では4月に年が変わります。

JASAでは4月10日(金)に2008年の仕事納めの儀が行われました。

この日、現場では今年最後の仕事と、作業現場の大掃除。そして、それらすべてが終わったあとにもう一つ、重要なイベントが待っています。

 

それは、誰もが楽しみにしている、仕事納めの「お疲れ様パーティ」。

この日を迎える2週間ほど前から、作業員さんの間ではこのイベントの話題でもちきり。

毎年一年の最後に、今年も安全に作業ができました、来年もどうぞよろしくお願いします。という願いを込めて、作業現場裏の特設会場(ブルーシートだけど)にて、スタッフ総出でご飯を食べ、音楽に乗って踊るというのがJASA流の慰労会。

この日はベテランも新米も、専門家も作業員も家政婦さんも、同じ空間に集い、大いに楽しむのです。

 

今年は大食事会の前に、カンボジアの新年伝統のゲーム、袋を履いて走るイモムシレースや、お白粉の入った宙づりの壺を目隠しして割る、スイカ割りとパン食い競争のブレンドのようなゲームも登場し、盛り上がりました。

 

ゲームに続いてはお待ちかねの大食事会。このときのために、JASA事務所の家政婦さん部隊が腕によりをかけて、朝一番から準備をしていました。新しい年を迎えるお祝いとして牛が1頭捌かれ、見事4種類のお料理へと変身。

 牛の骨と野菜のスープ

 牛の内臓と生野菜をプラホック(魚の塩辛)のソースディップ

 牛肉の甘辛照り焼き(炭火やき)

 牛肉入りニョアム(甘酸っぱい生野菜サラダ)

牛1頭で、ざっと大の大人100人ほどを満足させるボリュームに!カンボジアの農村の人々は今でも主なタンパク源は魚。牛の肉を食べることなんてめったにありません。それはJASAの作業員たちも同じ。普段、肉体を酷使する現場で働く彼らに、牛パワーを注入し、栄養をつけ、来年も頑張ってもらいたいという願いがこの牛肉フルコースには込められているのです。

 

食事が進むと、今度はダンシングタイムの到来。誰からともなく輪を作り、カンボジア伝統のダンスが始まります。新年には、お寺でも道端でも店先でも、音楽さえあれば踊りが始まる。カンボジアの人々は概して踊り好き。特大スピーカーから流れてくる音楽に、踊りの輪がどんどん広がります。

茶髪の若手とベテランが一緒になって踊ったり、普段は無口で仕事一筋の副棟梁に「踊ってください」と誘われたり、今日だけは無礼講!

 

さらに踊りもたけなわになると、クライマックスを告げる「あるもの」が登場します。

 

それは、白い悪魔・ベビーパウダー。

 

カンボジアでは正月にお寺などでお互いの顔に突如としてベビーパウダーを付けるという変な風習があります。ここでもエキスパートたちがまず戦いの口火を切りました。皆の踊るステップで、足もとの土埃が舞い、その上では真っ白なベビーパウダーが飛び交う。もうもうと立ち込める二つのケムリの中、熾烈で笑いに溢れた戦いが繰り広げられます。

 

私は今年一年目の新米、格好のターゲットとして引きも切らないパウダー攻撃。同年代の容赦ない若手作業員から、丁寧に一礼し「ネアックルー(先生)、失礼します!!」と叫んでから襲ってくるベテラン、そしていつもお世話になっている兄貴分・エキスパートの面々、ありとあらゆる方向から白い粉が舞い下り、気がつけば舞妓さんもびっくりの白さに。

 

ベビーパウダー戦争の末には、真っ白になったたくさんの顔と、心地よい疲労感、そしてそれぞれの放つ笑い声が、もうもうと舞う甘い匂いのケムリの中に漂っていました。

 

こうして無事2008年も終わりを迎え、新しい年に向けて一丸となってがんばる準備も万端です。南経蔵完成に向けて、あと2年。2009年は基壇の四隅の再構築を終えるという重要な課題があります。今年も皆無事に、そして着実に作業を進められますように!!

090415-1.jpg(ま)

 

当初の調査目的は果たして,発掘孔の写真記録や図面記録を進めています。

ボーリング調査後の室内の清掃もまた同時に進んでおり,慎重を要する記録作業と,砂まみれの清掃作業とが狭い室内でごっちゃになっていますが,しかし調査許可は今日を含めてあと2日。

なんとか急いで全てを完了しなくてはなりません。

 

記録作業の途中,一つの重大な発見がありました。

これは当初から予想していた発見で,今回主室内の北東に調査エリアを定めたのも,この発見が期待されたことによりました。

バイヨン中央塔における「ソーマスートラ」の発見です!

 

聞き慣れない言葉ですが,ソーマスートラとは聖水の排水孔のことを意味します。アンコールの寺院では,気にかけて観察すれば,たくさんの塔にこの排水孔が見られます。バイヨン寺院の中だけでもたくさんのソーマスートラを見つけることができます。

各塔の室内それぞれには,かつて台座が配され,その台座の上には神像やリンガが安置されていました。

往時の宗教儀礼の一つに,こうした御神体に聖水を注ぐという行為があったようです。嘴のような突起のついた台座が良く見られますが,これは注がれた聖水を台座上から排水するためのものなのです。

 

台座から排水されて流れ落ちた聖水は,直接床面に注がれる場合もあれば,受け皿に注がれるものもあります。その後,室内から室外へと排出されるときに,壁体や床面下の排水孔を伝って行くわけですが,それを「ソーマスートラ」と呼びます。

 

バイヨン寺院の中央塔には,以前より基壇の北面やや東よりにこのソーマスートラの出口が確認されていました。しかしながら,室内側の排水孔入口は見つかっておらず,このソーマスートラがどこに繋がっていたのか,分からなかったのです。過去に,日本修復隊の調査でソーマスートラの出口からCCDカメラを差し入れて,どこへと伝わっているのか調べたことがありました。ちょうどクフ王のピラミッドで女王の間から延びる通気孔がどこへ延びていたのか,ドイツの研究者が小型ロボットで探査したのと似ています。バイヨンではロボットが無かったため,孔が先の方で折れ曲がっているところをくねりながら通過することができず,そこで調査は終わってしまい,結局このソーマスートラの入口は今まで不明なままに取り残されていたのです。ただし,このCCDカメラの調査によって,一つ明らかになったことは,孔の中の鑿痕が上から下へと刻まれていることでした。つまり,孔は石積みが終わった後に掘られたものではなく,建物の建造当初から計画されたものであることが分かったのでした。

 

このソーマスートラは多くの場合,シヴァ寺院に見られます。そのため,ソーマスートラが見つかる場合,この寺院がシヴァ寺院として建立された可能性が窺われます。つまり,仏教寺院として建立され,後にヒンドゥー教へと改宗されたとされるバイヨン寺院に最初からこの孔があったことは不自然だということになるのです。しかしながら,ソーマスートラの存在は,100%,シヴァ寺院を示すというわけではなく,仏教寺院などにも見られないわけではありません。ということで,やや曖昧な状況を残してはいるのですが,ソーマスートラの存在は建立当初の宗教を考える上で,重要なものなのです。

 

今回,ソーマスートラが明らかに主室から発していることが確認されました。バイヨンの中心祠堂の直下から過去に出土した仏陀座像の台座には排水のための嘴は付いていません。

 

この事実をもってして,短絡的にこの仏陀座像が当初の主尊ではないとは言い切れませんが,小さな疑問符が付いたことになりそうです。

 

やはりきれいさっぱりと調査を終えることはできないようです。

一つの疑問が新たに生じました。(一)

 

*本調査は㈱竹中工務店からの研究助成と,科学研究費と文部科学省科学研究補助金「アンコール遺跡における出土貿易陶磁器の様相解明」(研究代表者 山本信夫)の協力を得て進められています。

バイヨンの中央塔は,周囲の地面のレベルより約13メートルの高さに建てられています。中央塔自身は高さが約40m。総石積みの塔状の建物ですから,きわめて大きな荷重が壁の足下には集中してかかっています。解体・発掘調査は,この壁際を掘り下げるため,あまり範囲を広げることはできず,また深く掘り下げることも危険が伴います。

ですので,今回は調査に要する最低限の範囲と深さまでの発掘調査に留めました。壁体最下層の砂岩層の下には,ラテライト層が1層配されています。このラテライト層の直下は既に版築砂層です。

ただ,今回の調査の目的は,この版築砂層が室内側だけに見られるものなのか,あるいは壁体の奥の方ではラテライトなどの石材が直下にはさらに続いて配置されているのかどうかを確認することにありました。

 

そこで,この調査ではすでにお馴染みとなった,水平のハンドオーガー調査を実施しました。

以前の調査では掃除機の筒を改良して使用しましたが,今回は純正の調査用のオーガーを利用しました。

 

一本目のハンドオーガーは59cmまで水平に貫入したところで,石材にあたって止まりました。

やはり,何か奥の方では支持構造体があるのかもしれません。

 

二本目のテスト。

今回は先のテストの脇30cmのところで実施しました。かなり堅くしまった版築砂層ですので,なかなか思うようにはオーガーが入っていきません。屈強な作業員が滑り止めの軍手をして,オーガーを回転させながら,少しずつ削り進めていきます。オーガーの直径は3cm程ですが,10cm貫入するのに10分ほどは四苦八苦します。

一本目の59cmはクリアしました。さらに奥へと掘り進んでいきます。

1mもクリア。かなり入っていきます。作業員もすでに何度も交代しています。そして1.5m。すでに中央塔主室の壁の裏まで到達しました。

最終的に169cmまで貫入!そこで何かにあたって止まりました。

 

このテストで,明らかに壁体の直下には支持構造体が無いことが判明しました。

これまでのテストでは不規則な深度で,途中で止まっていましたが,おそらく版築砂層中の割栗石などにぶつかっていたものと考えられます。

 

これでようやく,バイヨン中央塔が「砂上の塔」であることが明らかに確認されました。(一)

 

 

*本調査は㈱竹中工務店からの研究助成と,科学研究費と文部科学省科学研究補助金「アンコール遺跡における出土貿易陶磁器の様相解明」(研究代表者 山本信夫)の協力を得て進められています。

バイヨン中央塔の地下構造に関する調査としては,昨年から次のような調査を実施してきました。

2008年8月 中央塔主室内北西象限における発掘調査

2009年2月 中央塔西前室および第6塔(西塔)における発掘調査

2009年3月 中央塔主室内におけるボーリング調査

 

こうした一連の調査に引き続き,中央塔主室内北東象限において,3月23日から発掘調査を実施しました。これから三回に分けて,この調査の経過を報告したいと思います。

 

3月23日,その前の週に実施したボーリング調査に引き続く発掘調査となりました。遺跡群の管轄組織であるアプサラ機構から許可されていた立ち入り禁止を伴う調査期間は,残り4日間と迫っています。今回は発掘調査の実施を見合わせることも検討されましたが,再び調査許可を得るのはまた困難が伴うこともあり,短い日数ではありましたが,作業員を増員し,これを実施する運びとなりました。

 

今回の調査の目的は非常に明確なものでした。つまり,昨年8月に実施した主室内北西象限では壁体直下に支持構造があるか否かが十分には確認されず,また今年2月に実施した西室でもこれについて確実な結果が得られなかったため,再度,別のエリアで壁体下の構造を確認しようとするものです。

 

ボーリング調査が終わったばかりで,ボーリング機器からの養生のための土嚢袋が敷き詰められている室内をクリーニングしながら,床石の解体を開始しました。

昨年の発掘調査で,すでに床石下の状況については把握されていたので,作業は速やかに進められ初日にして既に最上層の床石,第二層の端材層,そしてその下の埋め戻しも必要な深度まで掘り下げることができました。(一)

 

*本調査は㈱竹中工務店からの研究助成と,科学研究費と文部科学省科学研究補助金「アンコール遺跡における出土貿易陶磁器の様相解明」(研究代表者 山本信夫)の協力を得て進められています。