いつかカンボジアの人々の手で
1994年から日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JSA)として、カンボジア人と日本人が一丸となって進めてきた保存修復活動。この活動の背景には、貴重な文化遺産の保護活動を通して、戦禍で傷ついたカンボジアの社会や国の誇りを復興する牽引力に!という強い願いがありました。日本人専門家の持つ先進的技術と掘り起こされたカンボジアの伝統を融合し、独自の方法を開拓しながら、アンコール・ワット北経蔵、王宮前広場のプラサート・スープラやバイヨン北経蔵など、危機的な状況にあった主要遺跡の保存修復を行ってきました。2005年からはバイヨン寺院南経蔵の解体修復工事や、この巨大な寺院の危険箇所の恒久的な保存対策のための総合的な調査を行っています。
JSAが活動を始めて14年。
当初から一貫して力を入れてきた人材育成が実を結び、現在修復工事の計画、管理の担い手はこれまで一緒に仕事をし、現場で学んできた若いカンボジア人専門家たちへと移ってきています。また石材の加工などの修復工事に欠かせない技術も、カンボジア人技術者の手に、確かに宿りはじめています。
そして、何よりも一つの目標に向かって共に汗を流し、解決を模索する過程で、お互いの中に築かれていった信頼感と確かな技術力。それらはこれからの時代、カンボジア国内で、カンボジアの人々の手によって、貴重な文化遺産が護られていくことを期待させてくれます。
しかし,財政面や自立した修復工事経験の不足などいくつかの理由によって、完全なかたちでのカンボジア人の手による保存修復は未だ困難であると言わざるをえません。
そこで、JSAはJSTと協働しながら、保存修復事業に携わるカンボジア人専門家や技術者を支え、将来の人材養成のための仕組み作りに貢献したいと考えているのです。
遺跡と共に生きていく
各国の修復チームが活躍し,アンコール遺跡の主要な遺跡群が崩壊の危機を逃れ始めた今,カンボジアでの次なる課題は,遺跡周辺地域の持続的発展だと言われています。しかし,地域の人々を置き去りにしたままの発展であってはなりません。観光で訪れた方々の目にはなかなか映りませんが、アンコール遺跡を始めとする遺跡周辺にはたくさんの村があり,人々の今の生活があります。
「遺跡の保存修復が、その周辺地域の生活を支え、その結果として地域ぐるみで遺跡を護り、活用していけるように」
そのために小さな活動から一歩一歩積み上げていく。それが現在のJSAとJSTの新たな挑戦です。
JSA団長(JASA共同代表) 中川 武より
チア・ノルさんは、JSA が正式に活動を開始した1994 年より、JSA 常駐団員として、現地カンボジアと日本人専門家の橋渡しをしながら、保存修復活動に携わってきました。そして,JSA 現場作業員の多くがアンコール・クラウ村から来ていたこともあり、村人の自立を助ける活動を率先して行ってきました。JSTは彼がその活動をより本格的に展開するために仲間たちと立ち上げたNGOです。アンコール遺跡は、2004 年に「ユネスコ世界遺産危機リスト」から除外されました。アンコール地域での近年の話題は「周辺地域の持続的発展」に遷ってきています。しかし、カンボジアの密林の中には99% の崩壊したままの遺跡たちが、今もなお救いの手を待っています。カンボジアの人たちが自らの手で修復できるように、そして周辺住民が自らの足で立ち、集落や地域の問題を解決していくための、本当に困難で創造的な課題はこれからです。
18〜19世紀の日本では、大工技術が広く発展し、支配者の社寺や城郭だけでなく、村々の民家や町屋まで世界的にも特筆されるほどの優れた水準の建築文化を作りだしました。そのような大工集団の多くは、大工村を作って住んでいましたが、その大工村の美しさは近代にまでその痕跡を留めていました。この大工村の美しさが地方の隅々にまで、大工を中心とした職人技術を通して影響し、かつての日本の美しい風景の源となったのです。アンコールに来てから私には一つの夢が生まれました。アンコール遺跡の修復に携わる石工たちがそこから学んだものを生かして、美しい石工村を作る中心になり、そこで育った子供たちが未来のアンコール遺跡修復の担い手になっていく姿です。
JSA の10 年半の活動が一つの節目を迎え、APSARA機構などカンボジアとの協働体制がより強くなった今、私たちも国際文化交流の実りをより豊かなものにし、成果を地域に根付かせるための一助とするためにJST に協力していきたいと考えています。何よりも、JSAの歴代団員にはアンコール・クラウ村が好きな人が多くいます。これは私たちが大事にしたい財産です。
現在はJAPAN-APSARA Safeguarding Angkor(JASA)という名称で活動しています。


