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さて,現在ワット・プーで進められているイタリア隊による修復工事はイタリア政府とアメリカのNGOであるGlobal Heritage Fundとが予算的な支援をしています。今回はGlobal Heritage Fundの代表であるジョン・サンデーと同便でラオス入りをしました。彼は現在バンテアイ・チュマール遺跡の修復工事の指揮をとっていますが,今回は彼のNGOが支援しているワット・プーの修復の視察のためにラオスを訪れたのでした。

 

090130_1.JPG彼は以前,World Monument Fundが実施しているアンコール遺跡のプレア・カーン遺跡やタ・ソム遺跡で修復事業のリーダーを務めており,クメール寺院については精通した人物です。ワット・プーはアンコールから少し離れたアンコールにとっては衛星的な位置にある寺院ですが,クメールに関心を持っている研究者はしばしここを訪れ,メコン川の緩やかな流れと聖山の麓の静寂に包まれたこの寺院で,アンコール遺跡の全景に想いを馳せるようです。全体像を描くためには,中心にばかりいてもダメなのかも知れません。

 

090130_2.JPGさて,こんな辺境な片田舎ではありますが,イタリア隊の宿舎の夕食はさすが絶品のパスタとワインと,そして話し好きのイタリア人の喋りに圧倒されて,ラオスの静けさなどまったく遠くに追いやったままに夜は更けてゆくのでした。

現在ワット・プーを訪れますと,参道の南側に立つ「ナンディン・マンダパ」という建物の修復工事が,イタリア隊によって進められているのが見られます。

 

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ここでの修復は建物の一部を解体して再構築するという工法です。建物の石積みの最下段までは解体をしなかったために,不同沈下や外開きをおこしている基壇の少なからぬ変形を,上部で吸収しなくてはならないところに,この修復工事の難しさがあるように見うけられました。室内に降り込む雨水の処理のために基壇内部と建物の外部へと配水管を配する方法がとられています。傾斜地という立地を考慮した上での対策であったものと思われますが,将来的なメンテナンスの方法と体制を十分に整えることが課題となりそうです。しかし全体としてみて,人員や機材,そして立地条件などの環境を考えると,修復隊の苦労は計り知れないものがあるでしょう。

 

 

090129_2.JPG寺院の入口近くに位置する南側の「パレス」ではフランス隊によって修復工事の準備が進められています。すでに建物の回りの草木はきれいに刈り取られ,一部で発掘調査を行われている他,散乱石材の記録やペディメントなどの彫刻部分では仮組が行われています。27日に予定されているワット・プー フェスティバルの後に,本格的に工事が開始される予定です。

今回はワット・プーにおける近年の修復工事についてお伝えします。

 

1991年にラオス考古学研究事業(Project de Recherches en Archaeologie Lao)が開始されてからのことです。日本もまたODA事業として,遺跡のすぐ手前に博物館を設置した他,修復のための専門家の育成事業や修復のための機材供与を行いました。

 

 

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寺院内のクリーニングの様子

 

数年前からはイタリアの修復隊が活動をしています。考古学者パトリシア女史がリーダーとなり,ローマ大学とミラノ工科大学とがコアメンバーとなっているチームです。参道脇に立ち並ぶツクシンボのような灯籠柱のようなポストの一部は,2004年にイタリア隊によって修復されました。

 

 

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参道全景 ポストの修復(2004年1月の写真です)

 

その後,この修復に参加していたラオス人の専門家が残りのポストの修復を行い,今では残存していたポストのほぼ全てが復原されています。山奥へと縦に深く切り込むような参道の脇に,簡素な形のポストを規則的に並べて小さな区切りをもうけることによって,参拝者に聖域への歩みを意識させ,徐々に心を静めるような仕組みを造ったのかも知れません。そんな体験が,修復によって実感されることとなりました。

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修復後の参道を眺める

 

今日のバイヨン。このブログでは「バイヨン寺院に限らず」アンコール遺跡に関することを徒然なるままに記していこうと思います。せっかくの第一回目なので,今回はなにか特別号のようにしたいと思いまして,アンコールの歴史が幕を開けた古都「ワット・プーの今日」から始めることにしました。

カンボジアはちょうど1月末に中国正月があります。特に祝日にはなるわけではありませんが,この機会にラオスを覗いてきました。

 

アンコール王朝が幕を開けるのは9世紀初頭ですが,それに先立つこと300年あまり,アンコール王朝の前身国家であるチェンラと呼ばれる王朝がインドシナに興りました。その出自についてはまだまだ謎ではありますが,定説となっているのが,現在のラオス南部,チャンパサックに位置するワット・プーとその周辺にこの王国は最初の都市を構えたというものです。都市の名は「シュレシュタプラ」。カオ山の山裾にはヒンドゥー教寺院「ワット・プー」が配され,そこから東方,メコン川までの間の平地に環壕に囲まれた都市が築かれました。

 

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シュレシュタプラの都城内からプーカオ山を望む

 

都市の中には煉瓦や石造りの祠堂が散在しています。どれも崩壊して堆積する土に呑み込まれていますが,近年,いくつかの寺院が発掘調査の対象となり,「プレ・アンコール」時代の様式の彫刻や建物の痕跡がたくさん確認されています。

 

 

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煉瓦遺構痕となるマウンド(シュレシュタプラ都城内)

 

この都市については,またいつか話に出てくるかも知れませんが,今日は世界遺産にもなっているワット・プーについてです。

この遺跡はおそらく古くから聖地であって,土着的な信仰の場となっていたものと考えられます。6世紀頃に最初の寺院が造られて以降,数世紀に渡って寺院の増築が続いたようで,今に残る姿を整えたのは,アンコール時代に入ってからです。アンコールの首都から遠く離れたこの寺院ではありますが,アンコール時代に入ってからも長くクメールの地方拠点の一つとして栄えたようです。ジャヤヴァルマン7世が最終的に完成させたアンコール王朝の幹線道路「王道」の終着点の一つがこの寺院にあることは,アンコールにとって古都ワット・プーがいかに重要であったのかをよく示しているでしょう。

 

近年に入って,ワット・プー寺院では少しずつ修復工事が進められています。資源の少ないラオスにおいて,以前より観光資源の目玉としてこの遺跡は注目されていましたが,ようやく遺跡の整備が進み始めています。

 

次号,「ワット・プーの修復」をお届けします。